白雲去来

蜷川正大の日々是口実

「三島事件」の頃。その3。

2023-06-29 12:47:15 | 日記

6月23日(金)曇り。

珍しく、朝、食す。竹輪の磯辺揚げ、目玉焼き、ナスの味噌汁。昼は、コロッケパン一つ。夜は、カツオの刺身、タンドリーチキン、水ナス、トマトサラダ。お供は、以前、盟友から頂いた「森伊蔵」の四合瓶の封を気合を入れて切った。午後、掛かりつけの医者に行き、来月に胃カメラでの検査を予約。

昨日のブログに、かつて日学同で活躍していた山本之聞氏のことを書いたが、山本氏が楯の会の一期生であったとは全く知らなかった。楯の会には、一流大学に在籍していたの優秀な人たちが多い。随分前のことだが、昭和52年3月3日の「経団連事件」の際の隊長であった伊藤好雄さんに「楯の会の会員の人達と言うのは、当然ながら憂国の至情止みがたく、現状の日本の変革にために戦う、という人たちばかりでしょう」。と聞いたら、「そんな考えを持って入って来たのは二割くらいかな」と言われて、意外な思いをしたことを覚えている。

それでも、村田先生の本を読んで、自衛隊の体験入隊での厳しい訓練、とりわけレンジャーの訓練などは、私なんかとても耐えられなかったに違いない。親しくさせて頂いた阿部勉さんも伊藤さんも楯の会の一期生である。しかし、お二人との長いお付き合いの中で、楯の会のことや三島、森田両烈士のことを一度も聞いたことがない。伊藤さんと一緒に経団連事件に決起した西尾俊一さんも同じだ。例えが適当でないかもしれないが、魚の小骨が喉に刺さってもご飯を丸めて飲み込んだりすることによって、意外に早く取れる。しかし、鰻の骨は釣り針のように「返し」があって、医者で取って貰うこともあるそうだ。楯の会の皆さんは、三島・森田両烈士の自決と言う衝撃的な出来事に接し、その出来事が、その後の人生における心の傷、すなわち「小魚の小骨か、鰻の骨か」のどちらかとなっていたのではないだろうか。少なからず、私にもそういう経験があるので、分かるような気がする。

野村先生の獄中句集『銀河蒼茫』には、三島・森田両烈士に関するものが四句ある。「三島由紀夫・森田必勝自決、一句」として、「茫然と轟然と 秋の夕日墜つ」。(秋の部)、同じく(秋の部)に、「憂国忌 風が鞭振る天に地に」。三島先生を詠んだ句は(春の部)に二句。「春燈や 絢爛たりし三島の文」、「さくら散るいまも三島の死の光芒」。


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