一月十五日(金)晴れ。
今日も六時に起床。布団から出るとすぐに暖房を入れるのが日課となった。「不毛地帯」で主人公が真冬のシベリアの収容所にて、伐採の仕事に従事させられる場面があるが、私も冬の網走の住吉農場と言う所で、一冬伐採の仕事をやらされたことがある。シベリアと網走では寒さが倍ほども違うし、防寒着や食事も天と地ほどの差があるだろう。それでも充分に寒かった。確か零下十五度か二十度近くまでに気温が下がると、作業が一時中止となり、焚き火をして暖をとらせてくれた。
白樺の林を抜けて、伐採場まで歩いて行くのだが、腰の辺りまで積もった雪を人間ラッセル車のようになって、雪を掻き分けて道をつけて行く。現場に着けば、伐採する大木に「切込み」を入れた後に、チェンソー部隊が切って行く、その際には、周りで作業している同囚に「倒すぞぉー」「倒れるぞぉー」と大声を掛けて倒す。雪煙が上がり、地響きがして大木が倒れて行く、その迫力は、作業をしたものでなければ分からない。見とれていて、自分の方に倒れてきたなら、大怪我をしてしまう。だから、「声掛け」は大切なのだ。
「不毛地帯」では、チェンソーではなく、鋸を引いていた。大変な労力だ。倒した木を「枝払い」するのも同じ。私達は、金太郎が担いでいるような「さって」というマサカリのようなもので「枝払い」をした。枝のとれた木を再び、チェンソー部隊が三・七メートルに「玉切り」にする。それを、私達が担いで集材場まで運ぶのだ。軽いもので三十キロ、幹の近くのものは五、六十キロほどもある。雪で足を滑らして転倒などしたなら、命にかかわる。
行事などで、時折、札幌に行くが、飛行場から市内に向う高速の脇には白樺の林がある。いつも思うが、白樺の木は寒そうである。そして雪など降っていると、伐採作業をしていた頃を思い出す。朝起きて、暖房のスイッチを入れる度に、「こんな贅沢をして良いのだろうか」と、忸怩たるものがある。
ニュースを見ていたら、小沢の元秘書が相次いで逮捕された。田中角栄の子分らしく、親方と同じ、金の作り方をする小沢の手法は、マスコミの間でも、いつかは、と囁かれていた。謀略史観などに与するわけではないが、小沢は、師である田中が、アメリカに頼らない石油資源の確保や、アメリカを飛び超えて、日中国交を恢復したために、アメリカにお灸を据えられ、政治生命を失ったことを、身近にいて最も知っている政治家である。
対米自立は小沢の信念ではなく、怨念なのである。大勢の子分を連れての支那詣も、普天間もインド洋での海自の撤収も、その怨念ゆえと見れば、合点が行く。
聞くところによれば、検察の「特捜」とは、戦後、GHQの指導で、旧財閥の隠し財産を摘発するために創設されたそうだ。ここにもアメリカの影がある。
せめて小沢の対米自立に、尊皇の愛国精神があれば、国民は彼を見捨てまい。権威を尊ばず、権力にすがる者の末路は、洋の東西を問わず、こんなものである。
夜は、何処にも出かけずに、読書を肴に少し飲んだ。先日、読了した「不毛地帯」の主人公の壱岐正の会社の社長、大門一三と小沢がダブって見えた。