白雲去来

蜷川正大の日々是口実

経団連事件から32年。師を思う。

2009-03-05 16:03:05 | インポート

三月三日(火)曇りのち霙。経団連事件から三十二年。

 寒い一日だった。天気予報では夜から雪になるといっていた。早いもので今日は、昭和五十二年に、財界の営利至上主義を撃つ、として野村先生らが経団連会館を襲撃占拠した、いわゆる「経団連事件」から三十二年。

 あの日の衝撃は一生忘れられないだろう。自宅にいながら事件の一報を聞いた時の、あの衝撃を。その頃に偶然読んだ本が、城山三郎の「一歩の距離」だった。私が、そのわずかな「一歩の距離」を埋めるために、十年の歳月を必要とした。かつての私同様、「一歩の距離」を縮めたいと思っている若い人たちが沢山存在している。出撃するのも、迎撃に出るのもタイミングなのだ。背中を押されなければ、出撃できないこともあれば、自ら戦場を求めることもある。常にスタンバイし、常にファイティング・ポーズの心構えが大切なのだ。

 夜は、以前から、「是非一献」と約束をしていた友人と、ようやくお互いのスケジュールが合い、下町の小料理屋で、鴨鍋を囲んだ。話題は当然「週刊新潮」のガセ記事のことになった。

 友人氏いわく「売れれば、多少の嘘でも書いて構わない。という風潮が蔓延しているのでしょう。裁判を起こされても、判決が出る頃には、そんな事があったことさえ、忘れてしまうし、名誉毀損で多少のお金を払わされても、新潮社にしてみれば、屁でもない。実際に、五万部も増刷したそうじゃないですか。その利益から見たって、損害賠償のお金なんて微々たるものでしょう。五大新聞も、他の週刊誌も、全て、捏造と報道しているのに、全く恥じることがない。今後、『週刊新潮』の名刺を出して取材などできるのでしょうかね。これが、一般的な感想ではないでしょうか」。

 逃がさないよ佐藤君!

 雪が積もって帰れなくなるといけないので、早々とお開きにした。帰りの車中、タクシーのフロントガラスを霙が襲う。野村先生の若き日、恩師である三上卓先生と、このような日に車に乗っていたことの話を聞いたことがある。

 ヘッドライトに浮かぶ霙を指差して「秋介、お前が歩もうとしている道は、この霙を照らす車のライトのように、まっすぐでなければいけない。たとえ弱い明かりであっても、霙や嵐の中を信念を曲げずに、まっすぐ行け」。翌年、野村先生は、河野一郎邸の焼き討ち、すなわち「炎の警鐘事件」に決起する。

 私が、野村先生と初めてお会いするのは、その事件で千葉刑務所から出所した、昭和五十年の夏の事である。

 雪が降るたびに、私は野村先生からお聞きしたこの話を思い出す。そして私も、若い門下生に、この話を伝えている。

 俺に是非を説くな 激しき雪が好き

 野村先生の代表句である。

 布団に入っても、中々眠れず、久し振りに結跏趺坐し亡き師を思う。

コメント (1)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 忙中閑あり。 | トップ | 板垣哲夫君の三年忌に、戦い... »
最新の画像もっと見る

1 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
・・公安とは 太いパイプを持っていたハズの 週... (牧田 吉明)
2009-03-05 18:13:27
・・公安とは 太いパイプを持っていたハズの 週刊新潮 が やはりヤキが回って居るのかな・・・新潮社に厳重抗議するのは当然 更に 何故に かかる ガセネタに引っかかったのか 検証する様求めて下さい。朝日はさておいて 他にも 大笑いしている奴等が いそうな気がして なりません・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・小生が 野村さんと初めて会ったのも 昭和五十年頃でした 大久保のマミの店だったかな・・・・・・ 往事 ぼうぼう・・・・  
返信する

インポート」カテゴリの最新記事