六月十六日(金)晴れ。
朝食は、サニーサイドアップの卵焼きを二個に、ポークハムを四枚。キャベツの千切りを添えた。それにシジミのちから。昼は、家でうどん。薬味にネギとミョウガをたっぷり入れたつけ汁。夜は、この暑さの中で、豚のバラ肉の鍋をした。出汁は、頂き物の「真昆布」と「かつおぶし」でしっかり取ったの部屋中に、昆布とかつおの匂いが漂って、とても幸せな気持ちになった。
子供たちが、今日「ドンキ」に行ったと話していた。大量安売り店の「ドンキホーテ」のことか。子供たちに、「ドンキ」は本当は「ドン・キホーテ」と言うんだよ。と言ったら。「知ってるよ」だって。だったら略すのならば、「キホーテ」の方が正しいのに。
平成五年の夏に、野村先生のお供をしてモロッコに行く途中でマドリッドを訪れ、ホテル・リッツに泊まった。記憶が間違いでなければ、ホテルのすぐそばにあったドン・キホーテの像の前で、先生と記念写真を撮った。スペインがその物語の舞台となっていることもあってか、何処に行っても様々なドン・キホーテの像があった。まあ、あらためて説明することもないかもしれないが、ドン・キホーテとは、騎士道物語(当時のヨーロッパで流行していた)を読み過ぎて妄想に陥った郷士(下級貴族)の主人公が、自らを伝説の騎士と思い込み、「ドン・キホーテ・デ・ラ・マンチャ」(「ドン」は郷士より上位の貴族の名に付く。「デ・ラ・マンチャ」は「ラ・マンチャ地方の」の意で、出身地を表す。つまり「ラ・マンチャの騎士・キホーテ卿」と言った意味合い)と名乗り、痩せこけた馬のロシナンテにまたがり、従者サンチョ・パンサを引きつれ遍歴の旅に出かける物語である。
その、ドン・キホーテを主人公としたミュージカルが、有名な「ラ・マンチャの男」。城山三郎の『少しだけ無理して生きる』という本の中に、その劇を見た時の一文がある。「ドン・キホーテは、みんなから、狂人だ、変人だ、と莫迦にされている。そこでドン・キホーテが言い返す。『たしかに自分は狂っているかもしれない。だけど、自分はあるべき姿を求めているんだ。あるべき姿を求めない人間もまた、狂っているのではないか』」。
「あるべき姿を求めて生きる」というのは、簡単なようで、難しい。ほとんどの人は、そんなことを意識しないからだ。そう言えば、愛国党の赤尾敏先生のことを書いた本に『憂国のドン・キホーテ』と言うものがあった。ドン・キホーテ、すなわち今日では、空想的理想主義者のこととして使われることが多いが、赤尾先生は、一筋に、「あるべき姿を求めて生きた」、稀有な人だった。関係者が多く存命なので、山平重樹さんに赤尾先生の評伝を書いて頂きたいと思っている。
夜は、酔狂亭で、月下独酌。
朝食は、サニーサイドアップの卵焼きを二個に、ポークハムを四枚。キャベツの千切りを添えた。それにシジミのちから。昼は、家でうどん。薬味にネギとミョウガをたっぷり入れたつけ汁。夜は、この暑さの中で、豚のバラ肉の鍋をした。出汁は、頂き物の「真昆布」と「かつおぶし」でしっかり取ったの部屋中に、昆布とかつおの匂いが漂って、とても幸せな気持ちになった。
子供たちが、今日「ドンキ」に行ったと話していた。大量安売り店の「ドンキホーテ」のことか。子供たちに、「ドンキ」は本当は「ドン・キホーテ」と言うんだよ。と言ったら。「知ってるよ」だって。だったら略すのならば、「キホーテ」の方が正しいのに。
平成五年の夏に、野村先生のお供をしてモロッコに行く途中でマドリッドを訪れ、ホテル・リッツに泊まった。記憶が間違いでなければ、ホテルのすぐそばにあったドン・キホーテの像の前で、先生と記念写真を撮った。スペインがその物語の舞台となっていることもあってか、何処に行っても様々なドン・キホーテの像があった。まあ、あらためて説明することもないかもしれないが、ドン・キホーテとは、騎士道物語(当時のヨーロッパで流行していた)を読み過ぎて妄想に陥った郷士(下級貴族)の主人公が、自らを伝説の騎士と思い込み、「ドン・キホーテ・デ・ラ・マンチャ」(「ドン」は郷士より上位の貴族の名に付く。「デ・ラ・マンチャ」は「ラ・マンチャ地方の」の意で、出身地を表す。つまり「ラ・マンチャの騎士・キホーテ卿」と言った意味合い)と名乗り、痩せこけた馬のロシナンテにまたがり、従者サンチョ・パンサを引きつれ遍歴の旅に出かける物語である。
その、ドン・キホーテを主人公としたミュージカルが、有名な「ラ・マンチャの男」。城山三郎の『少しだけ無理して生きる』という本の中に、その劇を見た時の一文がある。「ドン・キホーテは、みんなから、狂人だ、変人だ、と莫迦にされている。そこでドン・キホーテが言い返す。『たしかに自分は狂っているかもしれない。だけど、自分はあるべき姿を求めているんだ。あるべき姿を求めない人間もまた、狂っているのではないか』」。
「あるべき姿を求めて生きる」というのは、簡単なようで、難しい。ほとんどの人は、そんなことを意識しないからだ。そう言えば、愛国党の赤尾敏先生のことを書いた本に『憂国のドン・キホーテ』と言うものがあった。ドン・キホーテ、すなわち今日では、空想的理想主義者のこととして使われることが多いが、赤尾先生は、一筋に、「あるべき姿を求めて生きた」、稀有な人だった。関係者が多く存命なので、山平重樹さんに赤尾先生の評伝を書いて頂きたいと思っている。
夜は、酔狂亭で、月下独酌。