9月9日(木)雨。重陽の節句。
重陽と言えば、頭に浮かぶのが有名な王維の「九月九日山東の兄弟を憶う」という漢詩。これが王維17歳の時の作と言うのだからへぇー。と言う感じになる。この詩は、やはり王維の「元二の安西に使いするを送る」と並んで有名である。
独り異郷に在って異客と為り
佳節に逢う毎に倍ます親を思う
遥かに知る兄弟高きに登る処
遍く茱萸(しゅゆ)を挿して一人を少(か)くを
菊の節句といえども、朝から「菊酒」を飲む気にもなれずに、在宅で仕事中の子供と「塩ラーメン」、餃子。夜は、牛丼、アコウダイの西京漬け、ポークソーセージ。休肝日とした。寝しなに、久しぶりに宇垣纏の『戦藻録』下巻、昭和19年9月の項を読む。「本朝七時以降ダバオ方面三か所に敵艦上機二八〇機来襲す。すなわち七、八両日ヤップ、パラオ方面を攻撃せる敵機動部隊は転進してミンダナオに来襲せるものにして、午後索敵の結果判明せる所左のごとし。(中略)本攻撃はパラオ、ヤップ方面攻略の援護の目的に出でたるものと観測せらるるところ、我が飛行機の大部は回避しあり。局地防空のほか大なる抵抗なきに乗じ敵の跳梁は相当なりしを疑わず」。
この年の七月にはサイパン島が陥落。戦況はますます悪化の一途をたどる。宇垣の日記にも、「局地防空のほか大なる抵抗なきに乗じ敵の跳梁は相当なりしを疑わず」と危機感にあふれている。宇垣も重陽の節句を楽しむ余裕などなかったに違いあるまい。何もすることがない時、盟友が送ってくれたこの本を開く。いつも背筋の伸びる思いになる。