白雲去来

蜷川正大の日々是口実

野分祭のこと。

2020-12-07 13:22:18 | 日記

11月24日(火)曇り。野分祭。

明日は、昭和45(1970)年11月25日、東京の市谷台にある自衛隊の東部方面総監室にて憲法の改正などを訴えて自決した三島由紀夫、森田必勝両烈士の死から50年となる。野分祭は、自決なされた森田必勝烈士の自決前夜の思いを共有しようという趣旨で、烈士の辞世、「今日にかけて かねて誓ひし我が胸の 思ひを知るは 野分のみかは」から命名された。

当初は一水会が中心となって元楯の会の会員、民族派の学生運動の出身者らによって斎行されていたが、近年の野分祭は一水会から離れて、楯の会の一期生の伊藤好雄さんが祭主となって開催している。

随分前の野分祭で、司会を務めた犬塚博英先輩が、今日は全員「正座」で行うと言い、亡くなられた大野康孝宮司が心のこもった超、長文の祝詞を読んだ。日頃、日本の伝統文化を守れ。などと言いつつ普段正座などしたことのない私は、足が痺れて感覚がなくなっていった。間の悪いことに畳の部屋は満席で、私は廊下の板の間にいた。

祝詞が終わって、玉串の奉奠となった時、立ち上がれない人が続出。無理して立ち上がった人の中には転げる人もいた。私は、もし指名されたらどうしようかと、冷や冷やしていた。そんな雰囲気の中で、犬塚先輩が、「腹を切った森田の痛みに比べたら、足の痺れぐらいなんだ」と喝を入れた。それを聞いた私は、亀のように首をすくめたのです。野分祭を迎えると、いつもこの時のことを思い出す。

野分祭には、個人的な思いがあって随分と出席していない。来年は、伊藤先輩にご挨拶をして森田烈士のお墓に詣でたいと思っている。


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新嘗祭。

2020-12-07 13:22:18 | 日記

11月23 日(月)晴れ。新嘗祭。

起床後に、玄関に国旗を掲げ、皇居を遥拝。北海道の北の果ての大学で農業に従事していた頃、この日は「収穫祭」で、お菓子など、「アマシャリ」(甘味料)が出た。懐かしいなぁー。公麿ではないが、あれから30年。星霜は移り、人は去りか・・・。

昼食を兼ねた朝食は、「ほっともっと」の天ぷらと鶏のから揚げ、「今だけ百円」の「豚汁」。夜は、性懲りもなく30点程度のカツオのタタキ、牡蛎のオイスターソース炒め、タコの重くてもカルパッチョ、ジャガイモとあっかんベーコン炒め。新嘗祭につき、モエシャドンを開けた。オキさんの顔が浮かんだ。(分かる人には分かる)

最近、アワビの刺身とか硬いものがどうも苦手である。見ると、クールファイブの「東京砂漠」が浮かぶ。「アーアあなたは入れ歯、私は差し歯・・・」オヤジには分かる。


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子供の誕生日。

2020-12-07 13:22:18 | 日記

11月22日(日)晴れ。

コロナが終息しない。連日の罹患者の発表を聞いていると憂鬱になる。人類の英知を持って一日も早く抑え込んでもらいたいものだ。相変わらず飲食店の「密」がやり玉に上がっている。「飲んで騒いではだめだ」。と聞くと、連想ゲームのように、森繁久彌の「飲んでぇー騒いでぇー、丘に登ればぁー」と「知床旅情」が浮かぶ。実にくだらん。自分自身に「喝」だ。

今日は、上の子供の誕生日。「いい夫婦の日」だから忘れることは無い。前から予約していたランドマークタワーのロイヤルパーク・ホテルの地階、「よこはま」という鉄板焼きで家族揃っての食事会。愚妻が、何でも、何とかイートという食事券を買った。一万円買うと二千五百円プラスになるそうだ。家族四人分で一万円お得。私は、企画と立案、人脈を使うから、支払いは頼む。とかなり虫の良いお願いをして、年に一度か二度のハレの食事会。

いやはや浪人風情にはいささか身分不相応な食事だが、皆さん喜んでくれてメデタシ、メデタシ。


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