白雲去来

蜷川正大の日々是口実

ハンキンは死語か。

2020-06-24 13:44:08 | 日記
六月十二日(金)晴れ。

金曜日か。その昔に「ハナキン」なんていう言葉があったが、今でも若い人の間で使われているのだろうか。昭和の頃は土曜日は、多くの職場や学校は「半ドン」(これも使われているのだろうか)だった。意味は、正午を知らせる大砲の「ドン」という音があることから、午後が休みの所は仕事が半日のことを「半ドン」と言うようになった。まあどうでもよい話だが。

朝食は、「深夜食堂」に影響されて「トン汁」、赤魚の粕漬、納豆。昼食は無し。夜は、友人と、近所の「廣すし」にて密なる一献会。酔っていたのか、カウンターの椅子を我が家の背もたれのあるものと勘違いして、寄り掛かったところ、そのまま後ろに倒れてしまった。私よりも、お店の人や、一緒に行った人が大慌て。ちょっと恥ずかしかった。

帰宅後に、ネットフリックスで、『オペレーション・フィナーレ』を見た。解説によれば、二〇一八年制作のアメリカ合衆国の映画。
“ホロコーストの実行人”といわれた元ナチス親衛隊将校アドルフ・アイヒマンの逃亡生活を追跡し、逮捕へと繋げたイスラエル諜報特務庁(モサド)の諜報員の活躍を描いた作品。中々良かった。アイヒマンに関する映画は以前にも見たことがある。確か、裁判の記録を映画にした『アイヒマン・ショー』だったと思う。

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細かい話ですみません。

2020-06-24 13:13:43 | 日記
六月十一日(木)晴れ後雨。

朝は、いつも取り置きしている名古屋の「吉田めん」の「味噌煮込みうどん」。昼は、重慶飯店の「ちまき」、「肉まん」。夜は、珍しくよさげな「メジマグロ」を発見し、それを肴に月下独酌。お供は「黒霧島」。

何でもコロナを理由にすれば許される時代。そのコロナのために二か月ほど床屋に行っていなかった。朝食後に近所の床屋へ。大して切るような髪もないが、さっぱりした。床屋さんも、やはりコロナの影響で暫く暇だったとのこと。終了後に事務所に行き、機関誌の印刷。私の所の機関誌『燃えよ祖国』だが、本当はもっと多くの人に読んでもらいたいし、運動仲間から購読料を頂くのは気が引ける。しかし、何せ経費が掛かりすぎる。表紙専門の印刷機のインクが四色。一本一万六千円もする。これを約二か月半に一回四本取り寄せる。

そして専門の用紙。これは四回に一回。封筒は大したことがないが、郵送費も大変である。ずいぶん前は、郵便局でしか送ることが出来ず、何とか送料百四十円で済ますために、封筒を入れた重さを百四十円以内にして雑誌を作った。今は、二センチまで、という決まりはあっても、重さは気にせずに発送ができる。発行部数(これはどの団体でも企業秘密)がそれなりに多いので、毎月かなりの負担になる。何とか「贈呈」を減らそうかと思うが、様々な所でお世話になっている方に失礼があってはいけないで、発送している。機関誌と言うものは「読んで貰って幾ら」なので、何とかもっと体力をつけて、夢は民族派の機関誌で発行部数、日本一を目指したいと思っている。

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