一月十八日(土)晴れ。
午前中は、事務所で機関誌の発送。ようやく読者の所に届けられる。一番ホッとする時である。しかしいつになったら事務所が片付くのか。溢れている本や資料を見ると正直言って途方に暮れる。皆でやればアッと言う間なのだが、自分の頭の中に、何処に何をしまったのか、記憶しなければ意味がないので、若い人たちを頼めない。まあのんびりとやるか。
夜は、野村先生の奥様のお店で、一門の新年会を行った。奥様の手料理に加えて、刺身やタラバ蟹など会費ではとてもおさまらないかのような豪華な料理に舌鼓を打つ。加えて、酒は「久保田」に「伊佐美」である。宮本武蔵のようになって、いい気持になった。
九時に、奥様にご挨拶をしてから松本佳展君に送って頂き帰路に着いた。いい一日だった。
そう言えば、友人で一水会の木村三浩会長が猪瀬直樹元東京知事から五百万円を受け取っていたとかで新聞、テレビで報道されていた。特に朝日新聞などは大きく報道している。本人は「借りた」と言っているのだから、そうなのであろう。しかし木村氏の人となりを知らない人たちにそれを信じさせるのは無理かもしれない。根が真面目なだけに、政治家のように上手な受け答えが出来なかったのかもしれない。
私だったら、「いらないと言ったんだが、それでは申し訳ないと言って五百万無理やり置いて行った。最初から謝礼目当てで紹介をするのならば、最低半分は貰っているよ。断るのも水臭いと思われるので貰ったよ」。と居直るのだが。
清貧で真面目な活動家を通してきた木村氏には、ある意味で試練かも知れない。それにしても猪瀬さんは吝嗇と思われても仕方あるまい。木村氏の紹介で五千万円を貰ったならば、「運動費にでも使え」とせめて二三千万ぐらいは渡さなきゃ。もし徳洲会のことが問題にならなかったのならば、返すつもりはなく、当選した後なのだから、そう運動資金が必要とも思えない。
だったら、五百万では可哀そうだ。しかし結果的には五百万でよかった。使ってしまった後に五百万円を揃えるのことの方が大変だ。それがさっとできるのだから木村氏も大したものだ。運動にはお金がかかるのだから、貰う時は堂々と貰ったほうがいい。別に法に触れるようなことではないのだから。
恐らく、朝日が検察を取材して得た情報だと思うが(そう言えば猪瀬の五千万をリークしたのも朝日新聞だった)横浜の片隅で生きていると、そんな話もないが、他山の石としなければと思った次第である。
野村先生は、様々な意味でお金のやり取りには、慎重かつ厳しい人だった。先生がご存命の頃、トラブルの解決や相談、あるいは仲介などでお金のやり取りがあった。その時に、依頼者が、「先生、〇百万でお願い致します。これがすべてですので先生の謝礼を最初に取って頂き、相手には、半分届けて下さい」と言われることがある。
すると先生は、「蜷川、相手に全額持って行きなさい。その相手の前で、きちっと折半にしなさい。もし先に取って半分渡すとする。いつかこのことが公になった時に、私が相手に半分しか渡さなかったと誤解される。お金のことは、必ず後でバレる。金のことで、後ろ指を指されては駄目だ。人を見られるからな」。
先生が亡くなられてから、そんな機会もなくなったが、例え少額であっても金のやり取りには気をつけるようにしている。天網恢恢疎にして漏らさず。こんな言葉がふと頭に浮かんだニュースだった。