十二月二十三日(月)天長節。
起床後に、玄関に国旗を掲げ、天長節を祝う。
ここの所、毎日楽しみにしていることがある。それはFB通じて友人となった宮崎の福田秀春さんのFBの文章である。その昔、野村先生が、戦前からの右翼で、私も個人的にお世話になった天照義団の山下幸弘先生が発行していた機関誌が「天照」。それに千葉時代の野村先生が時折「獄中俳句日記」が掲載されていた。
私も楽しみにしていたものだが、そのFB版が福田春秀さんの毎日の俳句日記だ。それも野村先生の俳句を解説しながら、その日の出来事を綴っている。朝起きると、一番最初に探して読む。FBをしていない人のために、お願いしてそのうちに「燃えよ祖国」に掲載してみたいと思っている。
夜は、月に一度の町内の人たちとの飲み会。いつものラーメン屋さんの「たつ屋」。一時間ほど飲んでから早めに帰宅。
※今年の「群青忌」の記念DVDです。野村先生の朝日新聞社でのやりとりや、自決に至るまでのことを、根本順善監督にまとめて頂きました。約二十五分。DVDとパンフのセットで5千円(送料込)。振替用紙を入れてお送り致しますのでメールまたは、090-6300-7075(二十一世紀書院)にご連絡下さい。
※「群青忌」のパンフレットです。群青忌にて過去に講演を頂いた方や関係者のコメントが掲載されています。A4版・カラー十四頁。
十二月二十二日(日)晴れ。
午前中は、真面目に仕事。勤め人ではないので、何の用事も入っていない時に集中して仕事をする。それにしても事務所は寒くてかなわん。慌てて内装をしたために、断熱材を入れるのを忘れた。コンクリートの打ちっぱなしに薄いカーペットを貼っただけなので、冬は冷えることこの上もない。油断すると、必ず風邪をひいてしまう。本と資料が山積しているので、ストーブなどの火が使えない。それなりにスペースはあるから、家庭用の冷暖房機では中々、温まらない。何とかしなければ。
夕方に、帰宅して、録画しておいた男女の高校駅伝を見る。一年で一番楽しみな時間である。風呂に入って、食事の支度(といっても酒の肴だが)をしてから、見る。いやはや、楽しいの何のって。神奈川は荏田高校と白鵬女子の二校が出場していた。荏田高校には、松野明美さんとソウルオリンピックの代表を争った田村有紀さん(現・出水田)の娘さんの出水田眞紀さんがいる。田村有紀さんは、 三十一歳で現役を引退し、現在は日産自動車に勤務しながら、娘さんのいる白鵬女子陸上部のコーチをしている。
県立荏田高校には、私の家の近くの永田中学で活躍して、将来を嘱望されている木下友梨菜さんが進学したことを駅伝メンバーで知った。今年は、二校ともタイムが良いので期待していたが、惜しくも荏田高校は九位で入賞を逃した。白鵬は十一位。優勝は、愛知の豊川。圧勝だった。いつも応援している興譲館が二位に入ったのはさすが名門。
男子も、見ごたえのあるレースだった。ゴール直前で山梨学院が抜け出して初優勝。女子は、六位。何でも、女子の選手には、五千を十五分台で走る選手が何人もいるとか。それで優勝できないのだから、女子高校生のレベルも高くなったものだ。神奈川の常連は、藤沢翔陵は二十一位だった。ここの陸上部の監督の小菅正男さんは、私の高校の一級先輩である。
久しぶりに、充実かつのんびりした休みとなった。駅伝万歳。
十二月二十一日(土)晴れ。
午前中は事務所で仕事。何とか、正月明けまでに機関誌を出そうと頑張っている。お陰様で二百号である。機関誌の創刊は平成の三年である。執筆者のほとんどが獄中者で左右を弁別せずに書いて頂いた。途中で資金不足になり、コピー機で印刷したり様々な苦労があったが、何とか頑張ってきた。どうか今後ともご支援のほどを宜しくお願い致します。
※創刊号。当時は、私が大悲会の会長だったために「大悲ジャーナル」でした。三浦さん、永田さん、澤地さん。皆、幽明境を異にしてしまいました。
六時から、神奈川県維新協議会(神維協)主催の、「先人を偲ぶ会」が行われ出席。祭壇には、共に運動を担ってきた諸先輩や同志の人たちの遺影や名前があり、懐かしく思った。神維協の結成は昭和五十二年。現在、神維協に名前を連ねている中で、結成に関わったのは私だけになってしまった。
※祭壇の中央には、平成十四年に亡くなられた、戦後の神奈川の民族派運動の先駆、小早川貞夫先生の遺影がある。
追悼のご挨拶をさせて頂いた。終了後は、大行社の副会長である周本昌山氏のお世話にて、焼き鳥の「だんらん亭」にて直会。早めに自宅に戻った。
十二月二十日(金)晴れ。
毎年のことだが、この季節、怒涛のように忘年会が続いている。堂々と発表できる会もあれば、個人的な事情で公に出来ない飲み会(実名を出すと色々と差し障りがあって)もあって、それを入れると多い時で十一月の末から、年末まで二十回ぐらいある。でも最近は会費制となっているので、以前よりも大変ではなくなった。金額ですか、三千円から一万五千円程度です。
いつも顔を合わす人から、「大変ですね」などと言われるが、まあ、呼ばれている内が華で、一人で飲みに出かけても三、四千円程度はかかる。それならば仲間の顔を見ながら、共通の話題を肴に飲むのも仕事の内だ。というわけで、六時から、藤巻強会長の忘年会に出席。群青忌でいつもお世話になる根本順善監督の「野村秋介の覚悟」という講演が、宴会の前にあるのだが、七時半に次の宴席があるので中座した。
七時半に、某ホテルにて友人らと待ち合わせての一献会。楽しい語らいの内に、狭斜の巷へ繰り出し、一杯、一杯復一杯。気が付けば日付が変わっていた。久しぶりの大破轟沈。