白雲去来

蜷川正大の日々是口実

ドン・キホーテ。

2017-06-23 12:12:00 | 日記
六月十六日(金)晴れ。

朝食は、サニーサイドアップの卵焼きを二個に、ポークハムを四枚。キャベツの千切りを添えた。それにシジミのちから。昼は、家でうどん。薬味にネギとミョウガをたっぷり入れたつけ汁。夜は、この暑さの中で、豚のバラ肉の鍋をした。出汁は、頂き物の「真昆布」と「かつおぶし」でしっかり取ったの部屋中に、昆布とかつおの匂いが漂って、とても幸せな気持ちになった。

子供たちが、今日「ドンキ」に行ったと話していた。大量安売り店の「ドンキホーテ」のことか。子供たちに、「ドンキ」は本当は「ドン・キホーテ」と言うんだよ。と言ったら。「知ってるよ」だって。だったら略すのならば、「キホーテ」の方が正しいのに。

平成五年の夏に、野村先生のお供をしてモロッコに行く途中でマドリッドを訪れ、ホテル・リッツに泊まった。記憶が間違いでなければ、ホテルのすぐそばにあったドン・キホーテの像の前で、先生と記念写真を撮った。スペインがその物語の舞台となっていることもあってか、何処に行っても様々なドン・キホーテの像があった。まあ、あらためて説明することもないかもしれないが、ドン・キホーテとは、騎士道物語(当時のヨーロッパで流行していた)を読み過ぎて妄想に陥った郷士(下級貴族)の主人公が、自らを伝説の騎士と思い込み、「ドン・キホーテ・デ・ラ・マンチャ」(「ドン」は郷士より上位の貴族の名に付く。「デ・ラ・マンチャ」は「ラ・マンチャ地方の」の意で、出身地を表す。つまり「ラ・マンチャの騎士・キホーテ卿」と言った意味合い)と名乗り、痩せこけた馬のロシナンテにまたがり、従者サンチョ・パンサを引きつれ遍歴の旅に出かける物語である。

その、ドン・キホーテを主人公としたミュージカルが、有名な「ラ・マンチャの男」。城山三郎の『少しだけ無理して生きる』という本の中に、その劇を見た時の一文がある。「ドン・キホーテは、みんなから、狂人だ、変人だ、と莫迦にされている。そこでドン・キホーテが言い返す。『たしかに自分は狂っているかもしれない。だけど、自分はあるべき姿を求めているんだ。あるべき姿を求めない人間もまた、狂っているのではないか』」。

「あるべき姿を求めて生きる」というのは、簡単なようで、難しい。ほとんどの人は、そんなことを意識しないからだ。そう言えば、愛国党の赤尾敏先生のことを書いた本に『憂国のドン・キホーテ』と言うものがあった。ドン・キホーテ、すなわち今日では、空想的理想主義者のこととして使われることが多いが、赤尾先生は、一筋に、「あるべき姿を求めて生きた」、稀有な人だった。関係者が多く存命なので、山平重樹さんに赤尾先生の評伝を書いて頂きたいと思っている。

夜は、酔狂亭で、月下独酌。

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船名の付け方。

2017-06-23 11:13:10 | 日記
六月十五日(木)晴れ。

朝から、野菜の天ぷらやかき揚を天つゆに浸して「天丼」。シジミのちから。昼は、自宅で「うどん」。夜は、海老やホタテで、ミックスフライ。お供は、サッポロビールから出ている「極ZERO」が美味い。糖質・プリン体・人工甘味料がゼロなのだ。まずこれを一本だけ飲んでから、掌中に移行する。たまに外で、サントリーの「プレミアムモルツ」などを飲むと、ひゃー、何て美味しいんだ。と、クラクラする。しかし、健康でいつまでも美味しい酒を飲みたいから、家で飲むときのビールは「極ZERO」一本のみと決めている。まあ気休めにすぎませんが。

昨日、アメリカのイージス駆逐艦、「フイッツジェラルド」のことを書いたが、日本の軍艦に人の名前を冠したものがあっただろうか。ないと思う。帝国海軍の船名は、「ヤフーの知恵袋」に出ていた。

