白雲去来

蜷川正大の日々是口実

経団連事件から47年。

2024-03-06 14:32:11 | 日記

3月3日(日)晴れ。経団連事件の日。

起床後、食欲がなく、買っておいたパンにウインナーを挟んだホットドッグ1個。昼は、井土ヶ谷駅の近くのマックでエビフィレオ。夜は、ミスジ肉、マグロとネギの塩焼き、レタスのナムル。お供は、久しぶりに「伊佐美」。酔狂亭にて上の子供と対酌。

成10(1998)年の1月13日に、いわゆるビック・バンに反対して東京証券取引所に拳銃を持って立てこもり、八年の刑を受けて入所中だった板垣君が、戦線復帰を1月後に控えた、平成18年3月4日に八王子の医療刑務所にて薬石の功なく肝臓癌で亡くなった。同志らと彼を荼毘に付し、葬儀を行ってから早いもので満26年となる。明日の命日を前に、志村馨、松本佳展の両君と共に墓所である港北区の三会寺にお墓参りに行った。

野村先生が同志らと「財界の営利至上主義を撃つ」として財界の総本山である経団連会館を襲撃・占拠したのが昭和52(1977)年の3月3日の事。この日は「桜田門義挙」の日でもある。昭和52年当時、私は二十六歳。何気なくテレビを見ていたら臨時ニュースで「右翼が経団連を襲撃」というテロップが流れた。すぐに野村先生たちの行動とピンと来た。居ても立っても居られなかったが、何をして良いか分からなかった。何で、俺が家にいるのかと、いたたまれなかった。何年たっても今日の日が来ると、あの時の忸怩たる思いが甦る。その頃、城山三郎の『一歩の距離』を読んだことにより、一歩踏み出すことが出来た。最も十年の歳月を必要としたが・・・。早いもので、経団連事件から47年が過ぎた。

先駆けて 散りにし人の 悲しみを 我がものとせむ この道を行く。この歌は、経団連事件の前日に野村先生が詠んだ歌である。※平成3年2月、函館、土方歳三終焉の地の碑の前で。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

あたりまえという奇跡。

2024-03-05 11:23:30 | 日記

3月2日(土)晴れ。

朝は、昆布とかつお節でたっぷり出汁をとって、冷ご飯を「お粥」にした。山芋と大根ときゅうりの自家製糠漬け。昼は抜いた。夜は、かた焼きそば、牛筋煮、トマトサラダ、山芋と大根の糠漬け。お供は「黒霧島」。酔狂亭にて独酌。

テレビで大谷翔平さんを見ない日がない。日本人として百年に一人の逸材である彼に関するニュースは、野球の事でなくても嬉しい。結婚したと聞けば、相手が気になる。まるでミーハー状態である。その大谷さんが、とある医療機械メーカーのインタビューで、「岩手県の名物を教えてください」という質問に対して、答えたのが「一番のオススメは岩泉ヨーグルトです。本当に美味しくて、僕は世界一だと思っていてます」。と答えたそうだ。私は、大谷さんが「世界一美味しい」と言ったそのヨーグルトを一度も飲んだことがないが、お世話になっている盟友から、「岩泉ヨーグルト」を作っている会社の社長さんが書いた『あたりまえという奇跡ー岩手・岩泉ヨーグルト物語』(山下欣也著・センジュ出版)という本を頂いた。

山下さんが、会社の前身の「岩泉乳業㈱」の社長を引き受けた時には、2億8千万円もの累積赤字があった。2009年のことで、山下さんは51歳だった。その会社を特別な方法で作る「岩泉ヨーグルト」の販売や、化粧水の開発などで、現在では、グループ会社全体で29・5億円もの売り上げる会社に成長した。その本は、山下社長の「奇跡」と「軌跡」を自らが書いたもの。決して立志伝中の人と言った堅苦しさはなく、歩んできたことが淡々と描かれている。我が盟友のことも二か所に出ていて嬉しくなった。2016年の台風で会社や工場が壊滅的な被害にあった時、盟友が、我がことのように慌て、心配していたことを良く覚えている。天下の浪人をもって任じている私などは、山下社長のような生き方は出来ないが、さわやかな読後感に浸った。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

梅が見ごろ。

2024-03-04 18:10:10 | 日記

3月1日(金)晴れ。

ぼやーっとしているうちに月が替わった。遅い朝食は、ガーリックチャーハン、カレーうどん。昼は抜いた。夜は、吉田橋商店街の「梅や」で買った、鶏餃子、麻婆豆腐、マグロのネギ間焼き。お供は、「黒霧島」。酔狂亭にて独酌。

車を運転していたら、カーラジオから「春一番」が流れてきた。そういえば、自宅の近くに大きな梅の木があって、見事な花を咲かせている。梅の花を見ると、つい口にするのが、「春まだ浅き戦線の、古城にかおる梅の花。せめて一輪母上に、頼りに秘めて送ろうじゃないか」。田端義夫の『梅と兵隊』である。

愛用している『漢詩一日一首』(一海知義著・平凡社)の「春」の中に、宋の陸游の「落梅」というえ詩があった。

酔うて落梅の一両枝を折る 桃李の自ら時に逢うを妨げず 向来(きょいうらい)氷雪の凝ること厳しき地に 力(つと)めて春の回(かえ)るをすすむるはついに是れ誰ぞ。

訳は、酒の酔いにまかせて散り残る梅のひと枝ふた枝を手折ってみた。桃やすももがほどよい季節を自ら選んで花咲かせるのをとやかくはいうまい。しかし、「向来(きょうらい)」、かねてからそうなのだが、氷や雪のきびしくはりつめたこの大地に、花咲く春をよみがえらせようとけなげに努力しているのは誰なのか。桃ではない。すももでもない。梅ではないか。(同書より)

梅のはな 枝にしらじら咲きそむる つめたき春となりにけるかな。とは牧水の歌。野村先生は、白梅を愛すごとくに 正義をも。と詠んだ。

 

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする