白雲去来

蜷川正大の日々是口実

憧れのハワイ航路

2015-06-19 18:26:59 | 日記
六月十一日(木)晴れ。

梅の実が熟す頃に降る雨・・・梅雨。暦の上では、立春から数えて百三十五日目、すなわち六月十一日か十二日、その日が天気だろうが雨だろうが、全く関係なく決められているらしい。また入梅はあっても出梅はない。ちなみに北海道には、この梅雨が無い。それは梅雨になる前に夏になってしまうからで、緯度の高さのため梅雨前線が北海道まで届かないのが原因と言われている。しかし、この時期には雨の日も多く、北海道の人々はそれを「蝦夷梅雨」とよんでいると、随分前に読んだ渡辺淳一の本で知った。

今日は、車の法定点検。午前中にディラーが車を取りに来た。ハイブリッドにしてからガソリン代が随分と安くなった。以前はワンボックスだったので車体が重かったせいもあり、二か月で三回ほど給油していた。それも一度で六十リットル以上も入ったのに、今では一月に一度満タンにすれば足りている。わずか三十五リットルほどで満タンになるので経済的である。次に乗り換える時は、電気とガソリンの併用で走る車にしたいと思っている。

運が良ければ、もう一度東京でオリンピックが見られるかもしれない。東京で前回のオリンピックが開催された昭和三十九年、私は十四歳で中学の二年生だった。その頃、外国は本当に遠い国で、まして飛行機で海外に行くなど夢また夢のことだった。この年、政府関係者か業務、留学に限られていた日本人の海外渡航が「年一回、外貨持ち出し五百ドル」までの制限つきで自由化された。日本旅行業協会によると、自由化一週間後にハワイツアーが組まれ、羽田から飛び立った。ハワイ七泊九日の旅で料金が三十六万四千円。大学卒の国家公務員の初任給が一万九千円の時代、現在の物価に換算すると、何と四百万円になるそうだ。文字通り庶民には高根の花だった。

私が、初めて海外に出たのは、平成三年の十二月で四十歳の時だった。先生のお供をして連れて行って頂いた香港で飛行機はキャセイパシフィック。成田空港に行った時に、「北ウイング」の表示を見て、中森明菜さんの同名の歌がオーバーラップした。トランクもレンタル、初めて取得したパスポートを持って、香港に着いた時は、感激したものだった。この頃は、飛行機は禁煙ではなかった。いい時代だった。それから、様々な国へ、随分と旅をしたが、成田空港に行くと、明菜ちゃんのその曲が、今でも脳裏を巡る。しかし残念ながら、まだハワイの地を踏んでいない。いつかは、パールハーバーを訪れてみたいと思っている。※写真は初めて行った香港にて。

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