7月23日(日)晴れ。
朝食は抜いた。昼は、桃屋のザーサイを刻んで卵とハムを炒めたチャーハン。インスタントのワンタンスープ。夜は、ポークソテー、鶏肉と大根の無煮物、カツオのたたき、水ナスの浅漬け。お供は、「黒霧島」。
今年の秋は、野村先生の没後30年。5年ぶりに会場を借りて追悼祭・群青忌を開催する。現在、野村先生が過去に書いたものや、あまり知られていない対談などをまとめており、校正が出来た物から私の機関誌『燃えよ祖国』に掲載している。今回、(第285号)反響があったのは、月刊『宝石』の昭和52年2月号に掲載された、猪野健治先生が司会、構成をした、丸山照雄・須藤久・犬塚博英・野村秋介各氏の「斬奸の思想を語る」という鼎談。46年も前のものだが、昨今の安倍元首相の銃撃や岸田総理を狙った事件などの「直接行動」の意味と意義を思想的な立場の異なる方たちと論評している。
その『月刊・宝石が』発売された年の3月に野村先生は同志らと共に、財界の営利至上主義を撃つ、として「経団連事件」に決起し、再び囹圄の身となる。余談ではあるが、対談した映画監督の須藤久氏とは、その後(1990)、野村先生が総合プロデュースをし、東映系から二・二六事件を題材にした映画『斬殺せよ・切なきもの、それは愛』を発表する。
また、1977年9月28日に起きたダッカ事件にて、「超法規的措置」により釈放され、日本赤軍と合流し、その後フイリピンにて逮捕された泉水博氏。氏は、3年前の3月に、収監中の岐阜刑務所で亡くなられたが、かつて千葉刑務所で一緒だった野村先生が泉水博のことを書いた「君に泉水博の慟哭は聞こえるか=かけらほども左翼的でない彼がなぜ日本赤軍へ」は、何よりも泉水氏の人柄や、千葉刑務所での事件の様子が良く描かれており、手前味噌で恐縮だが、読者から「とても良かった」などのメールや手紙を多く頂いた。
30年祭に向けて、先日の松崎明氏とのことや、あまり知られていない先生の交友、原稿などを整理し、掲載して行きたいと思っている。ご指導とご鞭撻のほどをお願いする次第です。