白雲去来

蜷川正大の日々是口実

我が家がおでん屋に?

2014-01-13 12:56:40 | インポート

一月十二日(日)晴れ。

朝食の後は、事務所にて機関誌の印刷。と言っても印刷は私ではできないのでお任せして、どうしても行きたかった大船商店街へ向かう。別に、何か買うと言う目的があったわけではないのだが、以前に乗ったタクシーの運転手さんから、この商店街にある魚屋さんの品ぞろえが良いと聞いてたから、正月の喧騒がおさまってから行ってみたいと思っていた。

ナビをセットして向かったが、十キロの渋滞と出たので、車で行くことをあきらめて、通り道にあった磯子の「浜マーケット」を冷かした。この小さな商店街には、コロッケの大会「横浜・ガチコロ」で優勝したカネヒラ肉店の「三角コロッケ」がある。野菜が安いので買ってから「三角コロッケ」(一個九十円)を五個買ってから保土ヶ谷駅へ。

大船までは横須賀線で三駅。観音様のある反対側の商店街に向かった。休日とあって人が多い。昼間が暖かったので少々薄着をしてきたことに後悔した。お茶屋さんで魚屋の場所を聞いて向かった。私好みの品ぞろえで嬉しかった。マグロのカマなど、酒の肴になりそうなものを少し買ってお店を出た。今度は、ゆっくり商店街を散策してみたいと思っている。

保土ヶ谷に着くと、愚妻から連絡がありカメちゃんパパから嬉しいプレゼントがあるので、取に行って。とのこと。以前酒席で、カメチャンに「おでんの保温器を買おうと思っている」と話したら、「うちの実家に使っていない物があります」。早速連絡していただき、今朝、カメちゃんが取に行ってくれた。

我が家は、来客が多いので、不如意の時はおでんは助かる。今までは、大鍋で煮て出していたが、おでん屋さんにあるような仕切りのついた保温器が前から欲しかった。ネットなどで見ても安くはないので、頻繁に作る訳ではないので躊躇していた。それを頂いたのだから、こいつは春から縁起がいい。そして私が好きな大口商店街にある、おでんだねの専門店「能登屋」の練り物も頂いた。近所の商店街にも練り物屋があるが、良し悪しは、そのまま焼いて食べて美味しいかどうかが判断の基準となる。そういった意味では「能登屋」の物は高い分美味しい。これから「おでん作り」が楽しくなる。

P1000071_2※カメちゃんパパから頂いたおでんの保温器。本格的である。

夜は、我が家の家族と、カメ&アコちゃんたちと、蒔田商店街の近くにある「麦屋」という「お好み焼き屋」へ行った。このお店には、十年ほど前には良く行ったのだが、残念ながら焼酎の「ボトル売り」がない。焼酎も泡盛も皆、シングルが530円なのだ。あっという間に十杯ぐらいは飲んでしまうので、ほどほどにしないと、エライ高いことにつく。まあ酒など飲まずに「お好み焼き」を食べて貰って回転を良くしようと思っているのかもしれないが、私のような飲み助は、それだけで足が遠のいた。

食後は、子供たちを帰してから、前里町の「だんらん亭」へ転戦。一時間ほど飲んでから帰宅。


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私の朝。

2014-01-13 12:05:04 | インポート

一月十一日(土)晴れ。

私の朝は、当然朝食から始まる。歳のせいにはしたくはないが、何時に寝ても五時過ぎには目が覚めてしまう。朝食が命の私は、朝ご飯づくりには力を入れる。みそ汁も、昆布と鰹節でしっかりダシを取る。具は、冷蔵庫の中身次第。

おかずはほとんどが、干物と納豆、そして私が漬けたおしんこ、なのだが、週に一度は身体が「ソース」を要求するので、定番のマルシンのハンバーグか魚ニソかポークソーセージか赤ウインナー。もちろん何にするかは気分次第。これに目玉焼きとキャベツの千切りを添える。子供たちには、大和名物の「太田屋」の「メンチカツ」。これが絶品なのである。もちろん私の分も揚げる。

朝食が済むと、愚妻や子供たちが出かけるので、我が家に静寂が訪れる。一日の始動の前に、まず両親の位牌のあるお仏壇のお花の水を換えて、新しいお水を供えて手を合わせる。次は、佐渡から連れて帰ってきたお地蔵様のお花とお水を換えてから先生の遺影、そして両陛下のご真影に手を合わせる。これで朝のお勤めは終わり。

