四月四日(金)晴れ。
昨日に続いて山頭火のことを少々。古い同志の長谷川光良氏が下田に隠遁している頃に、友人と連れ立って良く下田に遊んだ。私が、戦線復帰を果たした平成二年に少々体調を崩し、静養の場に選んだのも、長谷川氏のいる下田だった。その下田で良く利用していたのが「いず松陰」という料理屋。何しろ安くてうまい。今でも下田と聞くとイコール「いず松陰」と頭の中でつながる。久しく行っていないが、過日FBの友人がそのお店のことをアップしていたのを読んで懐かしくなった。しかし「伊豆」で「松陰」なのに、なぜか店の入り口には山頭火の「伊豆はあたたかく野宿によろし波音も」という句碑がある。
その句碑は、伊豆の臨済宗建長寺派のお寺で泰平寺にあるものを写したのだと思う。泰平寺のものは大山澄太の書によるもの。また句の内容は忘れたが、下田駅のすぐ近くの蕎麦屋にも大山澄太が書いた山頭火の句の色紙が飾ってあったのを覚えている。山頭火の句で私が好きなものを列記してみる。
沈み行く夜の底へ底へ時雨落つ
分け入つても分け入つても青い山
啼いてわたしも一人
どうしやうもないわたしが歩いてゐる
捨てきれない荷物のおもさまへうしろ
風の石を拾ふ
年とれば故郷こひしいつくつくぼふし
松はみな枝垂れて南無観世音
越えてゆく山また山は冬の山
うしろすがたのしぐれてゆくか
鉄鉢の中へも霰
うつむいて石ころばかり
ころりと寝ころべば空
まっすぐな道でさみしい
雨のふるさとははだしであるく
歳を取らなければわからないものがある。例えば「蕗の薹の天ぷら」。若いころ、連れていかれたお店で初めて食したとき、「こんなまずい葉っぱに金を出して食うなんて馬鹿じゃねぇの」と正直思った。それが今では、その蕗の薹の「えぐみ」と言おうか、味わいのある苦味に、「春ですねぇー」とか言うようになった。俳句もそうかもしれない。山頭火の俳句も若いころよりも還暦を過ぎて、ある種の無常観に苛まれる時、山頭火の俳句が心に沁みるのである。
夜は、伊豆高原の干物屋の名店「山幸」で買った「さわらのみりん干し」と茗荷をたっぷり添えた「冷奴」で独酌。そうか、最近忘れっぽくなったのは茗荷のせいかもしれない。