五月八日(水)晴れ。
六時に起床。皆が出かけて行ってからのんびりと朝食。人に会う予定もないので、「熱烈餃子」、納豆、ジャガイモの味噌汁。昼は、最近運動をしていないので、おにぎり一つ。夜は、ジンギスカン、豊橋の竹輪と小エビをたっぷりと使った「かき揚」、人参の天ぷら(この二品が家族に大うけだった)。お供は「極ゼロ」小缶三本と「三岳」を少々。川柳に「居候二杯目をそっと出し」と言うものがある。居候ではないが、家族の六つの・目の監視が厳しいからである。焼酎を新たに注ごうとすると、その六つの目がレーザービームを発して私のグラスに注がれる。向田邦子さんの父上が羨ましい。そんな訳で、最近では酔狂亭での酒量が減っています。
私は、めがねと帽子が全く似合わない。顔と頭が大きいのが第一の理由で、まあ似合わない顔に生まれているのがことの真相である。中学生の頃にテレビドラマの「夕日と拳銃」に嵌ったことがあった。檀一雄原作の「馬賊」ものである。そこで主人公の伊達麟之介や馬賊がかぶっていた狐か兎の毛の帽子が欲しくて、当時伊勢佐木町にあった帽子屋に行った。(当時、伊勢佐木町には帽子屋が何軒かあったが、今では一軒もなくなった)、お目当ての帽子に似たものがあってかぶってみて鏡を見たら、大仏様のような自分がいて、その帽子を諦めた。そしてもう馬賊にはなれないとがっかりしたものだ。まあ考えてみたって、戦後の中国に馬賊などいる訳もないのだが。
高校生の頃に、世田谷の環八沿いの「タマリバー」というドライブインでアルバイトをしていた。上野毛の駅で降りて多摩美大の先にその店はあった。駅を降りて信号を渡るとメガネ屋さんがあって、そこのウインドゥにとてもカッコイイサングラスがあって、給料が入ったら必ず買おうと決めていた。そのメガネ屋さんの前を通るたびに、まだ売れていないかと、気になったものだ。給料が入って、そのお店で、店主からそのサングラスを取って頂き、かけてみた。鏡に映った自分を見て情けなくなった。この時に初めて、サングラスがカッコいいからと言って、似合う似合わないのは別なんだと。すみませんと店主に頭を下げて店を出るのにも、かなり勇気が必要だった。
毎年暮れに、上野毛の先の二子玉の居酒屋で友誼団体の忘年会に参加する。上野毛を通るたびに、若き日の恥を思い出す。サングラスを諦めたお金で、自由が丘にあった古書店で『林芙美子全集』を買ったが、揃いと思ったら、一巻だけ別の出版社から出ている物であることを後日気が付いた。ついてないわと言いながら、自由が丘から横浜まで、自分を信じて、ハマに流れて行く十七歳でした。
六時に起床。皆が出かけて行ってからのんびりと朝食。人に会う予定もないので、「熱烈餃子」、納豆、ジャガイモの味噌汁。昼は、最近運動をしていないので、おにぎり一つ。夜は、ジンギスカン、豊橋の竹輪と小エビをたっぷりと使った「かき揚」、人参の天ぷら(この二品が家族に大うけだった)。お供は「極ゼロ」小缶三本と「三岳」を少々。川柳に「居候二杯目をそっと出し」と言うものがある。居候ではないが、家族の六つの・目の監視が厳しいからである。焼酎を新たに注ごうとすると、その六つの目がレーザービームを発して私のグラスに注がれる。向田邦子さんの父上が羨ましい。そんな訳で、最近では酔狂亭での酒量が減っています。
私は、めがねと帽子が全く似合わない。顔と頭が大きいのが第一の理由で、まあ似合わない顔に生まれているのがことの真相である。中学生の頃にテレビドラマの「夕日と拳銃」に嵌ったことがあった。檀一雄原作の「馬賊」ものである。そこで主人公の伊達麟之介や馬賊がかぶっていた狐か兎の毛の帽子が欲しくて、当時伊勢佐木町にあった帽子屋に行った。(当時、伊勢佐木町には帽子屋が何軒かあったが、今では一軒もなくなった)、お目当ての帽子に似たものがあってかぶってみて鏡を見たら、大仏様のような自分がいて、その帽子を諦めた。そしてもう馬賊にはなれないとがっかりしたものだ。まあ考えてみたって、戦後の中国に馬賊などいる訳もないのだが。
高校生の頃に、世田谷の環八沿いの「タマリバー」というドライブインでアルバイトをしていた。上野毛の駅で降りて多摩美大の先にその店はあった。駅を降りて信号を渡るとメガネ屋さんがあって、そこのウインドゥにとてもカッコイイサングラスがあって、給料が入ったら必ず買おうと決めていた。そのメガネ屋さんの前を通るたびに、まだ売れていないかと、気になったものだ。給料が入って、そのお店で、店主からそのサングラスを取って頂き、かけてみた。鏡に映った自分を見て情けなくなった。この時に初めて、サングラスがカッコいいからと言って、似合う似合わないのは別なんだと。すみませんと店主に頭を下げて店を出るのにも、かなり勇気が必要だった。
毎年暮れに、上野毛の先の二子玉の居酒屋で友誼団体の忘年会に参加する。上野毛を通るたびに、若き日の恥を思い出す。サングラスを諦めたお金で、自由が丘にあった古書店で『林芙美子全集』を買ったが、揃いと思ったら、一巻だけ別の出版社から出ている物であることを後日気が付いた。ついてないわと言いながら、自由が丘から横浜まで、自分を信じて、ハマに流れて行く十七歳でした。