9月10日(木)曇り。
朝に秋を感じるようになった。野村先生の句集『銀河蒼茫』の「秋の部」の最初の句は、「まためぐる秋のさみしさ 天の濃さ」てある。残念ながら今日は曇り。「天の濃さ」が見えない。その天の彼方にある外国にもこのコロナ禍で当分行けそうにもない。もう若くはない。元気でいるうちにもう少し旅をしてみたいものだ。
私が海外旅行に憧れたのは、五木寛之氏の本、『青年は荒野を目指す』を読んだ十代の後半の頃であったと思う。しかし、その頃の外国は本当に遠い存在で、今のように気軽に行けるような環境も整備されておらず、個人的にも海外へ行くという経済的な余裕もなかった。笑い話などではなく、一九六〇年代、知り合いや近所の人が海外旅行に行くと聞くと、餞別を届け、羽田空港の見送り場で万歳を三唱したものだ。確か、日本から外貨(ドル)の持ち出しが千ドルまでと決められていた時代である。
その頃から私が憧れる外国と言えば、ハワイやニューヨーク、あるいはパリやローマといったヨーロッパの国々よりも、なぜか上海であった。それは、私が中学の時に放映された、馬賊の伊達順之助をモデルにしたテレビドラマ『夕日と拳銃』の影響が大きい。そのテレビドラマに影響され、戦前に日本人が中国で活躍した本を読んでいるうちに、「魔都」とも別称された上海と言う街が醸し出す妖しげな魅力に惹かれたのである。
もちろん戦後の上海に、児玉誉士夫先生や伊達順之助らが関わったであろう特務機関や、上海のマフィアであった金黄栄や杜月笙などが存在するはずもないことは知っていた。しかし、そういった人達が暗躍した街並やホテルが残っていることを知り、いつの日かその街を歩いてみたいと言う思いを抱いていた。
その上海行きの夢が実現したのは、五木寛之氏の本を読んでから四十年も後のことで友人のご厚意で万博の開催されていた上海を訪れた。※2010・6月。上海、ガーデンブリッジにて。
朝に秋を感じるようになった。野村先生の句集『銀河蒼茫』の「秋の部」の最初の句は、「まためぐる秋のさみしさ 天の濃さ」てある。残念ながら今日は曇り。「天の濃さ」が見えない。その天の彼方にある外国にもこのコロナ禍で当分行けそうにもない。もう若くはない。元気でいるうちにもう少し旅をしてみたいものだ。
私が海外旅行に憧れたのは、五木寛之氏の本、『青年は荒野を目指す』を読んだ十代の後半の頃であったと思う。しかし、その頃の外国は本当に遠い存在で、今のように気軽に行けるような環境も整備されておらず、個人的にも海外へ行くという経済的な余裕もなかった。笑い話などではなく、一九六〇年代、知り合いや近所の人が海外旅行に行くと聞くと、餞別を届け、羽田空港の見送り場で万歳を三唱したものだ。確か、日本から外貨(ドル)の持ち出しが千ドルまでと決められていた時代である。
その頃から私が憧れる外国と言えば、ハワイやニューヨーク、あるいはパリやローマといったヨーロッパの国々よりも、なぜか上海であった。それは、私が中学の時に放映された、馬賊の伊達順之助をモデルにしたテレビドラマ『夕日と拳銃』の影響が大きい。そのテレビドラマに影響され、戦前に日本人が中国で活躍した本を読んでいるうちに、「魔都」とも別称された上海と言う街が醸し出す妖しげな魅力に惹かれたのである。
もちろん戦後の上海に、児玉誉士夫先生や伊達順之助らが関わったであろう特務機関や、上海のマフィアであった金黄栄や杜月笙などが存在するはずもないことは知っていた。しかし、そういった人達が暗躍した街並やホテルが残っていることを知り、いつの日かその街を歩いてみたいと言う思いを抱いていた。
その上海行きの夢が実現したのは、五木寛之氏の本を読んでから四十年も後のことで友人のご厚意で万博の開催されていた上海を訪れた。※2010・6月。上海、ガーデンブリッジにて。