白雲去来

蜷川正大の日々是口実

横浜市歌の作詞は森鷗外。

2015-06-10 15:08:06 | 日記
六月二日(火)晴れ。開港記念日。

横浜の人しか知らない横浜の歌がある。それは「横浜市歌」である。一九〇九年(明治四十二年)七月一日に横浜港の新港埠頭で行われた「開港五十年記念大祝賀会式典」の席で、初めて披露された。以来、市民に広く歌い継がれている。作詞は森林太郎(森鴎外)、作曲は東京音楽学校教師の南能衛(よしえ)。この曲は、横浜市が東京音楽学校に仲介を委託し、南が作った旋律の上に、森が歌詞を作り、完成させたものである。森に対する作詞謝礼は百円、南に対する作曲謝礼は五十円だった。(横浜市広報)

横浜の市立の小、中、高校などの入学式や卒業式で歌われ、今日の開港記念日は、休校日となる。下の子供が通っているは県立高校なので休みではない。我が家では、私を含めて子供たちは横浜生まれなので、皆歌えるが、愚妻は青森の出身なので、その歌を当然ながら知らない。

横浜市歌
わが日の本は島国よ 
朝日かがよう海に 
連りそばだつ島々なれば 
あらゆる国より舟こそ通え 

されば港の数多かれど 
この横浜にまさるあらめや 
むかし思えば とま屋の煙 
ちらりほらりと立てりしところ 

今はもも舟もも千舟 
泊るところぞ見よや 
果なく栄えて行くらんみ代を 
飾る宝も入りくる港 

様々な所に旅をして、港のある街に行き着くことがある。するといつも頭に浮かぶのが、「されば港の数多かれど、この横浜にまさるあらめや」との横浜市歌の一節である。

更に、浜っ子なら、子供の頃には必ずと言って良いほどやった遊びがある。京急の「上大岡」と言う駅には「お」がいくつあるか、と同じ京急の「金沢文庫」の駅名を言うのに、両手の小指を口の両端に入れて、左右に引っ張って「金沢文庫」という言葉遊び。他愛もないものだが、浜っ子ならではの遊びである。

その開港記念日に、開港祭がおこなわれる。みなとみらい地区で、恒例の花火大会を松本佳展君と彼の友人のお世話で、社友や町内の仲良しさんたちと見学。暗くなるまでは、海風に吹かれながら宴会。花火の時間は三十分と短いのだが、レーザ光線や音楽とコラボした花火は幻想的かつ圧巻である。花火のBGMは「横浜市歌」と「赤い靴」。横浜らしくて良い。
終了後は、町内の仲良しさんと「やまと」に転戦。早めに帰宅。

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イルカが可哀そう。じゃあ闘牛はどうか。

2015-06-10 14:07:58 | 日記
六月一日(月)晴れ。

正午に来客有り。最近、と言ってももう一年は過ぎただろうか、自宅から車で十分ぐらいの所に「蕎麦屋」が出来た。店の名前にひかれて入ったのだが値段の割には量も多く、味も良い。何と言っても蕎麦しか出さないその覚悟が良い。いつもざる蕎麦に暖かい汁を貰って、竹輪とナスの天ぷらを付けてもらう。残念ながら天ぷらはまだイマイチだが、そこはご愛嬌。「蕎麦前」という感じの店ではないのが、呑み助の私にはさみしいが贅沢は言っていられない。来客と一緒に、その蕎麦屋で昼食。

去る、五月の二十日、日本動物園水族館協会(JAZA)は、追い込み漁によって捕獲したイルカを日本の水族館に展示することを断念すると報告した。その理由は、世界物園水族館協会(WAZA)が、「イルカの追い込み漁が残虐」との理由と言うのだから呆れてものも言えない。JAZAの新井会長は、WAZAに対して「何処が残虐なのか教えて欲しいと」と再三問い合わせても、回答はなかったと言う。
不思議な話ではないか、残虐だからやめろ、と言うのであれば、どのように残虐なのか、証明し指摘する義務があるように思うのだが。恐らく、反捕鯨団体のゴロツキどもが、様々な嫌がらせと圧力をWAZAにかけ続けているのに違いあるまい。本当かどうかは知らないが、オーストラリアでは、ロブスターの活き作りは「残虐」ということで禁止されているそうだ。またフォアグラも、単に肝臓を肥大させるためで鴨が可哀そう、キャビアもダメ、という国や平和主義者?がいるそうだ。その連中には豚や牛や鶏は「可哀そう」の範疇には入らないらしい。
豚も、より肉を多めに取るためにわざと胴長の品種を作っていると言う。アボリジニを狩りの対象としていたオーストラリア人が、ロブスターの活き作りが残虐などとは、臍でお茶が湧きそうだ。
私は、野村先生のお供で行ったスペインで闘牛を観たが、残虐と言えばあれほど残虐なものはない。動物園協会と言う偽善者の皆さんもスペイン政府に、闘牛をやめるように圧力をかけたらどうだ。

夜は、北海道の社友から頂いた「たらこ」と「筋子」を肴に独酌。

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撃て、心の米英を。だって。

2015-06-10 13:15:29 | 日記
五月尽(日)晴れ。

愚妻が、冷蔵庫に冷やご飯が沢山あるので「お粥」にしてとのリクエストで、日曜日だと言うのに六時に起きて、大きい土鍋に鳥ガラやこんぶ、鰹節でダシを取って、トロトロと一時間ほど煮込んだ。お粥は一度煮たら、三十分ぐらい冷ましてから再び火にかけると、味がまったりする。薬味はネギをスライスして、ごま油と醤油で味付けしたものを少し入れて一緒に食べる。中華スタイルである。

先日、アマゾンで注文したのが、「世情を写す昭和のポスター」と言う雑誌。これが中々良く出来ていて面白い。戦前、戦中の国家のプロパガンダや啓発ポスター、戦後の商品広告やイベントポスターなど二百点が掲載されている。昭和十八年に国際政経学会という所が制作したポスターが、「敵国アメリカ映画謀略展・撃て心の米英を」というもの。日中戦争以前に上映された映画の三十五パーセントはアメリカ映画だった。その後の為替管理や日米開戦で「敵国映画」となった。アメリカ映画の害毒について啓蒙を図ったものである。それにしても「撃て心の米英を」は中々良い。安部総理の顔を入れて作ってみたい気もするが・・・。

写真は、昭和十四年の朝日新聞のもので、「軍用機献納運動強化」のポスター。「オスプレイ献納」の運動でもして貰いたいものだ。

夜は、すっ飛びで「そごう」まで行って買った「カツオ」を肴に酔狂亭で月下独酌。久しぶりに頭山満先生の「忠孝」の書を掛けてみた。

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