白雲去来

蜷川正大の日々是口実

『維新と興亜』の特集がとても良い。

2023-06-14 15:41:08 | 日記

5月8日(木)曇り。

朝食は、TKG、大根の味噌汁。昼は、食パン一枚。夜は、オアジにて友人らとの一献会。

東大、朝日新聞を経て上智大学の教授をしているO氏、古いお付き合いのジャーナリストの久田将義さん、弊社の松本佳展君らと、西横浜のオアジにて時局を肴の一献会。久田さんは、かつて『実話ナックルズ』の編集長をしていた頃からお世話になっていてる。元連合赤軍の植垣康博さんの所に取材に行ったり、民族派の特集の折には良く原稿を書かせて頂いた。

現在発売中の『維新と興亜』(令和5年5月号・第18号)の特集は「『新右翼』が目指したものー鈴木邦男と野村秋介」と言うもので、安田浩一氏、山平重樹氏、花房東洋氏、番家誠氏と私が、編集長の坪内隆彦さんのインタビューに答えている。又、坪内さんの「新右翼と『新勢力』ー維新の戦闘者・毛呂清輝」は、懐かしく、かつ大変に勉強になった。毛呂先生のご自宅に「菊政宗」を下げて、私の主宰していた勉強会の講師のお願いに行ったのは、もう50年以上も前のこと。その折に、荒木精之先生の『神風連烈士遺文集』を頂き、表紙の裏に揮毫して頂いた。

また、「橘孝三郎『土とま心』」の特集もとてもいい。民族派運動に携わる人はもとより、維新運動にご興味のある方には、是非お勧めしたい。

 


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映画の夢。

2023-06-12 14:38:23 | 日記

6月7日(水)晴れ。

朝食は、野菜のうま煮丼、タマゴスープ。昼は抜いた。夜は、自宅近くの「浜一寿司」にて、去る人と来る人との一献会。思い出話や、これからの話で気が付けば、ボトルが開いていた。お世話になった去る人に感謝。

大変古い話で恐縮だが、三橋美智也のヒット曲『古城』という歌がリリースされたのは昭和34(1959)年のこと。私は、8歳だった。当時、我が家にはテレビはなく、夜の楽しみはラジオを聞くことだった。別に歌謡曲が特別好きだったわけではないが、一説によると300万枚を売り上げたというその歌は、当然ながらラジオから良く流れていた。一番の歌詞は、「松風騒ぐ 丘の上、古城よ独(ひと)り 何偲(しの)ぶ、栄華の夢を 胸に追い、あゝ 仰げば佗(わ)びし 天守閣」。と言うもの。小学生の低学年だった私が暗唱できたくらいだから、数多く聞いていたのに違いあるまい。

その歌詞の中の「栄華の夢」を、長い間「映画の夢」だと思っていた。「映画の夢」でも歌詞が繋がるのだから、子供の私が勘違いしていたとしても不思議ではない。大体、子供だった私が「栄華」や「栄耀栄華」などの熟語を知っていたはずもない。「映画」が「栄華」であることを知ったのは、随分と後のことである。多分、テレビが普及して、画面に歌詞が出るようになってからだと思う。

確か、向田邦子さんにも、そんな間違いをタイトルにした『眠る盃』という本があった。「荒城の月」の「めぐる盃」を「眠る盃」と覚えていたことに因んだエッセイである。向田さんの子供の頃に、テレビがあったなら、こうした間違いはしなかったかもしれない。


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物を書く根気がなくなった。

2023-06-12 14:21:39 | 日記

6月6日(火)曇り後雨。

朝食は、紅鮭、新玉ねぎのオイスターソース炒め、インスタントのお吸い物。昼は抜いた。夜は、牛肉のニンニク炒め、鶏の手羽先と大根の煮物、レタスのナムル。お供は「三岳」。酔狂亭にて独酌。

季節は少々後戻りするが、この時期の雨を見ると野村先生の 花の雨 けむる祖国のさみしさよ。の句をすぐに思い出す。野村先生が師と仰いだ五・一五事件の首謀者であった三上卓先生の句集『無韻(むいん)』の中に「秘めしこと一つありけり 花の雨」という句がある。いわゆる「海烈号事件」にて、逮捕され横浜刑務所に在獄中の作である。この句が収められている「無韻」は、現在ほとんど手に入らないし、ヤフオクなどで探して見ても見つからない。何とか再販してもらいたいと思っている。

歳のせいにはしたくはないが、めっきり原稿を書くスピードが遅くなった。小学生の作文に毛が生えた程度の文章であるが、一念発起して何か書いてみたいと思っている。

 


