えまちゃんと

C43(S205)日記とチャリ少し

我が青春のムーンライト

2023-08-17 | Weblog
ムーンライトながら、という夜行列車をご存じでしょうか。
2009年からは臨時夜行列車というものに変わったもので、その昔の「大垣夜行」と呼ばれていたものだそうです。
私が乗車したのは1995年ころ一度だけ。
という事は、臨時ではなかった頃です。

会社のボーリング大会があり、支店ごととするにも人数が多すぎるので部署ごとに実施し、一定期間にスコア表を提出するというものでありました。(なんだかコロナ禍みたい)
当然に忙しいなんて言っている社員が数名おり、時間ギリギリになります。
腹が減っている状態で2ゲームを駆け足に済ませ、乾いた喉を潤しに行くわけです。
確か名の売れた牛タン屋だったと思います。
牛タン屋で飲む方はご存じと思いますが、牛タン屋はメニューがどこも少ないのが特徴です。
幾ら好きでも牛タンと、もつの煮込みやサラダだけでは飽きるわけです。
それでもボーリングで乾いた喉を潤し続け、やけに酔ったことを覚えています。
帰りにホームに立った際、かなりの千鳥足になり女性社員に支えられたほどでした。

数駅ほど乗って東京駅の乗り換えで、当時東海道線を利用していました。
いつもの様にホームへ行くと、電車が空いていたのです。
終電も近かっただろうに、ラッキーとばかりに飛び乗りました。
もうすっかり酔っていましたので、乗った途端に寝たのです。
ここで一つラッキーだったのは、あまりの酔いに乗り口から一番手前のシートに座ったのですが、その席の奥には女性が座っていたらしいのです。
なにも気にせず座って寝た私は、どこかの駅でその女性に降りるからと声をかけられたのです。
席をどいたはいいけれど、何処に着いたのかと外を見ると、知らない駅に見えます。
急いで下りた駅は、「真鶴」でした。
当然に上り電車はありません。(当然タクシー代もありません)
秋も深まったころだったと記憶しています。なぜならコートを羽織っていたのです。
そのコートを頭の上で第一ボダンを閉め、人間テントのような形を作って構内の通路にあったベンチで寝たのです。
寒いので熟睡などはできません。
それでもウトウトしながら始発を待ったのです。
始発に乗り込み家に帰り、シャワーを浴びてそのまま出勤したという青春の1ページ。

そもそも、ムーンライトながらは私の住んでいた駅には停まらない列車でした。
踊り子だってなんだって同じホームに入ってくる東海道線、好きだった。。

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