白雲去来

蜷川正大の日々是口実

文庫本にも獄舎の印

2023-06-06 13:13:17 | 日記

6月3日(土)曇り後晴れ。

朝食は、子供が買って来てくれた「猫パン」(パンの中に猫に見える模様がある)二枚。昼は抜いた。夜は、つけ蕎麦、野菜の天ぷら、スナップエンドウ、ナス炒めにトマトサラダ。お供は、頂き物の「侍士の門」という焼酎。鹿児島産なり。

事務所の書棚の中に野村先生から頂いた本が何冊かある。それは皆、先生が獄中時代に読んだ本ばかりである。日本の古典全集、『大川周明集』、『亀井勝一郎集』や単行本などだ。先日、機関誌に掲載するために持ってきた本の最終頁に、「私本閲読許可証」という物が貼ってあった。許可は、「経団連事件」にて府中刑務所に6年の刑にて座していたときの物。「閲読許可は」昭和53年6月8日から53年7月7日迄。先生の称呼番号は1432番で「東二工場」で作業していたことが分かる。刑務所では、自分の名前よりも、その称呼番号で呼ばれることが多く、入所から出所まで、その番号は変わることがない。

『大川周明全集』には、三度の「延長願い」をしていたことが分かる「許可証」があった。これは「河野邸焼き打ち事件」にて千葉刑務所で12年を過ごしていた頃のもので、「領置許可」(自室に置いて置くことの許可)は昭和41年5月から昭和43年2月13日迄。先生の称呼番号は332番で第八工場にて作業をされていた。その『大川周明全集』を手にした昭和41年頃に、先生はこんな句を詠んでいる。残刑はまだ十年もある「明日も雪か」・・・。若き日の先生の苦悩が伝わってくるようで、この時期にあるはずもないのだが、句を読むと今にも雪が降ってくるような気がして、おもわず空を見上げた。

そして、千葉時代に「図書室にての作」として、『鰯雲 文庫本にも獄舎の印』。先生の本に貼られた「私本閲読許可証」を見るたびに、先生のその句が浮かぶ。後世の野村先生の研究の役に立てばと思い、こういった小さなものでも大切にしている。今日は二日分を更新。


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開港祭の花火が中止に。

2023-06-06 10:51:09 | 日記

6月2日(金)大雨。横浜開港祭。

食欲がなく、家人に買って来て貰った「ほっともっと」のお弁当で済ますが、半分も食べきれなかった。昼食は抜いた。夜は、お世話になっている方たちと、横浜駅西口の料理屋さんにて食事会。

朝から凄い雨である。台風によって各地で大雨となっている。線状降水帯とやらが発生していて、まるでバケツをひっくり返したような雨が降っている。横浜も例外ではなく、避難命令が出ているところもある。本来ならば、今日は、横浜の開港祭で花火やコンサートなど様々な催しが行われるのだが、さすがにこの天気では、花火は中止となった。ちなみに、今日の開港記念日は、横浜市の公立の小、中、高校は休校となる。横浜育ちの人ならば誰もが知っているのが、「横浜市歌」。作詞は森林太郎(森鴎外)、作曲は、当時東京音楽学校(現、東京藝術大学)助教授だった南能衛(よしえ)。その歌を歌えない人は、横浜育ちでないことが分かる。

花火が中止となったので、松本佳展君夫妻のお世話で、横浜駅西口の近くにある料理屋さんに行く。参加は6名。5時に家を出たが、タイミングが悪く、雨風が一番強い時で、上はウインドブレーカーを着ていたから良かったが、ズボンはびしょぬれとなった。その後二軒転戦してから帰宅。いつもお世話になっているO社長に感謝です。

帰宅すると和室が雨漏りしていた。何年か前に屋根の補修をしたのだが、多分二階の雨戸をしまっておく戸袋かもしれない。雨漏りの困るのは、雨が止むと、何処から雨が入ってくるのか分からなくなることだ。久しぶりに、タライに雑巾を敷いて雨を受けた。ふと子供の頃、母と住んでいたアパートのことを思い出した。


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