四月二十日(日)曇りのち晴れ。
今日は、午前十一時より上野公園にある西郷隆盛の銅像の清洗式があり東京行き。思いのほか早く東京に着いたので、上野の一つ手前の御徒町で下車しアメ横を散歩した。まだそれほど人通りは多くなく、閑散としている。ミリタリーショップでお気に入りのウインド・ブレイカーをチラ見して中店を冷かすが、当然買い物モードにはなっていないので、しばらく歩いてから上野公園へ。
昨年は、雨のせいでとても寒かった。今日も朝方は天気が悪かったので背広の上に厚手のブルゾンを着て行ったが式が始まるころから天気が回復し、暖かくなった。十一時開始。まず神事の後に来賓の祝辞。トップは慶応大学の名誉教授、小林節先生。小林先生が尊敬する人物にアメリカのジョージ・ワシントンと西郷隆盛の二人がいると話された。ワシントンが大統領になった頃はヨーロッパでは王国が多く、望めば彼もアメリカの王になれたのに、それを望まず二期務めただけで下野した。西郷も栄達を望まなかった。といった趣旨の話をなされた。
次は四宮正貴先生。曰く、西郷は、いわゆる「征韓論」を唱えたことで知られているが、それは決して朝鮮半島を「征服」しようとしたのではなく、かたくなに日本との国交を開始しようとしない李氏朝鮮を説得しようとした。現在の韓国では、豊臣秀吉、西郷隆盛、伊藤博文などは「侵略し」の汚名を着せられているが、決してそんなことはない。歴史の見直しを。といった趣旨の話をされた。
最後は、民族革新会議の犬塚博英議長。東京には歴史上の人物の銅像として有名な、皇居前の楠正成、上野の西郷さん。そして靖国神社には大村益次郎の銅像があるが、昔から国民に親しまれているは、西郷さんと大楠公。靖国神社には大村益次郎の銅像が屹立しているが、訪れる人のほとんどが大村益次郎のことを知らない。また戦前も今も日本人が尊敬する歴史上の人物は、楠正成、吉田松陰、西郷隆盛の三人。それぞれ尊皇の人であった。
その後、京都着物ハクビ学園の皆さんの手で、清掃された西郷さんに羽織袴を着せ、お祝いする太鼓、神輿などの奉納演武があり正午過ぎに終了。
終了後は、犬塚議長、秋山一成氏、大熊雄次氏らの民革の人たちや私の友人たちとアメ横の秘密基地と私が勝手に命名している中華の「新東洋」にて直会。名物の「ロー麺」などを堪能した。その後、有名な「大統領」に転戦。本店は満席で、少し先にある二号店へ。ここも一杯だったが、何とか席を作って貰い二次会。何と、大行社の小針政人氏らと遭遇。何でも二階席で飲んでいるとか。更に舟川孝氏一行ともお会いした。六時前に解散。
横浜に着いてから、カメ&アコちゃんと合流して「颯」へ。一時間ほどで帰宅。