白雲去来

蜷川正大の日々是口実

映画館の思い出。

2020-06-18 17:19:17 | 日記
六月七日(日)晴れ。

昨日、映画『太陽がいっぱい』のことにちょっと触れたが、私が十代の頃は、洋画といえば、フランス映画かイタリア映画が主流だった。映画評論家ではないので、専門的なことは分からないが、アランドロンやジャンポール・ベルモント、ジャンギャバンなどの主演映画。イタリア映画では、忘れられないのは『自転車泥棒』やソフィア・ローレンの『ひまわり』など。映画館に行くのが、ある意味で贅沢な娯楽だった。

デートも、映画を見てから食事、と言うのが定番だった。最も、二人分のお金を工面するのが大変で、アルバイトに精を出した。それから五十年・・・。ほとんと映画館に行かなくなった。最後に見たのは、『ミッション・イン・ポッシブル』か。その昔、横浜にはずいぶんと映画館があった。伊勢佐木町の一本裏通りの若葉町と言うところには、洋画系の「日劇」、「千代田劇場」、「名画座」、「大勝館」といった二本、三本立ての映画館があり、土曜日などはオールナイトで営業していた。

「連続ピストル射殺事件」で死刑となった永山則夫が、逃走中に若葉町の「大勝館」で夜を明かした。と言うことを知り、へぇーっと思ったことがある。今はヘルス街として有名な曙町に「新東宝」の映画館があって、そこで『明治天皇と日露大戦争』を見た。伊勢佐木町のずーっとはずれの「お三宮商店街」の「金美館」では、『ゴジラ』の第一作と『月光仮面』、確か『サタンの爪』を見た。

伊勢佐木町には、「日活」、「東映」、「大映」、長者町の松竹の封切館の「松竹」、洋画の封切館の「ピカデリー」、「第二東映」。馬車道には「東宝」、「スカラ座」、「横浜宝塚」。日ノ出町には「日の出東映」、野毛には、ピンク映画専門の「文化劇場」と今でも営業している「光音座」ニュース映画専門の「ニュース劇場」。そこで『十三階段への道』を見た。「文化劇場」で、なぜか普通?の映画をやっていて、『撃墜王アフリカの星」を見て感激し、以来ドイツの戦争映画のファンになった。そういえば横浜橋商店街にも映画館があって、確か「ハマギン」。井土ヶ谷の東映系の映画館では二・二六事件を題材にした『脱出』を見た。

きりがないので止めます。本日、機関誌『燃えよ祖国』の最新号(二五九号)を発送。この購読料が、二十一世紀書院を支えています。宜しくお願いいたします。

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太陽がいっぱい。

2020-06-18 14:26:16 | 日記
六月六日(土)曇り。

のんびりと起きた。雨戸を開けると太陽がまぶしい。そういえば、初めてレコードを買ったのは、アランドロン主演の映画『太陽がいっぱい』のサウンド・トラック盤だった。伊勢佐木町のはずれにあった美音堂というレコード店で中学一年生の時。映画の公開は一九六〇(昭和三十五)だから、その三年後にレコードを買ったわけだ。確か、ラジオから流れたその曲に心打たれ、買いに行ったことを覚えている。後年、その映画の舞台にもなったシチリア島に行ったときには、とても感激した。

映画『太陽がいっぱい』の原題は、パトリシア・ハイスミスの小説『The Talented Mr. Ripley(才人リプリー君)』。こんな名前で公開されていたのなら、ヒットはしなかったに違いあるまい。外国映画を原題とは違って、日本人受けする名前にするというのを知ったのは、ずいぶん後のこと。例えば、一九八二年にリチャード・ギアの主演でヒットした『愛と青春の旅だち』の原題は(An Officer and a Gentleman「士官と紳士」)である。意味が分からん。

まあそんなことはどうでも良い朝の食事は、白菜ときくらげのあんかけ、親子丼の頭、ウェイパーを使った小松菜のスープ。昼は、FBFのDr菊池さんに教わった六川街道のマルエツのビルに入っているラーメン屋、「ロ麺ズ」にて味噌ラーメン。夜は、「ロ麺ズ」の前にある魚屋で買ったマグロの刺身、鶏のから揚げ、山芋の糠漬け。お供は「黒霧島」。

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