白雲去来

蜷川正大の日々是口実

テロも民主主義の一つの表現方法である。

2024-07-22 10:33:36 | 日記

7月21日(日)今日も猛暑。

連日の猛暑。沖縄は35度で東京や横浜は36度だという。初めて知ったのだが東京の気温というのは、皇居の北の丸で測っているのだという。桜の開花は靖国神社で気温は皇居か。いかにも日本的でいい。午前中に、我が家の猫の額よりも狭い場所に生えている二本の木の枝払いを行った。二本とも雑木なのだが、枝を払っても、払っても翌年にはこれでもかというほどに葉が茂る。愚妻などは、「毎年面倒だから、思い切って根元からバッサリと切ってしまえ」。というのだが、こんな狭い所に縁あって生えているのだからに、まっ家族と思ってと、嫌々大事にしている。

この異常な暑さのせいで、一日中クーラーをつけっぱなしである。昨年は、夜は何とか扇風機でしのげる夜もあったが、今年は、扇風機だけではとても寝ていられない。我が家の稼ぎ頭の上の子が、「お父さん。熱中症で入院でもされたらお金がかかって大変だから、遠慮なくクーラーを使ってね」。日々、お言葉に甘えています。

トランプさんが狙撃され、危機一髪助かった。運の強い人だと思った。例によって「民主主義の敵だ」の大合唱。何言ってんの・・・。テロだって民主主義の一つの表現方法ではないか。テロリストを「悪」という表現で一括りして葬り去ろうとしても、そんなことは歴史が許さない。もしテロのすべてが悪で、社会の敵ならば、あの歴史書『史記』を書いた司馬遷が、わざわざ別項を設けて「刺客列伝」を書かなかったに違いあるまい。私は、アメリカは民主党よりも共和党の方が好きです。大体、民主党の大統領の時に、日本は余り良いことがない。原爆を落とした時の大統領も民主党ではなかったかい。

 

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