閃き

変化も気付く事も無い平凡な毎日の中にきっと閃きがあるはず。閃きを求めた記憶

賀詞交歓会の反省

2018-01-11 07:55:54 | 閃き
経済団体主催の賀詞交歓会に出席させて頂いた

市の殆どの要職にある方々が一同に揃うのは真に壮観である

こういった会への出席は初めてではなかったが、これだけの顔ぶれと参加人数があったことに対して主催者側もご満悦ではなかったかと推測する

私の席は思いもよらず高い席で会った為に大変恐縮した


開会後にまもなく、新年のご挨拶にそれぞれが席を立って開場狭しと駆けめぐる状態になった

日頃、会っているようで会っていないということで、私も暫く振りにお会いする方にお目に掛かれて親しくお話しができて楽しい一時であった

着席してゆっくり食事をするまもなく、開場を巡りご挨拶をし酒を酌み交わしている内に酔ってしまった

意識はハッキリしているが、呂律が回らなくなったと自覚する状態だったと思い出すのも危なっかしい今の記憶からすると、相当に酔っていたのでは無いかと不安になっている

特に、警察署長と安易に飲み会をする約束をしてしまったり、副市長と休日にプライベートでゴルフに行く約束をしてしまったりと、思い出せた事だけでも恐れ多いので、記憶に無い約束がどれだけあったか不安になっている


今月の後半には所属している団体の賀詞交歓会が予定されているが、酒は極力控えるように今から肝に命じておくことにした

そんな辛い思いをしたので食事も喉を通らず、沈んだ気分になった

反省している
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戊戌の年

2018-01-09 07:29:52 | 閃き
正月気分も無くなった今日この頃、本格的に仕事が始まる

さて、今年はどんな年になるのだろうかと思い立ちググってみた


今年は戊(つちのえ)戌(いぬ)の年である

戊は土の性格で上に草冠を着けると茂という字になり、まさしく植物の成長が絶頂期にあることを示している

戌も同じく土の性格で、滅という字に通じていて、草木が枯れることを示しています

一方、今年のように同じ性格が重なる年を比和と呼び、その特徴がパワーアップすると言われています


一方では繁栄、一方では滅亡の相反した意味の組み合わせですが、これはどちらかに傾くという意味を持ちます

それも、比和によってよりパワーアップする形で現れるということになります

詰まり、繁栄と滅亡の両極端な形であることを意味します


ここまで調べると、当然滅亡ではなく繁栄の方へ乗りたいと考えるのは当然です

どうしたら繁栄の方に乗れるかを更に調べてみたが、これはという具体的なものはない

個人的にも目の前にある事に対して真摯に、懸命に取り組むことを重ねて行くだけであると考えるに至ったが、言い換えればこれは常時取り組んでいる姿勢と変わらない事であるから、あわよくば勝ち船に楽して乗ろうとした行為こそ、自分の甘さであり、繁栄の方へ行けない要因であろうと思う

中には、どちらに行くか選択が難しいので、それまでじっと静観して、ここぞという時に便乗する所謂、漁夫の利を目論むものがあったが、これは全くのナンセンスである

それを行う為には相当な事前準備が必要であろうと推測するからである


例えば、南極へ行くか熱帯の砂漠へ行くかはまるで正反対の装備が必要である

どちらにも共通の装備はあるものの、基本的には全く違うので、2重の装備が必要になる

その2重の装備を携えて、時を見て行く先を変える事が果たしてできるのであろうか疑問である

こういった物事の捉え方自体が危険であると言わざるを得ない


目の前の事に懸命に取り組むことですら、情勢を見ながら良い方向へ進もうとするのであって、それだけでも相当大変なことである

従って、努力の先に繁栄があるので、その努力さえしていれば滅亡は考えずとも良いというのが私の結論である

ただ今年はその結果が大きく現れるというとしなので、その成果を楽しみにしているのだが、その成果は自分が行った努力に応じて与えられるということは、今年は特に大きく費やす時であると思う



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ウーマン村本の発言

2018-01-08 08:14:23 | 閃き
元旦に放送された朝まで生テレビでのウーマン村本氏の発言が話題になっているようだ

たまたまこの番組をちらりと見た時、その発言の瞬間だったのだが、私も違和感を強く感じていた

最近、それが話題になっていることを知り、なるほどと思っていたところである


別の番組で、彼は私は多くの無知な人達の代弁者として聞いただけなのに他の有識者達に非難された旨の釈明をしていたが、その事は別段どうって事の無い部分だった

そういう質問をするのはご自身が無知な為であること位、視聴者は理解するし、その無知な事に対して非難をすることもないと思う

問題だったのは尖閣諸島や沖縄を中国にあげちゃうという発言である

彼は別番組でもこの部分に触れて、皆は一部しか見ていないとしながらも、人が殺される位なら中国にあげる方を選ぶといった考え方自体が問題なのだと言うことについて理解されていないようだった


