11月16日(月)晴れ。
朝食は、最近多い「昭和飯」。マルシンのハンバーグ、ナポリタンと目玉焼き添え、豆腐の味噌汁。昼は、コンビニのカレーナン・ドック。夜は、カツオの刺身、牛丼。お供は「佐藤の黒」。
午後に、元野村先生の秘書をしていた沖縄の金城薫君の友人で、群青忌にも参列して頂いた方が来訪。その人は、コロナの前はパラオでお店を経営しながら戦跡慰霊や案内の仕事をしていたという。パラオの空港が改装し新しくなったが、このコロナで開店できずにいるという。
私も戦跡慰霊には関心があって、過去にサイパン島、テニヤン島、沖縄で同志らと実施したことがある。戦跡の慰霊よりももっと大変なのが慰霊碑、慰霊塔の管理と保存である。慰霊碑、塔は誰のために、また何のために作るのか。言うまでもなく、そこで亡くなられた方々の慰霊、そしてご遺族のためである。
しかし、戦後すでに75年。実際に戦争を経験している人は90歳を過ぎている。ご遺族も終戦の年に生まれた方も75歳である。果たして、外地で戦死なされた方々の慰霊碑・塔に参拝できるのだろうか。更に孫、ひ孫の時代には、祖父、あるいは曽祖父が大東亜戦争で亡くなられたことを知っているのだろうか。
一口に「遺族」と言うが、何代も前の祖先を敬う気持ちが持続するのだろうか。「遺族」は大東亜戦争だけではない。日清、日露の戦役でも多くの方が亡くなられた。その英霊の慰霊、追悼は行われているのだろうか。もちろん靖国神社があり、そこに詣でることが慰霊であるかも知れない。私たちは、今日の日本の平和と繁栄の礎となった方々の慰霊のあり方を真剣に考えなければならない時期に来ていると思う。