「日露戦争時の戦艦名は三笠、初瀬、敷島、富士などの艦名で、一等巡洋艦が出雲、常盤、浅間などであった、これらは全て英国製である。明治40年度以降の国産戦艦から薩摩、安芸、河内、摂津と旧国名が艦名になり、一等巡洋艦が筑波、生駒、鞍馬、伊吹の山名をつけた。この巡洋艦が大正元年8月に巡洋戦艦に類別された(砲力30サンチ×12の戦艦2万トン、砲力30サンチ×4の巡洋戦艦1万4千トン)大正5年からの八四~八六艦隊整備計画で戦艦扶桑、山城、伊勢、日向、長門、陸奥、加賀、土佐。巡戦が金剛、比叡、榛名、霧島、天城、赤城。10年のワシントン条約により建造中を廃棄した。昭和5年のロンドン会議で戦闘補助艦として1万トン20サンチ砲以下の条約型巡洋艦が登場、日本はこのクラスに山名を、15,5サンチ砲以下搭載巡洋艦に河川名を付けた。最初は砲力が戦艦と同じである旧巡洋艦(巡洋戦艦)に山名はついていた」。

では海上自衛隊の舟は。これも「ヤフーの知恵袋」からの引用です。

「海上自衛隊の使用する船舶の区分等及び名称等を付与する標準を定める訓令」(昭和35年(1960年)海上自衛隊訓令第30号)で決められています。まず、旧海軍同様に人名と都市名は駄目。艦名の表記はひらがなのみ

DDH(ヘリコプター護衛艦)旧国名、山岳名・しらね、くらま、ひゅうが、いせ、いずも、など。

DDG(ミサイル護衛艦)天象気象、山岳名・はたかぜ、しまかぜ、こんごう、きりしま、みょうこう、ちょうかい、あたご、あしがら等

DD(汎用護衛艦)天象気象・あきづき型、たかなみ型、むらさめ型、あさぎり型、はつゆき型等

DE(地方隊用護衛艦)河川の名前・あぶくま型等

SS(潜水艦)海象・水中動物・瑞祥動物 おやしお型、はるしお型、そうりゅう型等

MSO・MSC(掃海艦・掃海艇)島の名前 やえやま型、えのしま型、すがしま型等

MST(掃海母艦)海峡の名前 うらが、ぶんご

LST(輸送艦)半島の名前 おおすみ、しもきた、くにさき

PG(ミサイル艇)猛禽類 はやぶさ、わかたか、おおたか、くまたか、うみたか、しらたか

AOE(補給艦)湖沼 ましゅう型、とわだ型(摩周湖は法律上はでっかい水たまりです)

ASR(潜水艦救難艦)AS(潜水艦救難母艦)城郭に名前 ちはや、ちよだ

AGB(砕氷艦)氷河の名前 しらせ(白瀬矗中尉からではなく、南極の白瀬氷河から。ただし白瀬氷河は白瀬矗中尉にちなんでいるが)などです。

すみません。勉強させて頂きました。しかしパソコンは便利だ。パソコンが無かったなら、図書館へ行くしかなかった。知識を得るのにとても安易になった。果たして、喜ぶべきか、それとも危機なのか。

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イージス艦も近くの物には気が付かないか。

2017-06-23 09:39:29 | 日記
六月十四日(水)雨後晴れ。

朝食は、鮭のハラス、オムレツ、松茸スープ。昼は抜いた。夜は、マルエツと言うスーパーで仕入れたカツオ。珍しく、私を唸らせるような、シッピン、クッピンで総取り。と言うような上物があった。失礼ながら、こういったスーパーで、オイチョ、カブを越えたカツオを見るのは、珍しい。ふふふと頬が緩む。家族は、米国産の牛タンにタラコ。

運動不足なので、久しぶりに一時間歩いた。しかし、午後から気温が上がって、暑くて参った。帰宅後は、シャワーを浴びてから事務所へ。私の事務所(二十一世紀書院)の入っているマンションは、サウナ、フィットネス・クラブ、プール付きで、入居者は誰でも使うことが出来る。最初の頃は、頻繁に利用したが、最近は、面倒でほとんど使わない。

