白雲去来

蜷川正大の日々是口実

明日の仕事始めの激励で「八十八」へ。

2023-01-13 11:56:29 | 日記

1月4日(水)晴れ。

明日から仕事始め、という愚妻と上の子供の激励で朝食は取らずに、昼食を伊勢佐木町近くの吉田橋商店街にある「八十八(やそはち)」に「うなぎ」を食べに行った。横浜には、鰻屋の名店と言われているお店が何軒かある。味は、それぞれの好みだろうが、私は、この「八十八」と東神奈川にある「菊屋」の二軒が好きである。「八十八」は、以前は馬車道の裏にあったが、一度閉店した。お店の味を惜しむ人が多く、9年前に現在の場所で再開店した。「八十八」を愛したことで有名なのは、山本周五郎、山口瞳、そして画家の柳原良平などがいる。せめて、月に一度くらいは鰻を食したいが、何と言っても浪人の身、落語ではないが、鰻を焼く臭いをかいで飯を食うのが関の山。

随分前の『週刊文春』のコラム、平松洋子さんの「この味」の第二九五回が「茂吉の鰻」。歌人斎藤茂吉は、無類の鰻好きだった。いや、好きという言葉から八ミ出してしまう、空前絶後の鰻アディクト(注・常用者、中毒者、熱中者、大のファンぶり)僕だってあたしだって大好物なんですよ鰻、と手を挙げるひとはたくさんおられようが、茂吉ほど鰻を食べに食べたひとをほかに知らない。

その破格の行状を明るみに出すのが、『文献 茂吉と鰻』(林谷廣著昭和五十六年〃短歌新聞社刊行)だ。著者は、斎藤茂吉記念館の運営に尽力してきた人物で、斎藤茂吉研究会会長、アララギ会員。いったい茂吉が生涯にどれほど鰻を食べたか、日記や資料を駆使しながら、重箱のすみまでつつきにつついて調べ上げた一大労作である。茂吉の鰻好きはつとに有名ではあったけれど、ここまで微に入り細をうがった調べ物はなく、しかし、「文献」と一歩下がるところが奥ゆかしい。鰻が気になる者として、やっぱりこの本は読んでおかなくちゃ、と古書店で探して入手した一冊なのだった。


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箱根駅伝と紅白の視聴率がほぼ一緒。

2023-01-13 11:19:33 | 日記

1月3日(火)晴れ。

布団の中で箱根駅伝の復路のスターを見る。青山の6区がブレーキ。箱根の難しさは20余キロを恙なく走れる選手を10人揃えなければならないという所にあるだろう。そのためには箱根を目指す、倍の所属の選手が必要となる。勝手な基準で申し訳ないが、俗に「三大駅伝」と言うものがある。出雲駅伝、全日本大学駅伝、箱根駅伝の三大会である。関東の大学は、いくら出雲や全日本大学駅伝で勝っても箱根で勝たなければ意味がない。と言われている。テレビの視聴率も沿道の観客の応援も、箱根駅伝がダントツである。

結果は、駒沢大学が総合優勝。登録選手が全員1万メートルを28分台で走る青山学院は、後半の追い上げで3位。盟友や函館の社友のガッカリしている顔が浮かぶ。1万メートルは28分台で走ると一流と言われ、27分台で走れば超一流であると、瀬古利彦さんが言っていた。優勝した駒沢大学にはその超一流の選手が二人、田沢廉、鈴木芽吹の二人である。

関東の大学のみが出場する箱根駅伝の瞬間最高視聴率は35%とか。ちなみに昨年末の紅白歌合戦の視聴率も同じく35%。主催者は大変だろうが、全国の大学が出場しての箱根駅伝を見てみたいものだ。

暮れから帰宅していた下の子供が明日から仕事と言うことで帰って行った。夜は、家族三人で、形だけでも正月料理をと、毛ガニ、マグロの刺身、湯豆腐。お供は「さつま司」。


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寝正月。

2023-01-08 10:44:25 | 日記

1月2日(月)晴れ。

この日、同志らと相集って皇居参賀へ行ったのは、いつまでだったか。いつの頃かは失念したが、街宣車で皇居に向かうとき、箱根駅伝のエースが集う花の2区で、若き日の瀬古利彦選手とすれ違ったことがあった。といっても彼が走っていたのは反対側の道路だったが。当時は、選手の後ろには大学ののぼりを立てたジープが走り、監督、コーチがアドバイスや檄を飛ばしていた。早稲田のジープには、瀬古選手の恩師であった中村監督が乗っていた。

