白雲去来

蜷川正大の日々是口実

左右の目、ではなく座右の銘

2009-01-17 10:58:01 | インポート

一月十六日(金)晴れ。

 正午より、友人等と焼肉屋で会食。やはり焼肉は夜よりも昼の方が体に良いような気がする。食後はお茶をしてから自宅に戻り机に向かう。三時半から病院。一時間ほどで自宅に戻り、真面目に仕事をした。

 書店で、暇つぶしをしていたら、「諸君」の二月号で、「座右の銘」の特集をしていたのが目に留まり買ってみた。まだ読んではいないが、中曽根康弘、石原慎太郎、細川護熙、野村克也といった人たち七十七人が、自分の座右の銘を披露している。面白い企画である。その内に私も民族派の人たちの座右の銘を特集してみたいと思っている。

 柄にもなく、取材などで「蜷川さんの座右の銘は」などと聞かれることがある。それまでは、そんなことを聞かれる立場でも歳でもなかったので、聞かれた時は、さすがに慌ててしまった。そして、そんなことも考えずに、のんべんだらりんと生きてきた自分自身を恥ずかしく思った。それから折に触れて、何か、自分の座右の銘となるような言葉、故事を探しているが、これ、と思うものが浮かばない。

 それでも聞かれて、「ありません」と言えば、相手に失礼だし、仕方ないので、好きな漢詩で、唐創業の功臣、魏徴の「述懐」の末尾の一節、

人生感意気 (人生意気に感ず)                                                  功名誰復論 (功名誰かまた論ぜんや)

 というものにしている。昭和維新の歌(青年日本の歌)にも引用されているものだ。その人の、性格や人生が「座右の銘」に象徴されているようで興味深い。


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