9月14日(火)曇り。
夜、私の自宅の近くの寿司屋で、今年の群青忌・墓前祭に関する打ち合わせ会を行った。緊急事態宣言下で遠方から関係者に来て頂くのは、主催者側としては申し訳ない。また、今月一杯で緊急事態宣言が解除されたとしても、再度、コロナの流行がないとは断言できない。結果として、今年の墓前祭は中止と言うことに決定した。しかし、野村先生の法事を行わないわけには行かないので、10月16日(土)の午前11時より、菩提寺にて先生のご親族、近親者、門下生にて墓前祭を執り行うことになった。恐縮ですが、ご理解頂けましたなら幸いです。
小説家で文芸評論家でもあった丸谷才一さんの句に「仮縫いで二三歩あるく銀座かな」と言うものがあると、先日購入した『銀座で逢ったひと』(関容子著・中央公論新書)で知った。不勉強で著者の方を知らず、本の帯に「著者が銀座で逢った、忘れ得ぬひと、三十八名」の名前にひかれて購入した。素晴らしい文章に魅せられたが、それもそのはず、著者の関さんは、有名なエッセイストで様々な賞を受賞している方。失礼しました。
いや背広の話だ。考えてみると、もう長いこと背広を仕立てていない。まあ「吊るし」の背広で間に合うこともあるが、コロナが長引き、会合なども少なくなり、背広を着て出かける機会がめっきりと少なくなった。加えて古来稀な歳となり、おしゃれをして狭斜の巷へ出かける色気と意欲がなくなったからだ。追い打ちをかけるように、二年ほど前に納戸にしまっておいたお気に入りの背広が四着も虫に食われた。後ろ髪を引かれたが、仕方がないのでエイ、ヤッと皆捨ててしまった。たまにの友人たちとの食事会も、なるべく背広を着なくても良い店を選んで行っている。背広の「仮縫い」か。懐かしい言葉となった。ベルサーチにアルマーニが、ベルマッチとアルマジオと聞こえる今日この頃です。