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文豪が愛でた鰻。

2023-06-10 16:18:43 | 日記

6月5日(月)晴れ。

朝食は、野菜の煮天丼、新玉ねぎの味噌汁。昼は抜いた。夜は、カツオ、鶏手羽のから揚げ、レタスのナムル、新玉ねぎのスライス。お供は、「黒霧島」。酔狂亭にて独酌。

新玉ねぎが好きだ。オニオンスライスが手軽で良いが、一番好きなのは、オイスターソース炒め。この時は、余り炒め過ぎずに、余熱でちょうど良くなる程度にする。カツオを食べる時は、新玉ねぎのスライスを薬味にする。味噌汁にも合うし、時間があるときは、パン粉をつけて、豚肉を挟んで「串カツ」にする。その新玉ねぎを社友から沢山いただき、何か食糧の貯金が増えたようで喜んでいる。

私の趣味の一つに、食に関する物のスクラップがある。行ったことのあるお店、行って見たいお店、取り寄せて気に入ったものやこれから取り寄せたいと思う物の写真や記事を保存している。もちろん食に関するエッセイなどもだ。今月で100年の歴史の幕を閉じる『週刊朝日』の2016年7月29日発売号のグラビアの特集が、「文豪が愛でた鰻」というもの。「鰻好きの文豪」で一番有名なのは斎藤茂吉で、彼の29年間の日記の中には、鰻を食べたという記述が902回も出てくるそうだ。その茂吉の他には谷崎潤一郎、夏目漱石、太宰治、泉鏡花といった「鰻好き」が通ったお店が紹介されている。

「週刊文春」の平松洋子さんのコラム「この味」で知ったのだが、斉藤茂吉記念館の運営に尽力した、林谷廣氏の著書『文献 茂吉と鰻』という本に「ゆふぐれし机の前にひとり居りて鰻を食ふは楽しかりけり」と詠んだ昭和三年には、実に六十八回も鰻を食べている。何と五日に一回の割合で食べているのだ。自宅他、銀座の「竹葉亭」、青山「佐阿徳」、浅草「前川」など都内のあちこちの店に行く。この三店の内、青山の「佐阿徳」は閉店してしまったが、「竹葉亭」と「前川」は営業している。戦時中も鰻の缶詰を幾つもストックしていたと言う。「もろびとのふかきこころにわが食みし鰻のかずをおもふことあり」と詠んだ。

ちなみに『週刊朝日』の特集では、茂吉が愛した鰻屋は、渋谷区道玄坂にある「花菱」というお店が紹介されている。


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福田和也氏の新刊。

2023-06-09 16:01:16 | 日記

6月4日(日)晴れ。

朝食は抜いた。昼は、揚げパン一個。夜は、チヂミ、小エビのフリッター、ナポリタン、新玉ねぎのサラダ・イタリアンドレッシング。お供は、「黒霧島」。酔狂亭にて独酌。

過日、産経新聞の書評欄で、久しぶりに福田和也氏の名前を見た。一時期は、保守の論壇の寵児として、様々な媒体で活躍しており、決して大げさではなく福田氏の文章や名前の見ないことはなかった。それが、いつの日からか、全く、名前を見なくなった。(私の勉強不足だったら許してください)どうしているのだろうかと、心配していた。

福田氏は、平成10年に開催した野村先生の追悼集会「群青忌」の第五回横浜集会で追悼講演をして頂いた。それ以降は個人的なお付き合いはなかったが、最後に本を読んだのは『日本綺人伝』(廣済堂新書)か。またもう13年も前だが福田氏が『週刊新潮』で「世間の値打ち」というコラムを連載していた。その第四百九回(8・26号)が「忘れられた横浜の怪人・田中平八の足跡を訪ねた」というものがあり、野村先生のご両親の眠るお墓のある横浜市西区にある東福寺、通称「赤門の寺」を訪れたことが書いてあり、ちょっと感慨深かった。その福田氏の新刊本と言うのが、『保守とは横丁の蕎麦屋を守ることであるーコロナ禍「名店再訪』から保守再起動へ』(河出書房新社・1870円)。

明治大准教授の酒井信氏の書評を一部紹介させて頂く。

福田和也が本作でいう「日常を大切にし、それを文化とする心」は、彼の旺盛な執筆活動=生き方と深く関係する。冒頭の東京・大井町、丸八のページには、2度揚げされたとんかつへの「等身大の愛」が綴(つづ)られ、神保町の名店ランチョンやキッチン南海のページには「取り替えのきかない郷愁」があふれる。馴染みの店でのひと時を、読者の食欲をそそる「臨場感あふれる言葉」で綴る福田の日常に根差した文芸は、福田恆存の言う「文化」の域に達している。

表紙の痩せた福田和也の姿を見て、読者は驚くだろうか。コロナ禍の飲食店を訪ねるこの連載中に3度倒れ、3度救急搬送されたという。ただ本書でも、「批評の目玉」の鋭さは健在で、福田という「とんかつの衣」から「中の人=真打ち」が出てきた印象さえ受ける。読んでいて何度も涙がこぼれた。「日常の精神の安寧」を尊ぶ福田らしい「生きた文学」で、彼の弟子であることを誇らしく思う。

 

 

 


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