四月二十八日(金)晴れ。
たまに、本当にたまにだが、床屋さんなどで、洗髪する際に下を向くと、すごい眩暈に襲われ、一瞬死ぬかと思うことがある。ちょっと体調が悪いとすべて酒のせいにされる。人に体調のことを言うと、「飲み過ぎじゃないの」と言われるので、なるべく言わないようにしている。正直言って、そう言われると、「俺の何が分かるんだ。ウルセェーよ」と心の中で毒づく。まあ言った自分が悪いのだが、他人が、真剣に自分の体のことを心配してくれるはずがない。(少しいるが)。
最近は、ほとんど毎朝、「しじみの味噌汁」を飲んでいる。そして酒を飲むときには、必ず、「しじみエキス」を服用している。気休めではない。酒を美味しく飲むための療法である。酒を飲まない人には、分からないだろうが、そうしてまでも酒を飲みたいものなのだ。
「酒に関する覚書」というものを書いたのが山頭火。それによると、
酒は目的意識的に飲んではならない、酔は自然発生的でなければならない。酔ふことは飲むことの結果であるが、いひかへれば、飲むことは酔ふことの原因であるが、酔ふことが飲むことの目的であってはならない。何物をも酒に代へて悔いることのない人が酒徒である。求むるところなくして酒に遊ぶ、これを酒仙といふ。悠然として山を観る、悠然として酒を味ふ、悠然として生死を明らめるのである。
まあ私は、山頭火や李白のように「酒仙」には程遠いが、あえて言えば、酒を楽しむ「酒楽」とでも言おうか。そんな訳で、夕方久しぶりに松原商店街に行き、新しく出来た魚屋さんで「かつお」を仕入れて、酔狂亭で月下独酌。
たまに、本当にたまにだが、床屋さんなどで、洗髪する際に下を向くと、すごい眩暈に襲われ、一瞬死ぬかと思うことがある。ちょっと体調が悪いとすべて酒のせいにされる。人に体調のことを言うと、「飲み過ぎじゃないの」と言われるので、なるべく言わないようにしている。正直言って、そう言われると、「俺の何が分かるんだ。ウルセェーよ」と心の中で毒づく。まあ言った自分が悪いのだが、他人が、真剣に自分の体のことを心配してくれるはずがない。(少しいるが)。
最近は、ほとんど毎朝、「しじみの味噌汁」を飲んでいる。そして酒を飲むときには、必ず、「しじみエキス」を服用している。気休めではない。酒を美味しく飲むための療法である。酒を飲まない人には、分からないだろうが、そうしてまでも酒を飲みたいものなのだ。
「酒に関する覚書」というものを書いたのが山頭火。それによると、
酒は目的意識的に飲んではならない、酔は自然発生的でなければならない。酔ふことは飲むことの結果であるが、いひかへれば、飲むことは酔ふことの原因であるが、酔ふことが飲むことの目的であってはならない。何物をも酒に代へて悔いることのない人が酒徒である。求むるところなくして酒に遊ぶ、これを酒仙といふ。悠然として山を観る、悠然として酒を味ふ、悠然として生死を明らめるのである。
まあ私は、山頭火や李白のように「酒仙」には程遠いが、あえて言えば、酒を楽しむ「酒楽」とでも言おうか。そんな訳で、夕方久しぶりに松原商店街に行き、新しく出来た魚屋さんで「かつお」を仕入れて、酔狂亭で月下独酌。