アメリカのイージス駆逐艦がフイリピンのコンテナ船と衝突事故を起こした。私のような素人は、ミサイルや戦闘機などを捕捉し撃墜するイージス艦が、あんな大きなコンテナ船が接近するのが分からなかったとは、摩訶不思議な話だ。この艦の名は、ベトナム戦争の英雄であった、ウィリアム・チャールズ・フィッツジェラルド海軍中尉の名をとったものだと言う。

私なんか、フィッツジェラルドと聞くと、ロバート・レッドフォード主演の『華麗なるギャツビー』の原作者、スコット・フィッツジェラルや、ビリー・ホリデイ、サラ・ヴォーンと並び称されるジャズ・ボーカリスト、エラ・フィッツジェラルドが浮かび、イージス艦の名前にも、まあ別人だが、「フィッツジェラルド」というものがあるのを知らなかった。東北大震災の折には、「トモダチ作戦」にも参加してくれたそうだ。亡くなられたアメリカの水兵さんに黙祷。

夜は、酔狂亭で、月下独酌。

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口笛の 悪漢悔ひなし 雲の峰

2017-06-20 11:27:03 | 日記
六月十三日(火)雨。

雨かぁー。浪人暮らしにこの時期の雨は、気が滅入る。朝食は、私の顔のような卵二個の目玉焼きにポークハム、キャベツの千切り添え。シジミのちから。血圧がドドッと上がってしまい、糠漬けをやめた。血圧は正常に戻ったのだが、やはり、朝食には香の物が無いとさみしい。昼は、茹で卵一つ。夜は、ロッポウ・シチケン程度のカツオ。ミスジステーキ。これは、肉屋で勧められたものだが、安価で、かつとても美味しかった。お供は「霧島連峰」。

野村先生の獄中句集『銀河蒼茫』の夏の句に、「口笛の 悪漢悔ひなし 雲の峰」というものがある。この句には思い出がある。正確ではないかもしれないが、平成四年の夏の陣。すなわち野村先生が、同志らと共に参議院選挙に「風の会」を率いて立候補した。結果は残念だったが、選挙本部で、結果を聞いた時に、元FRIDAYの記者だった進藤厚氏が、「野村さん。今の心境を書いてみて下さい」と言った所、白い紙に大書きしたのが、その句である。今もその書はあるのだろうか。この「風の会」の選挙のことは、野村先生の遺著となった『さらば群青』に詳しい。

先生の句のすべてではないが、思い出となる句がいくつかある。ボケないうちに書いてみたいと思っている。夜は、酔狂亭で独酌。

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名前だけ立派な会合。

2017-06-20 10:53:13 | 日記
六月十二日(月)曇り。

鮭のハラスの部分が好きで、インターネットで取り寄せたら、味もそっけもなく、がっかり。仕方がないので食べる三十分ぐらい前に塩をふってから焼いた。まあまあだが、残念感はぬぐえない。朝食は、そのハラスの塩焼きと永谷園のマツタケのスープにトロロ昆布を入れた。昼食は、赤ウインナーを買っておいたので、みじん切りした玉ねぎと一緒に炒めてソースチャーハン。丸ちゃんのワンタン。

夜は、名前だけ立派な蜷川政経懇を同級生の経営する野毛の「弥平」にて開催。湘南の魚に拘っているお店で、新鮮な魚がとても美味しい。今日はカツオも、オイチョ・カブの物で大満足。有志にて関内のHIROへ転戦。サリーの店に顔を出してから、日にちが変わらぬうちに帰宅。

お世話になっている藤井厳喜先生が上梓なされた『米中激戦』(飯柴智亮共著・KKベストセラーズ・1300+税)をご恵送頂いた。また先日、友人から『米中もし戦わば』(ピーター・ナヴァロ・文藝春秋・一九四〇+税)を頂いた。『米中もし戦わば』は、国会議員の必読の書と言われたもので、私も読もうと思っていたが、忙しさにかまけて忘れていた。良い本が自宅にあると言うのは、嬉しいものだ。

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