五月二十八日(木)晴れ。
昭和34年、「ライラックの花が咲き揃う季節に文化の香り高い行事を行う」という文化人の呼びかけにより始まったのがライラックまつりです。ライラックは昭和35年に札幌の木にも選ばれ、どこの家の庭先でも見かけるほど市民にも親しまれる木となりました。今では、札幌に初夏の訪れを告げるおまつりとして市民の間にも定着し、札幌を代表する春のイベントへと成長しました。約400本のライラックが咲き誇る「大通会場」では、ライラック音楽祭、野外でお茶を楽しむ野だて、スタンプラリー、第50回開催から会場に加わった「川下会場」では、ライラックツアー、川下公園コンサートなど、各会場でさまざまなイベントが行われます。このまつりは札幌市民にとって、半年余りの長い冬からようやく開放され、野外散策を楽しむ季節到来のファンファーレでもあります。ライラックは、別名、リラ、ムラサキハシドイ、ハナハシドイとも呼ばれ、花ことば 白…年若き無邪気さ青春の喜び。紫…恋愛のはじめての喜び。
最古のライラック 明治23年、北星学園の前身であるスミス女学校の創始者サラ・C・スミス女史が、故郷アメリカから携えてきたもので、北大付属植物園に現存しています。 大通公園には約400本(白30本、紫系370本)あります。 以上、札幌市の広報より。
リラの花散るキャバレーで逢うて 今宵別れる街の角 紅の月さへ瞼ににじむ 夢の四馬路が懐かしや。昭和十三年にヒットした東海林太郎の「上海の街角で」の一節である。私が上海へ行った時には残念ながらリラの花を見ることはなかった。札幌には度々行っているが、ライラックまつりを見たことがない。今年はすでに終わっているとのことだが、来年は是非行ってみたいと思っている。
夜はおとなしく酔狂亭で月下独酌。
昭和34年、「ライラックの花が咲き揃う季節に文化の香り高い行事を行う」という文化人の呼びかけにより始まったのがライラックまつりです。ライラックは昭和35年に札幌の木にも選ばれ、どこの家の庭先でも見かけるほど市民にも親しまれる木となりました。今では、札幌に初夏の訪れを告げるおまつりとして市民の間にも定着し、札幌を代表する春のイベントへと成長しました。約400本のライラックが咲き誇る「大通会場」では、ライラック音楽祭、野外でお茶を楽しむ野だて、スタンプラリー、第50回開催から会場に加わった「川下会場」では、ライラックツアー、川下公園コンサートなど、各会場でさまざまなイベントが行われます。このまつりは札幌市民にとって、半年余りの長い冬からようやく開放され、野外散策を楽しむ季節到来のファンファーレでもあります。ライラックは、別名、リラ、ムラサキハシドイ、ハナハシドイとも呼ばれ、花ことば 白…年若き無邪気さ青春の喜び。紫…恋愛のはじめての喜び。
最古のライラック 明治23年、北星学園の前身であるスミス女学校の創始者サラ・C・スミス女史が、故郷アメリカから携えてきたもので、北大付属植物園に現存しています。 大通公園には約400本(白30本、紫系370本)あります。 以上、札幌市の広報より。
リラの花散るキャバレーで逢うて 今宵別れる街の角 紅の月さへ瞼ににじむ 夢の四馬路が懐かしや。昭和十三年にヒットした東海林太郎の「上海の街角で」の一節である。私が上海へ行った時には残念ながらリラの花を見ることはなかった。札幌には度々行っているが、ライラックまつりを見たことがない。今年はすでに終わっているとのことだが、来年は是非行ってみたいと思っている。
夜はおとなしく酔狂亭で月下独酌。