白雲去来

蜷川正大の日々是口実

台風に女性の名前?

2021-09-05 17:47:12 | 日記

9月1日(水)曇り。

立春から数えて210日目、所謂、この日には台風が上陸して農作物に被害を及ぼすといわれてきた。何年か前の台風で、我が家のテレビアンテナが倒れた。子供の頃は、台風が来ると良く停電したが、最近ではほとんど記憶がない。台風が来るという情報があると、母がロウソクを用意して、「今夜は缶詰を開けよう」と。電気の消えた暗い部屋で、ろうそくの明かりで「鮭缶」や「サンマのかば焼き缶」を開けるのが嬉しかった。「今日は、特別に『桃の缶詰』を開けるから』。台風の夜は、何か普段以上に母との連帯感があり、当時は高級品だった缶詰を食べられるのがとても嬉しかった。特に「白桃」の缶詰など一年に数えるほどのごちそうだった。

九州や四国の「台風銀座」に住む人たちには申し訳ないが、横浜などにいると個人的には台風の被害に遭った、という記憶がない。詳しいことは知らないが、アメリカでは大型の台風(ハリケーン)に女性の名前を付けるらしい。キャサリン(カスリーン)台風、キティ台風、ジェーン台風など。遊び心があっていい。などと言ったら怒られるかもしれない。日本では、室戸台風、伊勢湾台風、42年ぶりに名前の付いた令和元年の「令和元年房総半島台風」、同じくその年の10月の台風19号は「令和元年東日本台風」と命名されたそうだ。今日は「防災の日」。地震だけではなく、台風も避けてもらいたいものだ。

九月最初の朝食は、サバの文化干し、たらこ、大根の味噌汁。昼は、トースト一枚。夜は、メンチカツ、キャベツ千切り添え、鶏とゴボウのから揚げ、キャベツと豚肉炒め。お供は「黒霧島」。頂き物のブドウをロックグラスに入れた「ブドウ割り」。酔狂亭にて独酌。


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八月の終わりが憂鬱だった子供の頃。

2021-09-05 14:32:19 | 日記

8月31日(火)晴れ。

八月も今日で終わり。小、中、高校の時は夏休みが終わり、明日から新学期が始まり、学校に行かなければならないかと思うと、とても憂鬱になった。50年以上も前のことなのに、その子供の頃の「憂鬱」な思いが甦ることがある。当時は「勉強」と「算数(数学)」と言う言葉を聞くと、蕁麻疹が出るほどその二つが嫌いだった。そのせいか今でも両手の指以上の数を数えるのが苦手である。だからお金が溜まるわけがない。全日空(ANA)の創業者である美土路(みどろ)昌一氏の評伝のタイトルは『現在窮乏・将来有望』(早房長治著)と言うものだが、この歳になると「将来」に希望などあるわけもなく、終わりのない「現在窮乏」の状態が続くだけである。

八月の終わりの朝食は、紅鮭のカマ、「つた金」の味付け海苔、ウエイパーで卵スープ。昼は、マルちゃんの「ワンタン・スープ」。夜は、カツオ、山芋の千切りに「海苔のつくだに」合え、焼うどん。お供は「黒霧島」。酔狂亭にて独酌。

 


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