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白雲去来

蜷川正大の日々是口実

労働者階級の諸君!

2017-05-02 14:59:04 | 日記
五月一日(月)晴れ後、にわか雨。

メーデーか。私の子供の頃、通っていた中学のすぐそばにあったのが蒔田公園。終戦直後に、進駐軍の兵舎として接収されていたため、私より上の時代の人は、この公園を「ヘイシャ」と呼んでいた。その公園で、以前は労働者の祭典とやらが行われていた。私の住んでいたアパートの前がデモ行進のコースになっていたので、民族派運動に入った頃は、そのデモコースに、時局対策協議会の浅沼美知雄先生から「メーデー反対」のビラを貰って、前日に、貼って歩いた。労働者と聞くと、「寅さん」が、隣のタコの経営する印刷工場に向かって「労働者階級の諸君」と声をかけるのがすぐに頭に浮かぶ。されど、今時、日本に左翼や右翼に救われるような労働者などいるのだろうか。左翼や右翼の活動家などよりも、労働者の方が余程良い生活をしている。こっちが何とかしてほしいものだ。

私がお世話になっている、I氏と言う人がいる。色々なチェーン店を経営している方だが、この方は、私がお世話になっているにも拘らず、I氏の後輩や友人を私に紹介すると、必ず、その紹介された人から礼状が届く。私が、その人たちに何をしたわけでもないのに、お礼の挨拶状が届くのだ。それは、言うまでもなくI氏の教育の賜物であり、経営者としての礼儀や心構えを後輩や若い人に教えているのだろう。ともすれば、お世話になっても、忙しさにかまけて、つい礼状を書くのを忘れてしまう。反省しきりである。

今月は、親しい人たちや身内の命日が続く。明日は、熊本は本渡諏訪神社の大野康孝さんの一年祭。十日は、私の母の十三回忌。二十三日は、岳父の命日。二十五日は、先輩の小早川久之先生の命日。二十八日は、盟友だった清水常二さんの命日。生者必滅、会者定離か。合掌。


午後から、歯医者。ランドマーク・タワーの中の本屋に寄る。連休中に十冊の読書をしようと決めているので、新刊を探しに行った。山平重樹さんの新刊があると思ったら置いていない。書籍浴を楽しんでいたら、以前岐阜の細川先生から紹介された『愛国とノーサイド・松任谷家と頭山家』(延江浩著・講談社)を見つけて購入。歯医者が終ってからスタバで読んだら、止まらなくなったので、慌てて帰宅。

夜は、酔狂亭で、月下独酌。

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山本周五郎が通った蕎麦屋と鰻屋。

2017-05-02 11:26:03 | 日記
四月三十日(日)晴れ。

良い天気なり。四月も今日で終わりか。特別な感慨はないが、月日の過ぎるのがとても速く感じる。これは年寄りの共通の思いではないだろうか。たまに関内駅までバスで行き、帰りは伊勢佐木町の端から端まで歩いて帰ってくることがある。なぜ関内駅までバスで行くかと言えば、歩いて往復する自信が無いことと、車中で本を読むのが好きだからである。もちろん電車の中でも。特に天気の良い日などは、ウツラ、ウツラしながら読むのがとても気持ち良い。それでは頭に入らないだろうと思うのだろうが、難しいものを読むのではなく、簡単なエッセイみたいなものを読むので、気にならない。

伊勢佐木町を散歩することを「イセブラ」と言ったが、今ではそんなことを言う人はいない。子供のころから慣れ親しんだイセザキだが、明治以来のこの商店街から消えてしまったのが靴屋とおもちゃ屋だ。本屋の有隣堂の近くにあった「おもちゃのまりや」が懐かしい。前の子供が小さい頃には、誕生日やクリスマスには必ずここでプレゼントを買った。大型店も便利だが、車社会になって、商店街の小売店が駆逐されてしまう。時代の流とはいえ寂しい限りである。

伊勢佐木町のはずれ、京急黄金町の近くには、山本周五郎が通った創業は明治三十八年という蕎麦屋の出嶋屋がある。山本周五郎の横浜時代を書いた本を読んだが、当時、本牧は間門と言う所に住んでいた周五郎は、出嶋屋に行くのに、山手の山を越えて歩いて行ったと言うのだから大したものだ。最もタクシーなどほとんどないような時代であるから仕方がないが、一時間ぐらいかかったのに違いない。

また、やはり山本周五郎や山口瞳、画家の柳原良平などが贔屓にしていたのが、うなぎの「八十八」。馬車道にあった店は、一時閉めてしまったが、数年前に伊勢佐木町の入り口、吉田橋にて再開した。うなぎは、最近は、庶民が気軽に食べられるような物ではなくなったが、ハレの日には、八十八でうな重と行きたいものだ。

夜は、タケノコのから揚げ、ジンギスカンを家族で味わう。

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昭和の日か・・。

2017-05-02 10:23:27 | 日記
四月二十九日(土)晴れ。

昭和の日。先帝陛下のご遺徳を偲び、起床後、玄関に国旗を掲げ、武蔵野陵を遥拝。私のように昭和の生まれの者は、とりわけ先帝陛下には思い入れが深い。私の母は、テレビでそのお姿が映ると、必ず居住まいを正していた。

戦前は、天皇誕生日を「天長節」と言っていた。その由来は『老子』の「天は長く地は久し」から来ており、唐の開元十七年八月五日に玄宗皇帝が自分の生日を節名としたことにはじまる。わが国では、第四十九代光仁天皇の宝亀六年十月十三日に、内外百官に酺宴(ほえん)を賜り、を断つ、仍(よっ)てこの日を名づけて天長節と為すと、続日本紀にある。ちなみに皇后陛下のお誕生日は「地久節」と言った。天は永久に尽きず、地も永久に尽きない。つまり天地は長久であること。天地が永遠の存在であるように、わが皇室も長く存続する。という意味だ。

しかし、皇室をお守りする藩屏たるご皇族の数が少ない。皇統を維持するためには、戦後GHQによって廃止された、旧皇族を復活させることが急務であると思う。今上陛下のご譲位の議論がなされている今、是非とも、臣籍降下なされた旧皇族の復活も検討して頂きたいと思っている。

一日、事務所にて機関誌の編集。連休中には発送予定である。夜は、酔狂亭で月下独酌。

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