白雲去来

蜷川正大の日々是口実

読後感が切なかった。

2021-02-22 12:01:52 | 日記

2月19日(金)晴れ。

本を読んで憂鬱になるというのは中々ないことだ。決してつまらなかったわけではなく、面白かっただけに、読了後の気持ちがやるせなかった。『兜町の風雲児ー中江滋樹・最後の告白』(比嘉満広著・新潮新書)である。

「弱冠22歳で株投資を始めて瞬く間に100億円を手にし、30歳の時には780億円という巨額の金を動かし、各界に人脈を広げた。(投資ジャーナル事件)にて社会復帰した38歳から44歳までの間も、アングラマネーとはいえ50億の金を動かした。そして6年間の海外避難、帰国後の放火未遂事件、復活を期した東京行き、そして失意の生活保護ー中江自身も数奇な人生と認める、誰にも真似はできない、波乱万丈の人生だと言えるだろう・・・」(本文より)

遊び方も半端ではなく、毎日部下に3000万円ぐらいの現金を入れた紙袋を持たせて、銀座の高級クラブをハシゴし、金を使いきれば帰るという日々を繰り返していた。更に20代で赤坂の芸者を500万円で水揚げし、リキマンションの最上階のペントハウスを2億円で買い与えたり、まあ破天荒な青春?を過ごしていた。

その彼が、最後は生活保護を受けながら安アパートの一室で、タバコの火の不始末で焼死する。2020年2月20日、享年66歳。私より3歳年下である。若い頃に巨額の金を有し、豪遊、浮名を流すが、晩年は、生活保護を受け、一人寂しく死んでゆく。反対に、若い頃は苦労の連続であっても、晩年は家族に囲まれて穏やかな日々を過ごす。さあ、アナタならどちらの人生を選びますか。  

 


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森さんは犯罪者じゃないだろう。

2021-02-19 12:05:18 | 日記

2月18日(木)晴れ。

昨夜、晩酌をする前に「ベパリーゼ」を飲んだのだが、その効果を上回る酒を飲んだためだろうか、起きた時に昨日の酒が残っておりフラッと来た。それでも朝食は、「おでん」をおかずにしっかりと食べた。昼は、ガーリックライスにとろろこぶのスープ。夜は、近くの魚屋で買ったマグロとカツオの刺身、アスパラのオイスターソース炒め。お供は「三岳」。

オリンピックの組織委員会の会長に橋本聖子さんが決まった。まあ私のような素人から見ても適任だと思う。しかし、意地の悪いマスコミは森前会長の「影がちらつく」などと言った報道をしているところもある。影がちらついて何か悪いことがあるのか、不思議でならない。立場を利用して私服を肥やしたことで、刑事罰を受けたわけではあるまいしまるで犯罪者扱いではないか。もし、そんなに悪い人だったら、あんな失言がなくとも、ふさわしくない。としてとっくにやめさせたら良かった。マスコミや世論なんていい加減なものだ。おぼれている犬を棒でたたく。とかいう諺がどこかの国にあるそうだが、日本人もだんだんそういう卑しい性格になりつつある。と思うのは杞憂だろうか。


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梅はこぼれる、桜は散る。

2021-02-18 18:15:53 | 日記

2月17日(水)晴れ。

自宅の近くの公園に見事な白梅の木が花を咲かせている。もう少しで、私の好きな「雪柳」や「桜」が楽しめる。子供が小学生の頃から、南区の下町を流れる大岡川沿いの桜の名所でのほぼ同じ場所で定点写真を撮っている。今年は、下の子供が大学を卒業なのだが、上の子供の時もタイミングが悪く、桜の下で羽織袴での写真とは行かないのが残念である。卒業式の日に合わせて桜が咲いてくれないのである。

私が役員の末席を汚している民族革新会議の会歌は「梅と兵隊」。昭和16年に田端義夫の歌で発表された。「春まだ浅き戦線の古城にかおる梅の花。せめて一輪母上に頼りに秘めて送ろうじゃないか」。野村先生の句に「白梅を愛すごとくに 正義をも」がある。

我が国には、花が散ることには独特の表現がある。梅の場合は「こぼれる」。桜は「散る」、椿は「落ちる」、朝顔は「しぼむ」、菊は「舞う」、牡丹は「崩れる」、萩も「こぼれる」。

夜は、おでん。豚肉のしゃぶしゃぶを肴に酔狂亭にて独酌。お供は「三岳」。


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海苔罅(ひび)を知っていますか。

2021-02-18 18:15:53 | 日記

2月16日(火)晴れ。

私が中学生ぐらいの頃まで、京浜急行沿線には海が広がっていた。杉田を過ぎると富岡、金沢文庫に八景。皆遠浅の海で、富岡の海岸には、秋から冬には「のりひび」の竹が海に並んでいた。現在では、ほとんどのの海が埋め立てられコンクリートの護岸となり、海と言うよりも「ドブ」のようになってしまった。一度埋め立てたところを、また人工的に海に戻したりするアホなこともした。

海岸に海苔が干してある風景など、今ではほとんど見ることが出来ない昭和の風景だろう。まあ、ない物ねだりの子守歌か。

後輩が旅をかけてこちらに来ているのだが、まだ一度も酒席を持っていない。何といってもほとんどの店が時短営業で八時には閉まってしまう。昼間の酒はあまり好きではないが、近々一献と思っている。夜は、豚足、オイキムチ、タレントがやっているというから揚げ。すべて最悪だった。まあこんな日ある。おとなしく酔狂亭にて独酌。


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雨がお酒であったなら。

2021-02-18 17:40:02 | 日記

2月15日(月)雨。

一度起きて、仕事に行く家族を見送ってから、二度寝した。十一時過ぎに起きて、朝食を兼ねた昼食は、久しぶりにソース・チャーハン、マルシンのハンバーグ、目玉焼き。夜は、鶏肉のすきやき、カツオの刺身、小エビの天ぷら。お供は「黒霧島」。酔狂亭にて独酌。

夜中に激しい雨。昨年に屋根の雨漏りを直しておいて良かった。雨と言えば、昭和41年に橋幸夫が歌った「雨の中の二人」。日本が経済的に良い頃なので、歌詞は「雨が小粒の真珠なら」と貧しさは感じられないが、先日、BSテレ東の「酒の歌」特集で知ったのが、戦後間もない昭和23年に、市丸姐さんが歌った「雨がお酒であったなら」。まあ、雨を酒に変えて飲みたいという歌ではなく色っぽいものなのだが、何となく当時の庶民の気持ちを代弁しているようなタイトルで「戦後」を感じさせるタイトルではないか。

雨がドンペリであったなら、晴れたらダイヤモンドダストが見られるかもしれない。盟友のOが喜ぶに違いない。私だったら、雨が「森伊蔵」だったら。いや上等すぎるので「伊佐美」か「三岳」ぐらいにしとくか。梅雨時は毎日、酔っ払っていられる。いいなぁー。


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