1月4日(水)晴れ。
明日から仕事始め、という愚妻と上の子供の激励で朝食は取らずに、昼食を伊勢佐木町近くの吉田橋商店街にある「八十八(やそはち)」に「うなぎ」を食べに行った。横浜には、鰻屋の名店と言われているお店が何軒かある。味は、それぞれの好みだろうが、私は、この「八十八」と東神奈川にある「菊屋」の二軒が好きである。「八十八」は、以前は馬車道の裏にあったが、一度閉店した。お店の味を惜しむ人が多く、9年前に現在の場所で再開店した。「八十八」を愛したことで有名なのは、山本周五郎、山口瞳、そして画家の柳原良平などがいる。せめて、月に一度くらいは鰻を食したいが、何と言っても浪人の身、落語ではないが、鰻を焼く臭いをかいで飯を食うのが関の山。
随分前の『週刊文春』のコラム、平松洋子さんの「この味」の第二九五回が「茂吉の鰻」。歌人斎藤茂吉は、無類の鰻好きだった。いや、好きという言葉から八ミ出してしまう、空前絶後の鰻アディクト(注・常用者、中毒者、熱中者、大のファンぶり)僕だってあたしだって大好物なんですよ鰻、と手を挙げるひとはたくさんおられようが、茂吉ほど鰻を食べに食べたひとをほかに知らない。
その破格の行状を明るみに出すのが、『文献 茂吉と鰻』(林谷廣著昭和五十六年〃短歌新聞社刊行)だ。著者は、斎藤茂吉記念館の運営に尽力してきた人物で、斎藤茂吉研究会会長、アララギ会員。いったい茂吉が生涯にどれほど鰻を食べたか、日記や資料を駆使しながら、重箱のすみまでつつきにつついて調べ上げた一大労作である。茂吉の鰻好きはつとに有名ではあったけれど、ここまで微に入り細をうがった調べ物はなく、しかし、「文献」と一歩下がるところが奥ゆかしい。鰻が気になる者として、やっぱりこの本は読んでおかなくちゃ、と古書店で探して入手した一冊なのだった。