一月十日(土)晴れ。
昨日の寒さとは一転、良い天気である。朝食を済ませてから、甥を連れて家族と共に横浜散策。私の好きな山手に行った。山元町から港の見える丘公園まで、約二キロぐらいの道を柔らかい冬の陽射しを浴びて歩く。山手教会、フェリス女学院、外人墓地・・・。若い頃は、この道を良く歩いた。デートと言えば、本当にただ歩くだけだったが、外国のような趣のあるこの道が好きだ。
外人墓地の前のレストランの山手十番館、ロッシュ。この店に来たのは、もう三十年も前のことだ。今は、なぜかテレがあって、入る気にはなれない。そう言えば、競馬場の前の「ドルフィン」もユーミンの歌で有名になってから、行きづらくなった。
そんなことを思い出しながら、外人墓地や丘公園、近代文学館に架かる橋、大仏次郎の小説からその名前を取った「霧笛橋」の上で、ベイブリッジをバックに記念写真を撮った。
港の見える丘公園の全景
「港の見える丘」の歌碑。※クリックすると大きいものが見えます。
昼食は、小龍包と水餃子が中華街一美味いと私が思っている北京飯店にて食べた。他の料理を食べずに、この店で、小龍包と水餃子だけを食べるのは少々勇気が入るが、日曜日なので、マアいいか。
その後、お粥が、やはり中華街一美味い(これは本当です)「安記」へ。スミイカのさやインゲン炒め、モツ皿、レバ皿、シュウマイでビールを飲み、子供達は、お粥。他の店で食べるよりも安くて美味いのである。横浜に住んでいて良かったと思うのは、こういう時である。
食後は、自宅に戻り、先日亡くなられた、倉持次雄氏の通夜に出かける準備。今年になってから、まだ十日なのに、もう葬儀が二回である。三時四十一分の横須賀線で新橋へ、山手線に乗り換えて日暮里。ここから常磐線で藤代という駅に向かったが、いやはや遠いこと、参った。事前にパソコンの「乗り換え案内」で検索したら、一時間四十七分ほどかかると言うので、岐阜の細川先生から推薦された「許永中、日本の闇を背負い続けた男」(森功著・講談社)を持っていったのが正解で、三分の一ほど読めた。(この本の感想は後日書きます)
藤代の駅で、盟友の折本満氏と合流して葬儀場へ。大行社の清水巌副会長や丸川仁氏、愛国党の舟川孝氏などの同志がお別れに来ていた。喪主は、まだ高校生のご長男。隣には長女が並んで参列者に頭を下げている。倉持氏は、離婚しているので、残されたのは、まだ若い二人だけである。
倉持氏が愛した軍歌が流れる中で、しめやかに通夜式が行われた。お世話をして頂いた盛儀一氏にご挨拶をして帰路についた。
八時半に保土ヶ谷着。待たしておいた、甥や家族と一緒に「清水苑」にて食事。夕食後は、「許永中」の本を読んで寝た。