白雲去来

蜷川正大の日々是口実

「三島事件」の頃。その2。

2023-06-28 17:40:00 | 日記

6月22日(木)雨。

朝食は抜いた。昼は、自宅で、愚妻とタンメン。夜は、月に一度の仲良しさんたちとの食事会を関内の料理屋「伊勢」にて。このお店が好きだ。小料理屋と居酒屋の中間ぐらいのお店なのだが、「刺身の盛り合わせ」を頼むと、いつ行っても感激する。正直言って、一人一万円や二万円も取られる寿司屋などと、決して引けを取らないものが出てくる。若女将もオーナーの板前さんもとても愛想が良く、感じがいい。文字通り、酒と料理と人に酔うお店である。

村田春樹先生の『三島由紀夫が生きた時代』の本の中には、楯の会の結成に関わった人や、日本学生同盟(日学同)の関係者など知り合いの方が、何人か出てくる。楯の会の関係者では、阿部勉、倉持清、伊藤好雄、西尾俊一と言った人たち。又、後年、某テレビ局に就職した日学同の山本之聞氏などだが、山本氏には思い出がある。私が、北海道の一人部屋で修行中の平成元年の11月10日に、ベルリンの壁が崩壊するというビッグニュースに接した。夜に、珍しく居房に入ったテレビで、そのニュースを見ていたら、ベルリンの壁の前でリポートをしている人がいて、クレジットを見たら山本之聞氏で大変驚いた。当時はお付き合いはなかったが、山本氏の名前は知っていた。「これはYP体制云々」という言葉を聞いたとき、さすがは日学同のOBと感激したことが忘れられない。たまに会合などで山本氏とお会いすると、いつもその時の話をさせて頂いている。

亡くなられてしまったが、かつて維新政党新風の代表で、阿部勉さんの弟分的存在だった松村久義氏ともお付き合いがあった。初期「新風」の魚谷哲央さんとは、昭和49年頃の「核拡散防止条約」の反対運動の頃からお付き合いがあり、新風の関係者には知り合いが多かった。私の記憶が間違っていなければ、確か阿部勉さんも新風に関係しており、「風紀委員」という肩書であったと記憶している。それを聞いたとき、本当に悪い冗談かと思い、信じられなかった。最近は行かなくなったが、ゴールデン街で飲んでいると、フラっと阿部さんが入ってくるような気がしてならない。

 

 


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