1月7日(火)晴れ。
昼に、古いお付き合いで、A新聞の辣腕記者M女史と久しぶりにお会いした。特別何の用事があったわけではないのだが、お互いの近況報告などを、昼食を兼ねて2時間ほど。馬車道の勝烈庵にて昼食の後に、スタバでお茶。最近は、「武装闘争の過ちを抱えて」というテーマで半世紀前の事件の主人公に焦点を当てて書いているとのこと。重信房子女史ともお会いしたとか。また元日に亡くなられた花房東洋先輩のことなど。いまだに、花房ショックが消えない。
日航の航空機事故のあった昭和60年の夏に、下田の弓ヶ浜海岸の近くに、亡くなられたが憂国三友会という団体を主宰していた高橋順之助さんが「うじま」と言う民宿を経営されていた。その民宿に、2泊3日で宿泊し遊んだ。メンバーは、阿部勉、花房東洋、板垣哲雄の諸氏と私。岐阜から京都、そして下田と何の目的もない「金が尽きるまで」の旅だった。
下田から明日それぞれの家に帰るという夜。少ない現金を出し合って全て花火を買って海岸で楽しんだ。皆なぜ持ち金をほとんど使ってしまったのか。それは花房先輩が、「俺がカードを持っているから、駅でカードで切符を買えばいい」。ところが駅に行ったら当時はカードでは切符を買えず、正直言って焦った。下田から新宿までバスが出ているとのことなので、小銭を出し合って阿部さんを乗せ、我々は、入場券を買い電車に乗った。後輩に熱海までお金を持ってきてと頼み車中の人となった。車掌を見るとトイレに隠れたり、何とか熱海についてお金を貰い自宅に戻った。懐かしい思い出だが、共に旅した阿部、板垣の両氏はすでに鬼籍に入られ、そして花房先輩までが旅立ってしまった。伊豆の山々月淡く・・・。※弓ヶ浜にて、昭和60年8月、左から板垣哲雄君、花房東洋先輩、阿部勉先輩。