四月二十九日(水)晴れ。昭和節。
起床後、玄関に国旗を掲げ、先帝陛下の御遺徳を偲び多摩御陵を遥拝。下の娘は、ボーイスカウトの行事に出かけ、上の娘は学校の部活とやらで出かけ、愚妻は仕事に出かけた。天気も良くせっかくの休みだというのに、家でただ一人留守番である。こんな時にこそ、ガンガン仕事をすればよいのだが、世間の休みに合わせて私の頭も休日モードになってしまっている。仕方がないので、掃除に洗濯。終わればパソコン周辺の片付けと、あっという間に二時過ぎ。後は夕食の買い物。まるで主婦ならぬ主夫だ。
JR総連の関係で出している「われらのインター」という雑誌がある。本の題名どおり、バリバリの左翼系の雑誌である。その十七、十八号に松崎明氏が、野村先生の句集「銀河蒼茫」を取り上げて、批評をしている。表紙の裏には何と、「銀河蒼茫」の本の写真があった。鈴木邦男さんから送られてきたのだが、正直言って驚いた。松崎明氏と言えば、革マルの理論的指導者、動労の元委員長だった人だ。その人が、なぜ野村先生の句集を取り上げているのか不思議だった。しかし考えてみれば、俳句に右も左もない。特に、野村先生の句は、風流や、いわゆる、わび、さびを詠んだものではなく、幕末の志士の歌や句のように、祖国に対する、祈りであり、叫びなのである。松崎氏とは、一面識もないが、左翼の活動家として、その「祈り」や「叫び」に何か共感するものがあったのだろう。いずれ、了解をとってブログで公開してみたい。
大逆事件で、刑死した幸徳秋水の本の跋文を書いたのが、国粋主義者の三宅雪嶺である。現在と違って、時代は明治、それも大逆事件で死刑となった、幸徳秋水の本の跋を書くと言うことは、尋常ならざる勇気が必要だったに違いあるまい。松崎氏の「銀河蒼茫」の批評文を読んだときに、ふと、幸徳秋水と三宅雪嶺のことが頭に浮かんだ次第。