十二月七日(土)晴れ。大雪。
本州の脊梁たる山脈を境にして日本海側は雪、風下の太平洋側は晴れと日本列島の天気は二分される。たまに季節風が激しいと雪は脊梁山脈を吹き越えて、太平洋側にも運ばれてくる。
まあ横浜などにいると、雪は、神様がくれたプレゼントのような気もするが、雪国では、日々が雪との戦いである。北海道にいた三年余。その雪には大いに悩まされた。横浜に戻って来ても、しばらくは寒い所へは行きたくないと思ったものだ。
野村先生の獄中句集「銀河蒼茫」は、横浜の民族派の重鎮で天照義団という団体を主宰していた山下幸弘先生が発行していた機関誌「天照」に、野村先生が獄中から投稿していた「俳句」と「獄中俳句日記」の中から、先生ご自身が選定した。
野村先生が、河野邸焼き討ち事件で戦線復帰した際に、山下先生のご自宅に一緒に伺い、機関誌「天照」のバックナンバーを頂いてきたことがあった。私も、幾冊か保存してあるが、小早川貞夫先生宅の遺品整理を行った折に、三冊ほど頂いてきた。写真の物は、昭和四十八年発行で九月号。「天照俳壇」の中に、三上卓、小沼廣晃、斉藤謙輔といった諸先生の中に、野村先生の名前もある。
「獄中近詠」として五句。「人生依然こんとんとして雷鳴す」「この雷鳴ただごとならぬ国危し」「草を刈る海ありさみしこの青さ」(「海より」の誤植)。「夏帽を高く振るべきこと欲しや」「夜の嵐祖国悲嘆の天怖ろし」。
ちなみに「天照」はA4の半分のサイズのA5版で、わら半紙15頁である。定価は一冊50円。編集長は、「反ソ決死隊」の深作清二郎先生であった。そう言えば、山下先生のご子息は産経新聞や日本工業新聞の社長を歴任した人だ。
そんなことを思い出しつつ、酔狂亭で月下独酌。