一月六日(火)晴れ。
何だかんだと言っても、自宅でつい飲んでしまう。みっともないことに家酒で二日酔い気味である。愚妻が仕事に出たので、ヘロヘロになりながら朝食の支度。
食後、休む暇もなく、原稿の校正や、お礼状などを書いているうちに、アット言う間に正午。今日は、午後一時より、頭のMRIの検査に行かなければならない。最近、唇の痺れが少々気になるので、掛かりつけの医者に行ったところ、それでは検査と言うことになった。
どうもあの狭い箱に入るMRIの検査は苦手である。暖房が効きすぎていて、喉がイガラっぽくなって、ガマンしきれずに検査の最中に、咳をしてしまって、また最初からやり直し。いやはや参った。検査の結果は、別に異常がないとのことだったが、血圧が高いので、注意しなさいと言われた。うーん、あちこちくたびれてくるものだ。
終了後に、有隣堂へ行き、二時間ほど本の散策をしたが、欲しいと思った本は皆高額なのであきらめて帰路についた。
そういえば、出掛けにテレビの国会中継をを少し見た。民主党の鳩山由紀夫が代表質問を行ったが、聞いていて何が国会だ、滑稽ではないかとアホらしくなった。庶民の味方のようなことを言っていたが、テメエの資産はどのくらいある。自宅の敷地は、どれほどあるんだ。まず資産の一割か二割を出して、自分で炊き出しでもやってみろ。自宅の敷地の中に、テントでも立てて、寝る所のない人たちを寝かしてあげればいいじゃネェか。
それをしてみてから、エラそうなことを言ってみろ。政策秘書が書いた原稿を、自分の事のように言うんじゃないよ。無味乾燥な奴ばかりだな、国会議員と言う連中は。民主党も、もっとまともなのがいるだろうが。
大行社の小針政人君が発行している機関誌「月刊・志気」に、連載されている「清水行之助回想録」で知ったことだが、関東大震災の時に、本当に自宅を開放して罹災者に食や一時しのぎの宿を提供した政治家がいた。
その人の名は後藤新平。後藤は、震災の直後、第一次山本権兵衛内閣の内務大臣となった際、清水行之助らの要請によって、三千円の金と車を提供し、食料を買い集め、後藤邸内に難民救済所を設けた。清水らは約一ヶ月にわたり、この救援活動を行い、多い時には一日三百人もの人を収容したという。その間、後藤夫妻は、広い邸内の中で、奥にある十畳の部屋で寝起きし、残りの部屋はことごとく避難民の収容に解放し、それでも足りない場合は、庭にテントを設営したという。
そして内務大臣である後藤はもとより、彼の年老いた母も何一つ嫌な顔をしなかったとある。どうだ鳩山、名前が鳩なら、豆でも煮て困った人達に配ってやりなさい。
明治、大正、昭和そして平成と段々政治家の質が低下している。その低下した政治家のバカ息子、バカ娘が後を継ぐのだから、この国の将来は・・・。ああ嫌になる。