7月1日(土)雨のち晴れ。
朝食は、抜いた。昼は、私のおふくろの味、ソースチャーハン(たまねぎのみじん切りと赤ウインナーを炒めてからご飯を入れて、味付けはウースターソース)、冷うどん。夜は、愚妻と子供が用事があって出かけていたために、久しぶりに一人飯。ミスジ肉、レタスの温サラダ(ごま油、お酢少々、醤油)、ネギとミョウガをたっぷり刻んだ冷奴。お供は、エビスビールの350ミリを二本飲んでから、「黒霧島」。月下独酌。
パソコンの写真を整理していたら、福岡は玄洋社墓地でのものがあった。福岡には、三度度行った。最初は「風の会」の選挙の時。二度目はお世話になっている方に「アラ」を食べに連れて行って頂いた。三度目は四年前の十一月に、お世話になっている方に九州場所の観戦のお供をした。選挙の時は、忙しくて、観光どころではなく、二度目の時は、上の子供の大学の受験の直前でもあり、天満宮へお参りし、その後玄洋社墓地を参拝した。この時は、あまり時間がなく尊敬する中野正剛や広田弘毅、進藤一馬の銅像を見学していない。三度目の時は、上の子供が志望校へ合格したので、天満宮へお礼参りし、念願だった中野正剛や広田弘毅の銅像に拝礼した。中野正剛の銅像の前に立った時、有名な「天下一人を以て興る」の一節が脳裏をよぎった。
「諸君は、由緒あり、歴史ある早稲田の大学生である。便乗はよしなさい。歴史の動向と取り組みなさい。天下一人を以て興る。諸君みな一人を以て興ろうではないか。日本は革新せられなければならぬ。日本の巨船は怒涛の中にただよっている。便乗主義者を満載していては危険である。諸君は自己に目覚めよ。天下一人を以て興れ、これが私の親愛なる同学諸君に切望する所である。」
上記は、中野正剛が昭和17年11月10日、早稲田大学大隈講堂において、「天下一人を以て興る」という演題で2時間半にわたり東條を弾劾する有名な演説である。年昭和18年10月27日自宅1階の書斎で割腹自決、自決の数時間前、四男に「千里の目を窮めんと欲し更に上る一層の楼」と色紙に書いた。有名な、王之渙(おうしかん)の「登鸛鵲楼」(かんじゃくろうに登る)の一節である。