五月十八日(土)晴れ。
読んだ本の中に、著者が読み、参考になった本が紹介されていることがある。作家やその内容にもよるが、アマゾンなどで取り寄せてみると、大体良い本が多い。先日も、三十六年ぶりに再読した、向田邦子さんの『霊長類ヒト科動物図鑑』の中に、今の季節ではピンと来ないかもしれないが、新しいカレンダーに取り換える時の気持ちが書いてあった。
「感慨と言えるほどご大層なものではないが、やはりご不浄のタオルを取り替えるのとはわけが違う。多少しんみりした手つきになって、古いカレンダーをすぐに紙くず箱に叩き込むには忍びない」と書いている。我が家のは、日付の下に書き込めるようになっている実用的なもので、知り合いの建設会社の方から頂いたものを使っている。ひと月ごとに、捨ててしまうので、向田さんのような感慨はなく、ポイっと捨ててしまう。過去のことを調べるのには、このブログや、毎日つけている「食日記」があるので、過ぎた月のカレンダーに用事はないが、向田さんの気持ちも分かる。
その文章の中に吉屋信子の「手のつかぬ月日ゆたかや初暦」という句が紹介されていた。「車谷弘氏の名著『わが俳句交遊録』の中でこの句を見つけた」とあったので、早速取り寄せた。今は、便利で古書を探すのに古書店めぐりをしなくて済む。新刊本はなるべく書店で買うようにしているが、古書はネットで探すのが便利で良い。二日程で届いたが、向田さんが「名著」と紹介していただけあって、とても良い本で、何か得をしたような気持ちになった。吉屋信子と言えば、入ったことはないが鎌倉に記念館がある。記憶が違っていなければ、確か葦津珍彦先生のご自宅のすぐ近くではなかったか。野村先生のお供をした時に、「あれ。こんな所に」と思った記憶がある。
読書の「連鎖」とでも言おうか、こうして本が増えて行くのは楽しいことだ。ただ残念なのは、私の場合、酒で頭が少々腐ってしまい、読んでも知識が身に付かないことだ。
夜は、我が酔狂亭にて月下独酌。肴は、小エビとキノコの「アヒージョ」、海のない所に住んでいる友人が送ってくれた「マグロ」。お供は、「いいちこ」を凍らせたレモンを氷代わりにしてのソーダー割。何となくいい一日だった。
読んだ本の中に、著者が読み、参考になった本が紹介されていることがある。作家やその内容にもよるが、アマゾンなどで取り寄せてみると、大体良い本が多い。先日も、三十六年ぶりに再読した、向田邦子さんの『霊長類ヒト科動物図鑑』の中に、今の季節ではピンと来ないかもしれないが、新しいカレンダーに取り換える時の気持ちが書いてあった。
「感慨と言えるほどご大層なものではないが、やはりご不浄のタオルを取り替えるのとはわけが違う。多少しんみりした手つきになって、古いカレンダーをすぐに紙くず箱に叩き込むには忍びない」と書いている。我が家のは、日付の下に書き込めるようになっている実用的なもので、知り合いの建設会社の方から頂いたものを使っている。ひと月ごとに、捨ててしまうので、向田さんのような感慨はなく、ポイっと捨ててしまう。過去のことを調べるのには、このブログや、毎日つけている「食日記」があるので、過ぎた月のカレンダーに用事はないが、向田さんの気持ちも分かる。
その文章の中に吉屋信子の「手のつかぬ月日ゆたかや初暦」という句が紹介されていた。「車谷弘氏の名著『わが俳句交遊録』の中でこの句を見つけた」とあったので、早速取り寄せた。今は、便利で古書を探すのに古書店めぐりをしなくて済む。新刊本はなるべく書店で買うようにしているが、古書はネットで探すのが便利で良い。二日程で届いたが、向田さんが「名著」と紹介していただけあって、とても良い本で、何か得をしたような気持ちになった。吉屋信子と言えば、入ったことはないが鎌倉に記念館がある。記憶が違っていなければ、確か葦津珍彦先生のご自宅のすぐ近くではなかったか。野村先生のお供をした時に、「あれ。こんな所に」と思った記憶がある。
読書の「連鎖」とでも言おうか、こうして本が増えて行くのは楽しいことだ。ただ残念なのは、私の場合、酒で頭が少々腐ってしまい、読んでも知識が身に付かないことだ。
夜は、我が酔狂亭にて月下独酌。肴は、小エビとキノコの「アヒージョ」、海のない所に住んでいる友人が送ってくれた「マグロ」。お供は、「いいちこ」を凍らせたレモンを氷代わりにしてのソーダー割。何となくいい一日だった。