後は、一時間ほど、のんびりとコーヒータイム。新聞を読み、BSでニュースを見る。午前中は、ブログやFBを更新したり、お世話になった方へ手紙を書いたり、細々とした野暮用を済ませてから事務所へ。

今日は、機関誌の製作。「燃えよ祖国」は今月号で二百号となる。創刊は平成三年である。二十年でニ百号か。頑張ってこられたのも読者の皆さんのお蔭と感謝しています。

夜は、酔狂亭で、餃子、蒸し鶏、ベビーホタテのニンニク炒めで独酌。


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久しぶりの揚げ物で食事。

2014-01-13 11:36:47 | インポート

一月十日(金)晴れ。

良い天気である。午前中にお世話になっている方から連絡があり、「たまには昼食でも」というお誘いがあったので、久しぶりに「トンカツ」の名店、馬車道の「勝烈庵」へ行った。

私は、横浜では数ある「トンカツ」のお店では、この勝烈庵が一番好きだ。棟方志功の版画が沢山あって好きな人にはたまらないだろう。店の看板文字も志功のものだ。ここのソースにからしをたっぷり入れ、それにカツをつけて食べるのが私のスタイル。ちなみに開店は昭和二年とのこと。

Photo※棟方志功画伯デザインの看板。

P1000071※お店の正面。

身体のことを考えて最近は、揚げ物と距離を置いているが、二か月に一度は、体が要求する。昼時とあってお店は満席。二階席に案内された。食事を堪能してから、馬車道十番館でお茶。この十番館は山手の外人墓地の前に本店がある。もう三十年以上も前に、ガールフレンドと食事をしたことがある。馬車道にあるのは、その支店。一時間ほどお茶をしてから、ご挨拶をして別れた。

その後は、事務所に行き、細々とした用事を済ませてから帰宅。夜は、酔狂亭で月下独酌。


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天の怒りか、地の声か

2014-01-10 18:49:20 | インポート

一月九日(木)の続き。

全文。

天の怒りか、地の声か

 いわゆる五五年体制といわれた自民党独裁の腐敗政治を、バッサリと切り捨てた日本人のバランス感覚の良さには、内心「大したもんだ」と感心していた。が、である。この細川護熙というバカ殿には、開いた口が塞がらない。いわゆる例の大戦を「侵略戦争と位置づけ、深く反省し、お詫びする」発言である。この人物も、しょせんは朝日新開の記者あがりだから仕方がない、と言えばそれまでだが、少なくとも一国の首相である以上は、もう少し見識ある発言が欲しかった。

 確かに侵略的側面がなかったとは言い切れない。しかし、もともと日本は、日本の独立自衛を眼目として明治維新を断行したところから出発した事実は否めまい。要するに独立自衛の側面もあったし、または五族協和を目指した側面もあったし、アジア解放という大義もあった。物事は一側面だけを見て全体を断ずることはできないはずだ。加えてアメリカは、第一次世界大戦以前に日本を仮想敵国とし、極秘裡に「オレンジ作戦」という日本壊滅作戦を立てていた。故に重慶政府に豊富な資金を提供し、武器を送り、日本を中国の奥地へ奥地へと引きずり込んでいった。もともと日本の戦力を消耗させることが目的で、彼らは国をあげて日本の疲弊を促進させた。日本はそれにまんまと引っかかった。というのも歴史の一面としての事実である。

 故をもって、東京裁判においても、パール判事は、日本は無罪であると断じている。かかる歴史の混淆を見事に飛び越えて、何が侵略戦争でしただ。何が申し訳ないだ。それほど申し訳ないのなら、施政壇上で腹を切ってみせればいいではないか。小田実などもそうだが、日本が悪い、日本が悪いと言い続けている。テメエだって日本人じゃねえのか。それだけ日本が悪いなら、テメエが腹を切ってお詫びすればいいんだ。それもできないで申し訳ないの、日本が悪いのとほざいている輩は、日本語では「口舌の徒」というのだ。

 今、私は神風特攻隊の歴史を読み返している。もちろん回天特攻隊もそうだが、あの若くして散った純粋さ、そして祖国愛に、私はただただ打たれ、心底申し訳ないと思いを深くしている。 日本に今日の平和があるのも、また繁栄があるのも、すべてこの人々の尊い犠牲の上にあることを、細川護熙よ、心して知れ! それでも若くして散ったこの人々を、『侵略者』ドロボーの手先だったと言うのか!

