1月19日(日)曇り。
機関誌『燃えよ祖国』の編集が終わり、印刷所に入稿。後5日もすると出来上がる。一段落したので、ご褒美にと焼肉ランチ。前回は、最低最悪の焼肉ランチの店に入ってしまったので、今回はリベンジ。恐らく、関内周辺では一番の老舗のお店に行く。昔は福富町にあったが、ビルの老朽化で移転した。やはり美味しかった。リーズナブルで、肉を二人前追加しても二人で6千円でおつりが来た。
午後二、伊勢志摩の社友からドドーンとセル牡蛎(殻付き)が届いた。「少し小ぶりなので60個ほど送ります」とメッセージを頂いたが、私は牡蛎は小ぶりな方が好きで、大ぶりな夏牡蛎などは、好きではない。夜、家族で、生牡蛎、蒸し牡蛎、オーブンで焼き牡蛎の牡蛎三昧。酒は、やはり高知の社友から頂いた下手なワインよりも美味しい「桂月ーSake Nature」。高知出身の歌人で随筆家の大町桂月の名前をとったものだ。牡蛎にたっぷりのレモンを絞って、皆無口になって夢中で食べた。それでもまだ、半分残っている、明日はアヒージョにするつもり。
現在NHKで再放送中なのが「坂の上の雲」。日本人が元気になるドラマである。主人公の秋山兄弟と共に主人公となっていたのが正岡子規。牡蛎ではないが「柿食えば鐘が鳴るなり法隆寺」の句を知らない人はいないだろう。子規は結核を患い35歳でなくなるのだが、大食漢としても知られており、闘病中でも食欲は旺盛で、病臥中の記録『仰臥漫録(ぎょうがまんろく)」の中のある日の食事を記したものに、「朝は、かゆ4椀、ハゼの佃煮、梅干し。昼は、お粥4椀、鰹の刺身1人前、カボチャ1皿、佃煮。夜は、奈良茶飯4椀、なまり節、茄子一皿。2時過ぎ、牛乳1合ココアまぜて、煎餅菓子パンなど10個ばかり、昼食後梨2つ、夕食後梨1つ」。亡くなる2年前の記録と言うが、とても病人の食事、食欲とは思えない。
もう40年以上も前のこと、亡くなられた盟友の折本満氏のお世話で、奈良に川井春三先生を訪ねたことがあった。その折に法隆寺に詣で子規の句碑の前で写真を撮った。川井先生はもとより、同行した渡邊康司氏も皆、幽明境を異にしてしまった。時が過ぎるのではなく、人が去って行く。※頂いた牡蛎、生と蒸し牡蛎。