白雲去来

蜷川正大の日々是口実

私の「三無主義」。

2023-06-24 15:48:30 | 日記

6月20日(火)晴れ。

朝食は、ウェイパーを使った卵スープ、ササミのフライ、キャベツの千切り添え、水ナスのおしんこ。昼は抜いた。夜は、冷食の餃子、清風楼のシウマイ、酢豚。お供は「三岳」。酔狂亭にて独酌。

友がみなわれよりえらく見ゆる日よ花を買い来て妻と親しむ。啄木の歌の趣旨とは違うが、今日は愚妻の誕生日である。しがない浪人暮らしゆえ、花を買うにも不如意が続いており「そのうち、石炭ぐらいのダイヤを買ってやるから」とつまらんことを言って、テーブルに片手をついて反省のポーズ。我が家では一番高給取りの上の子供が、花を買い、沢山のリキュールをプレゼントした。東京で暮らしている下の子供も今度来る時にプレゼントを買うとのこと。一人肩身が狭い。金が無い。当然ながら貯金も無い。加えて若くも無い。の「三無主義」を実践しているのだから仕方がない。

『山頭火の宿―そして酒と水』(大山澄太著・彌生書房)という本の中に、山頭火が自ら書いた「酒の覚書」と言うものがあった。酒にだらしのなかった彼が、意を決して書いたものだが、その誓いを書いては破り、破ればまた書くと言うような「酒癖」であったようだ。その「覚書」とは、

 酒に関する覚書 
酒は目的意識的に飲んではならない、酔は自然発生的でなければならない。
酔ふことは飲むことの結果であるが、いひかへれば、飲むことは酔ふことの原因であるが、酔ふことが飲むことの目的であってはならない。
何物をも酒に代へて悔いることのない人が酒徒である。
求むるところなくして酒に遊ぶ、これを酒仙といふ。
悠然として山を観る、悠然として酒を味ふ、悠然として生死を明らめるのである。

めんどくさい酒だなぁー。と言うのが私の感想である。道の兄と慕った故阿部勉さんの歌に、数知れぬ過失は酒とともにありその酒抱きてけふも堕ちなん。「おい、蜷川飲みに行くか」、「阿部ちゃん金あるの?」。「つまんねぇこと言うな、そんなの飲んでから考えれば良いんだ」。一度、威張って後輩にこんなことを言って見たいなぁー。

 

 

 

 

 

 


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