白雲去来

蜷川正大の日々是口実

「仮縫い」が懐かしい。

2021-09-27 18:14:48 | 日記

9月14日(火)曇り。

夜、私の自宅の近くの寿司屋で、今年の群青忌・墓前祭に関する打ち合わせ会を行った。緊急事態宣言下で遠方から関係者に来て頂くのは、主催者側としては申し訳ない。また、今月一杯で緊急事態宣言が解除されたとしても、再度、コロナの流行がないとは断言できない。結果として、今年の墓前祭は中止と言うことに決定した。しかし、野村先生の法事を行わないわけには行かないので、10月16日(土)の午前11時より、菩提寺にて先生のご親族、近親者、門下生にて墓前祭を執り行うことになった。恐縮ですが、ご理解頂けましたなら幸いです。

小説家で文芸評論家でもあった丸谷才一さんの句に「仮縫いで二三歩あるく銀座かな」と言うものがあると、先日購入した『銀座で逢ったひと』(関容子著・中央公論新書)で知った。不勉強で著者の方を知らず、本の帯に「著者が銀座で逢った、忘れ得ぬひと、三十八名」の名前にひかれて購入した。素晴らしい文章に魅せられたが、それもそのはず、著者の関さんは、有名なエッセイストで様々な賞を受賞している方。失礼しました。

いや背広の話だ。考えてみると、もう長いこと背広を仕立てていない。まあ「吊るし」の背広で間に合うこともあるが、コロナが長引き、会合なども少なくなり、背広を着て出かける機会がめっきりと少なくなった。加えて古来稀な歳となり、おしゃれをして狭斜の巷へ出かける色気と意欲がなくなったからだ。追い打ちをかけるように、二年ほど前に納戸にしまっておいたお気に入りの背広が四着も虫に食われた。後ろ髪を引かれたが、仕方がないのでエイ、ヤッと皆捨ててしまった。たまにの友人たちとの食事会も、なるべく背広を着なくても良い店を選んで行っている。背広の「仮縫い」か。懐かしい言葉となった。ベルサーチにアルマーニが、ベルマッチとアルマジオと聞こえる今日この頃です。


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今の政治家は小粒?

2021-09-27 17:49:39 | 日記

9月13(月)晴れ。

自民党の総裁選挙で政治の話題は総裁選一色。立民などの野党は、「俺たちも取り上げろ」と見苦しいアピールを続けているが、好き嫌いは別として、自民党の総裁になる人が、我が国の総理大臣となるのだから、マスコミも、野党などに構ってはいられないのだろう。自民党の四候補、失礼ながら「帯に短し、襷に長し」と言った感じか。

名前は失念したが、ある政治評論家が、「自民党の政治家も小粒になった」と言っていたが、良く分かる。良く分かるというのは、その評論家が若い頃には、取材する、あるいは評論する対象の政治家は、恐らく自分よりも年上、きっと自分の父親と同じ年齢の政治家が多かったのではないだろうか。私が、民族派運動に入った頃の大物政治家、例えば、岸信介、佐藤栄作、池田勇人、中曽根康弘、宮澤喜一、田中角栄といった人たちが現役で活躍していた。当時の私から見たら父親と言うよりもお爺さんの年代の人たちばかりだ。

古希を迎えた現在、総裁選に立候補している四人は、皆私よりも年下の人たちだ。同じように政治評論家から見れば、現在の政治家が「小粒」に見えたとしても仕方がないかもしれない。しかし、現在は、その人たちしかいないのだから「小粒」の皆さんに期待するしかない。

午前中に、機関誌『燃えよ祖国』の270号を発送。夜は、休肝日とした。


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