朝から、布団の中で箱根駅伝を見る。昼近くにノソノソと起きて、家族で食事。「フクイのカレー」。そういえば、随分前のテレビのコマーシャルに「お節もいいけどカレーもね」と言うものがあった。夜は、子供たちのリクエストでエビフライ、キャベツのコールスロー添え、伊勢志摩の自然薯の磯辺揚げ。お供は、鹿児島県産の「ハマコマチ」という薩摩芋を原料とした「さつま司」。箱根駅伝の往路は駒沢大学が優勝。青学は残念な結果に終わった。

4年生で、最初で最後の箱根というのは、あまり結果が出ないことが多いように思う。反対に、新人は、たとえ失敗しても次がある。4年生の最初で最後は、失敗したら後がない。それゆえプレッシャーも大きく、本来の力が出せない。まあ箱根駅伝が人生の全てではない。単なる通過点。社会に出たら、もっと厳しい現実が待っている。その時に、4年間の陸上競技生活を思い出して、頑張ってほしいものだ。


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正月の珍事。

2023-01-08 10:24:10 | 日記

令和5年1月1日(日)晴れ。

時計を見たら深夜の3時30分。なにやら救急車のサイレンが聞こえる。夢か・・・。自宅の近くに救急も扱っている脳神経外科があり、良く救急車が通るので、それかと思ってウツラウツラしていたら、玄関から愚妻の声が聞こえる。スワ鎌倉と飛び起きて玄関に向かうと、救急車が止まっていて中を見たら上の子供が乗っていてる。夜中に、動機がして気持ちが悪くなり、吐いたという。そして過呼吸状態である。そのまま自宅から20分ほどの病院へ向かった。愚妻が付き添い、私が後から追いかけることにした。

病院の場所が分かり、向かった。子供は熱もなく落ち着いたようで、自宅に戻ることになって一安心。

午前中に志村馨君を迎えに行き、そのまま伊勢原へ。子供が心配なので愚妻は留守番。浄発願寺で、大熊雄次氏、松本佳展氏、さえちゃんと合流。ご住職に新年のご挨拶を済ませてから野村先生のお墓に詣でる。それから私の両親のお墓へ。今年一年の無病息災をお願いした。

終了後に、用事のあるという大熊氏を駅まで送り、今年初めての「飯場の会」へ。お世話になっているI社長とその仲間たちとの新年会。二時間ほど飲んで帰宅。幸いに子供は元気で安心。ちょっと驚いた正月でした。


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霜鬢(そうびん)明朝 又一年

2023-01-03 17:58:12 | 日記

12月31日(土)曇り。

樋口一葉の体験から、貧乏のもとに生まれた人たちが背負っていかなければならない人生を描いているのが、有名な「おおつごもり」。今日は、その大晦日。女房は古いが、畳と障子を新しくした。昨日には、玄関にささやかな門松や正月飾りを吊るし、陋屋に相応な鏡餅も飾った。

夜は、家族そろって「やきまる君」を使って、好きなミスジを焼き、五島うどんに「エビのかき揚げ」をいれて年越しの蕎麦、いやうどんか。何年かぶりで「紅白歌合戦」を見た。しかし、出てくる歌手は知らないグループや歌ばかり。どこで手拍子をしたら良いのか、何処で終わるのかさっぱり分からん。皆、同じような連中に見える。前半を、若い人向け、後半を私のようなジジイ向けと分けてくれないかなぁ―。途中で消してしまった。もう二度と見ないけんね。

録画した「富士山駅伝」を見る。こっちの方が百倍楽しい。名城大学の5連覇。黄金時代となった。明日は、実業団対抗駅伝。二日は箱根駅伝。正月は、駅伝三昧。嬉しいなぁー。

大晦日になると中国の詩人である高適の「除夜作」という漢詩が必ず浮かぶ。北海道時代、寒さに耐えながら学んでいた頃の事と共に・・・。       

旅館寒燈獨不眠  旅館の寒燈に独り眠れず
客心何事轉凄然  客心何事ぞ転(うた)た凄然
故郷今夜思千里  故郷今夜 千里に思う
霜鬢明朝又一年  霜鬢(そうびん)明朝 又一年

大晦日の夜に旅館の寒々とした灯りの下、眠らずにいる。旅人の心に、どうしたことだろう…痛ましい気持がこみ上げてくる。この夜、千里離れた故郷のことを思う。明日の朝はもう新しい年だ。この鬢の白髪もまた年を重ねるのだなぁ…。

本当に髪の毛は霜のように白くなって、年が明ければ七十二歳となる。正に、門松は冥土の旅の一里塚。めでたくもあり、めでたくもなし。


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