白雲去来

蜷川正大の日々是口実

雑感。

2019-05-10 12:47:34 | 日記
五月九日(木)曇り。

全く運が悪いとしか言いようがない。信号待ちをしていた保育園の子供たちの列に車が突っ込み二人の子供が亡くなり、保育士や他の子供もけがをした。災難という他に言葉が見つからない。たった二年しか生きられなかった人生と言うのは、何だったのだろう。ご遺族の気持ちを察するに余りある。合掌。

人にもよるだろうが、子供が一番可愛いと思えるのは、赤ちゃんの時から小学生の低学年ぐらいまでだろう。特に、物心がつく五歳ぐらいまではなるべく親と一緒にいた方がいいと思っていたら、先日も、東京で暴走老人によって、近くの公園で遊んでいた親子が亡くなった。保育園などに預けずに、親と一緒にいたからと言っても、事故に遭わないと言う保証はない。人がどれだけ生きられるのかと言うのは、ほとんど「運」でしかない。と思うようになった。

右折車にぶつけられて、子供たちに突っ込んだ人も、ある意味では被害者であると言える。車の事故は、飲酒運転や薬物などによるものは論外だが、加害者だって、ある意味で被害者なのだ。保険の専門家ではないので、詳しいことは分からないが、子供たちの列に突っ込んだ事故だって、右折車の過失が大だと思うが、子供たちを死なせた車の方も過失がゼロとはならないだろう。双方の車にどれくらいの保険に入っているのかは分からないが、当然ながら気の遠くなるような金額の支払いになるのではないか。保険金を頂いたからと言って遺族の気持ちが鎮まるものでもないだろうが、何と言っても誠意は金額に比例する。私も、すでに老境に入り、車の運転には気をつけているつもりでいるが、更に注意して運転をしようと思っている。

車は、「走る狂気」とも言われているが、江戸時代以前、サムライが幅を利かせていた頃、人切り包丁とも言われた、刀を二本差して闊歩していた。武士の時代の記録はないだろうが、その当時、理不尽にも武士の「事故」に遭って亡くなられた人がどれほどいたのだろうか。決して皆無ではあるまい。酒癖の悪い者や、短気で癇癪持ちのサムライもいたに違いない。やはり当時の庶民はサムライに気をつけて歩いていたような気がする。考え過ぎか・・・。

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