三月四日(水)晴れ。板垣哲雄君の三年忌。
昨日とうって変わって良い天気である。今日は、平成十八年に、出所を一ケ月後に控えた今日、八王子の医療刑務所で癌のため四十九歳で亡くなった、後輩の板垣哲夫君の命日である。彼は、東京證券所立てこもり事件をはじめ、防衛施設局火炎瓶投擲、大平首相邸突入など数々の肉体言語を行った中期の統一戦線義勇軍の活動家である。
午後一番で、同志等と墓参りに行く予定であったが、午後に、週刊新潮の件で、緊急会議が招集されるので、急遽、午前中に友人と二人で、お墓のある三会寺に赴いた。
このお寺は、由緒ある古刹で、墓地には支那事変や大東亜戦争で戦死なされた方のお墓が沢山ある。現在の平和と繁栄があるのは、そういった護国の英霊のご加護であることは言う間でもない。
お墓を清め、花を手向けて、線香をあげた。「哲ちゃん。又来るよ」。と挨拶し、「新潮社との戦いを見守ってくれよ」。と手を合わせてお寺を後にした。帰りしなに、一門の岩上賢先輩とお会いする。
二時に、新宿へ。歌舞伎町の貸しルームにて、阿形充規先生や青年思想研究会の市村清彦議長、そして都内の有力団体の先生四名の出席を得て、新潮社問題を話し合う。
この問題は、「右翼を名乗った男が、金のために殺人事件を行った」と証言しているが、これは、単に児玉、野村両先生だけの問題ではなく、民族派全体の問題としてとらえる。
また、編集長やデスクなどよりも、出版の最高責任者として社長の責任を問う。
この二つを確認した。
三時間ほどで終了。その後は、犬塚先輩のお世話で、少し早いが夕食会となった。この夕食会を行っている時に、突然ハプニングが発生。嬉しくなった。そのハプニングが何かは、今は、言えないが、お楽しみを。
新右翼の過激派団体、統一戦線義勇軍の針谷大輔議長と共に、帰宅した。