三女が大学生の頃に尖閣諸島の問題が起こり、三女もあげちゃえばいいと言ったことについて親子喧嘩になったことをブログに書いたのだが、今回の彼の発言を聞いて若者の思考は同じなのかと思い出していた

守らねばならないものの1つに人権があるが、この人権を侵害しようとするものがきた時、殺されるならと人権侵害を認めてしまうのと同じで、武力によって不当に他人の権利を侵そうとするものに対しては、命を賭して立ち向かう心構えが必要である

何よりも命が大切ではあるが、命を賭してまで守り抜くものがあるという認識が欠落しているとしか考えられない

彼は別の番組で、無知な質問をしたからこそ話題に上り、その事で興味を示して学んでゆくので有意義だと上手くごまかそうとしていたが、そういう意見は周囲から出る評価であり発言者から発する事ではない

色々な考え方があり価値観も違っているのは当たり前なので彼がどういう発言をしても良いのだが、番組プロデューサーや共演者に事前に了解を取っているから、と言っても発言する内容については自身の責任としてしっかり話すべきである


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観正月

2018-01-06 13:58:43 | 閃き
明けましておめでとうございます

今年も宜しくお願い申し上げます


今年の年末は長女一家が婿の実家に帰ったので妻と2人で大掃除を行う事になっていたが、その初日

朝から撮りためた「陸王」10話をほぼ丸1日かけて観てしまった

最近のドラマは、本当に上手に泣かせてくれるので、大人げなくボロボロ泣きながら観入ってしまった

大掃除は翌日から大慌てで済ませたので、年賀状が書けなかった


正月は三女夫婦と実母で小じんまりと済ませたのだが、いつもの正月には無く映画を観た

長女、次女家族が終結した時には流石にできなかったが、寝静まった時間帯や、皆が出かけた隙に映画を観た

お蔭様で何本の映画を観たのか数えられないくらいの本数になった


映画は殆どが撮りためてあったものとBS若しくは有料放送、ネット配信のものばかり

本当は映画館で観たいのだが、そうしなくても満足して観られるので便利になったものである

その中で最もよかったものは何だったか?

自問しても答えが浮かばないが、「手紙が覚えている」だったと思うが、認知症を患った90歳の老人のお話とアニメ「君の名は」だろうか

「君の名は」は地上波ではなく有料放送を録画したものである

A・ジョリープロデュースのオリンピック選手が日本で捕虜になった実話を元に映画化されたのも面白かった


観正月の蔭で今年の正月はテレビの前に張り付いていたので、誠に不健康極まりない生活になってしまった

体重は増え、体は痛くなり、気力は萎えてくる

映画の内容によっては気が立って妻に八つ当たりすることもあった

しかし、映画は面白い

映画は観た後に色々と考えさせられるところも好きである

しかし、一人で映画館に観に行ったことも何回かあるが、題名が思い出せないでいるから、私の認知症も重症になってきているのだろうか

面白くても忘れてしまっては何にもならないのだが、再び見始めてから思い出されるのは重症の症状に間違いはない


題名やストーリーを忘れてしまっても面白いものに違いはない

映画は面白い


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贅沢になったお節

2018-01-03 14:23:00 | 閃き
このブログは投稿日とは違って少し後に書いて投稿日を修正している


昔は実母と妻が随分と手間をかけてお節料理を作っていた

色々と忙しくなりいつしか通販で購入するようになってきた

あれこれと品数を作る必要も無く、ただ並べて出しておけばそれなりに済んでゆく、所謂、お節の役割通りの効果を発揮してくれるのである

今年の正月は実母と三女夫婦だけで迎えたのだが、2日の夜には長女、次女一家が終結する事になっていた

今年、購入したお節は3~4人前のお節と6人前のお節の二つである

金額は相当なものになったが、掛ける手間と金額を総合してみれば、妻の選択も間違っているとは言えないのである


しかし、お節だけでほぼ10人前というのは贅沢なものである

我々は通しでいるので同じものでは飽きてしまう

と言っても、お節の内容は大きくは変わらない

歳を重ねると、皆が箸を着けにくいものが好きになってくるからよくしたものである


幸い、数の子は私以外誰も食べないから、私の独占状態である

その代わりに皆か好きなものは殆ど回ってこないから、バランスが取れているのである

ほぼ3が日はお節で済ませてしまったのだが、贅沢な正月だと感じている


我が家にはオードブルの類が食卓に並ぶことは無い

クリスマスのそれと同じようなメニューが丸い皿に盛りつけられたものは一度も並んだことがない

それだけが我が家の救いだと思っている

このブログは正月3日の日付にしようと思う
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