二月二十日(水)晴れ。
新聞の書評で、向田邦子さんの新刊が出たことを知って、早速買った。向田さんの本はすべて読んでいるし、料理に関する写真集のような物も読んだ。野村先生の「幻の娘」さんが、先生と久しぶりにお会いした時に、バレンチノのセカンドバックと向田邦子さんの『父の詫び状』という本を一緒にプレゼントしたことがある。
その向田さんが台湾で飛行機事故にて亡くなったことを知った時は、とてもショックだった。向田さんは、私と同じ飛行機嫌いで、著書『霊長類ヒト科動物図鑑』中の「ヒコーキ」と題したエッセイでこう書いている。「私はいまでも離着陸のときは平静ではいられない」、あまり片付けて出発すると「やっぱりムシが知らせたんだね」などと言われそうで、縁起を担いで汚いままで旅行に出ると書いている。このゲン担ぎも虚しく昭和五十六年八月二十二日、取材旅行中の台湾苗栗県三義郷で遠東航空機墜落事故にて死去。五十一歳だった。
向田さんの新刊は『海苔と卵と朝めし-食いしん坊エッセイ傑作集』(河出書房新社刊)。これまでに様々な雑誌などで書いた食に関するものをまとめたものだ。野村先生の事務所が、赤坂のみすじ通りにあった頃、赤坂見附の駅の近くに、向田さんのお店「ままや」があった。何度か入ろうと思ったが、一人で入る勇気が無く、入らずにいたことを今でもチョッピリ後悔している。
向田さんの新刊を読み終えてしまうのが惜しくて、それこそチビリ、チビリと読んでいる。その本の中の「骨」と題した文章の中に、興味深い一節があった。
「友人に料亭のあるじがいる。その人が客の一人である某大作家の魚の食べっぷりを絶賛したことがあった。
『食べかたか実に男らしいのよ。ブリなんかでも、パクッパクッと三口ぐらいで食べてしまうのよ』
ブリは高価な魚である。惜しみ惜しみ食べる私たちとは雲泥の差だなと思いながら、そのかたの、ひ弱な体つきや美文調の文体と、三口で豪快に食べるブリが、どうしても一緒にならなかった。そのかたは笑い方も、ハッハッハと豪快そのものであるという。なんだか無理をしておいでのような気がした。男は、どんなしぐさをしても、男なのだ。身をほじくり返し、魚を丁寧に食べようと、ウフフと笑おうと、男に生れついたのなら男じゃないか。男に生れているのに、更にわざわざ、男らしく振舞わなくてもいいのになあ、と思っていた。
その方が市ヶ谷で、女には絶対に出来ない、極めて男らしい亡くなり方をしたとき、私は、豪快に召し上ったらしい魚のこと、笑い方のことか頭に浮かんだ。」
説明の要もないだろうが、三島由紀夫氏のことである。ちなみに向田さんは新聞『赤旗』の愛読者であることを自ら明かしている。事務所の書棚にある彼女の本をもう一度読んでみたくなった。
私が役員の末席を汚している大行社の役員会議があって東京行き。夜に、先約があり、横浜に戻った。
新聞の書評で、向田邦子さんの新刊が出たことを知って、早速買った。向田さんの本はすべて読んでいるし、料理に関する写真集のような物も読んだ。野村先生の「幻の娘」さんが、先生と久しぶりにお会いした時に、バレンチノのセカンドバックと向田邦子さんの『父の詫び状』という本を一緒にプレゼントしたことがある。
その向田さんが台湾で飛行機事故にて亡くなったことを知った時は、とてもショックだった。向田さんは、私と同じ飛行機嫌いで、著書『霊長類ヒト科動物図鑑』中の「ヒコーキ」と題したエッセイでこう書いている。「私はいまでも離着陸のときは平静ではいられない」、あまり片付けて出発すると「やっぱりムシが知らせたんだね」などと言われそうで、縁起を担いで汚いままで旅行に出ると書いている。このゲン担ぎも虚しく昭和五十六年八月二十二日、取材旅行中の台湾苗栗県三義郷で遠東航空機墜落事故にて死去。五十一歳だった。
向田さんの新刊は『海苔と卵と朝めし-食いしん坊エッセイ傑作集』(河出書房新社刊)。これまでに様々な雑誌などで書いた食に関するものをまとめたものだ。野村先生の事務所が、赤坂のみすじ通りにあった頃、赤坂見附の駅の近くに、向田さんのお店「ままや」があった。何度か入ろうと思ったが、一人で入る勇気が無く、入らずにいたことを今でもチョッピリ後悔している。
向田さんの新刊を読み終えてしまうのが惜しくて、それこそチビリ、チビリと読んでいる。その本の中の「骨」と題した文章の中に、興味深い一節があった。
「友人に料亭のあるじがいる。その人が客の一人である某大作家の魚の食べっぷりを絶賛したことがあった。
『食べかたか実に男らしいのよ。ブリなんかでも、パクッパクッと三口ぐらいで食べてしまうのよ』
ブリは高価な魚である。惜しみ惜しみ食べる私たちとは雲泥の差だなと思いながら、そのかたの、ひ弱な体つきや美文調の文体と、三口で豪快に食べるブリが、どうしても一緒にならなかった。そのかたは笑い方も、ハッハッハと豪快そのものであるという。なんだか無理をしておいでのような気がした。男は、どんなしぐさをしても、男なのだ。身をほじくり返し、魚を丁寧に食べようと、ウフフと笑おうと、男に生れついたのなら男じゃないか。男に生れているのに、更にわざわざ、男らしく振舞わなくてもいいのになあ、と思っていた。
その方が市ヶ谷で、女には絶対に出来ない、極めて男らしい亡くなり方をしたとき、私は、豪快に召し上ったらしい魚のこと、笑い方のことか頭に浮かんだ。」
説明の要もないだろうが、三島由紀夫氏のことである。ちなみに向田さんは新聞『赤旗』の愛読者であることを自ら明かしている。事務所の書棚にある彼女の本をもう一度読んでみたくなった。
私が役員の末席を汚している大行社の役員会議があって東京行き。夜に、先約があり、横浜に戻った。