 まず、その人々に頭を深く垂れるべきではないのか。その上で、日本の過去の何が是で、何が非であったのかを検証する。それが順序というものだ。バカにつける薬はないというが、昔の人はうまいことを言ったもんだ。いつまで極楽島のアホウ鳥でいれば気がすむのか。

 私は寺山修司の
「マッチ擦るつかのま海に霧ふかし
  身捨つるほどの祖国ありや」

 という詩と十数年にわたって心の中で対峙し続けてきた。そして今「ある!」と腹の底から思うようになっている。私には親も妻も子も、友もいる。山川草木、石ころの一つひとつに至るまで私にとっては、すべて祖国そのものである。寺山は「ない」と言った。私は「ある」と言う。それ故に、細川護熙の発言を断じて許せないのである。これは、私一人の思いではないと思う。
 ちなみに、神風特攻機は二千八百四十三機飛び立ち、二百四十四機が敵艦に突入したと記録にある。英霊よ、安らかに眠れ。いつの日か必ず有色人種である日本人が、白色人種と三年半にわたって死闘を展開した、真なる意味が何であったのかは、後世の史家が明らかにしてくれるであろう。

  さだめなき世なりと知るも草莽の
   一筋の道 かはることなし                               野村秋介


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バカ殿、ご乱心召されるな。

2014-01-10 18:40:38 | インポート

一月九日(木)晴れ。

何時に寝てもとりあえず五時半には目が覚めてしまう。そのおかげで家族も叩き起こして、皆で朝食。私は、三度の食事の中で朝食が一番好きだ。いい歳をしてお腹が空いて目が覚めることもしばしばある。

 

テレビを見ると、何やら、バカ殿がご乱心の様子。政治家としての力量がないことは証明済みなのに、何を勘違いしているのか。バカ殿らしく趣味人として余生を送るのが一番いい。誰かそばで言う奴はいないのだろうか。皆さん、思い出して頂きたい。平成五年、自民党政権に変わって、細川護煕を首班とする非自民八会派連立内閣が成立した。細川首相は、八月二十三日、就任初の所信表明で「過去の我が国の侵略行為や植民地支配などが多くの人々に耐えがたい苦しみと悲しみをもたらしたことに、改めて深い反省とお詫びの気持ちを申し」述べたのである。

野村先生が朝日新聞社内で壮烈なる自決を遂げられたのは、その二か月後である。先生は、自決に際して同志に宛てた檄文「天の怒りか、地の声か」の中で、細川をこう断罪している。少々長い文章だが、お付き合いして頂きたい。

前文略。「今、私は神風特攻隊の歴史を読み返している。もちろん回天特攻隊もそうだが、あの若くして散った純粋さ、そして祖国愛に、私はただただ打たれ、心底申し訳ないと思いを深くしている。 日本に今日の平和があるのも、また繁栄があるのも、すべてこの人々の尊い犠牲の上にあることを、細川護熙よ、心して知れ! それでも若くして散ったこの人々を、『侵略者』ドロボーの手先だったと言うのか!まず、その人々に頭を深く垂れるべきではないのか。その上で、日本の過去の何が是で、何が非であったのかを検証する。それが順序というものだ。バカにつける薬はないというが、昔の人はうまいことを言ったもんだ。いつまで極楽島のアホウ鳥でいれば気がすむのか。

 私は寺山修司の
「マッチ擦るつかのま海に霧ふかし
  身捨つるほどの祖国ありや」

という詩と十数年にわたって心の中で対峙し続けてきた。そして今「ある!」と腹の底から思うようになっている。私には親も妻も子も、友もいる。山川草木、石ころの一つひとつに至るまで私にとっては、すべて祖国そのものである。寺山は「ない」と言った。私は「ある」と言う。それ故に、細川護熙の発言を断じて許せないのである。これは、私一人の思いではないと思う。
 ちなみに、神風特攻機は二千八百四十三機飛び立ち、二百四十四機が敵艦に突入したと記録にある。英霊よ、安らかに眠れ。いつの日か必ず有色人種である日本人が、白色人種と三年半にわたって死闘を展開した、真なる意味が何であったのかは、後世の史家が明らかにしてくれるであろう。

  さだめなき世なりと知るも草莽の
   一筋の道 かはることなし        野村秋介」

こんな者を、再び政治の場に出して良いものかどうか。バカ殿、ご乱心召されるな。


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