白雲去来

蜷川正大の日々是口実

ポークソテー・ハワイアンスタイル。

2020-09-02 16:52:07 | 日記
8月23日(日)晴れ。

日曜日と言うことで、家族に合わせてのんびりと起きた。朝食を作るのが面倒なので、「ほっともっと」で、好きな「特のりタル弁当」で済ます。夜は、浅草の蕎麦屋「甲州屋」の名物、「かた焼きそばのカレーあんかけ」を真似て、焼きそば(細めんだが)のカレーあんかけ、他は、スーバーAOKIの餃子、マグロのみそ漬け。お供は、「黒霧島」。

昼間に、家族でどこかレストランにでもと思ったが、ファミレスの流行りもあってか、いわゆる町のレストランが随分と少なくなった。伊勢佐木町にあった「レストラン小西」。ここで初めて洋食を食べた。洋食と言っても、ハンバーグやポーク・ソテー、やポーク・チャップ、エビフライ、カツライスと言ったものだ。どこのレストランに行っても、ハンバーグは鉄板で出てきたし、エビフライは、銀の皿だった。

今考えるとおかしいのは、「ポーク・ソテー・ハワイアンスタイル」というものがあった。パイナップル・ソース?で味付けしてあって、ポークソテーの上に缶詰のパイナップルが一枚乗っていた。子供の頃は、それが普通に「ハワイアンスタイル」だと思っていた。ケチャップ味のスパゲティーがナポリタン。ミートソースがイタリアン何てイタリア人が聞いたら、ひっくり返るのに違いあるまい。

その国の料理は、国を遠ざかるほど姿かたちや味が変わって行く。と教えてくれたのは野村先生で、その話を聞いた場所はベネチアの国際酒家という中華料理屋で世にも不思議な「クラゲの酢の物」を食べている時だった。

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尊攘義軍十二烈士女 七十五年祭

2020-09-02 15:53:56 | 日記
8月22日(土)晴れ。

尊攘義軍十二烈士女 七十五年祭が愛宕神社にて行われ出席。新橋の駅にて大熊雄次氏らの諸兄と待ち合わせて愛宕神社へ。この神社は、桜田門外の変の際に、水戸の浪士らが集合、出発した場所としても知られている。蝉しぐれの響く中で、夕方五時に慰霊祭開始。五時半より、顕彰会による慰霊祭を行った。

尊攘義軍とは、大東亜戦争の終戦に際し、降伏に反対し徹底抗戦を主張していた尊攘同志会は、昭和二十年八月十六、十七日に木戸邸を襲撃するが目的を果たせず愛宕山に篭城した。特高が解散の説得を試みるも、篭城した尊攘同志会十名は、二十二日の午後六時に「天皇陛下万歳」を叫び手榴弾で自決したのである。そして、その五日後、尊攘同志会自決現場で夫人二名が夫のあとを追ひ拳銃自決。この十二名が「尊攘義軍十二烈士女」である。

本来ならば75年祭と言う節目の年でもあり、盛大に執り行われたのだろうが今年はコロナの影響もあり、式典を簡略化し直会もなし。それでも様々な会合や集会が中止を余儀なくされたので、顕彰会代表の犬塚博英先輩ら同志、諸兄と久しぶりにお会いし嬉しかった。しかし直会のない会合と言うのも何か味気ない。終了後に友人と打ち合わせのために錦糸町へ。叙々苑から馴染みのスナックに転戦して帰宅。

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とにかくお疲れ様でした。

2020-09-02 15:52:39 | 日記
8月21日(金)晴れ。

これを更新しているのが月が替わって9月の2日。忙しいを言い訳に遅れに遅れている。そんなに大した日常を過ごしている訳でもないのに、つい惰性に流されてしまう。スーダラ節(わかるかなぁー)状態である。

安倍さんかやめてしもうた。(アレ。標準語でなくなった)好き嫌い、良し悪しは別にして、歴代在位一位の七年八か月。後をやる人はさぞかし大変なことだろう。是非とも、わが日本丸を良い方向に導いてもらいたいものだ。安倍総理の体調が悪いとのこと。潰瘍性大腸炎が、まさか大腸がんとなってしまったのかどうかは分からないが、先日の検査で、医者から引導を渡されたのかも知れない。とにかく、平癒を祈る次第です。まずはご苦労様でした。

夜は、近くの寿司屋「浜一」にて古い友人と密なる一献会。

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