スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

韓国国際競走&不適切になる理由

2023-09-11 19:04:48 | 海外競馬
 昨日の午後に韓国のソウル競馬場で行われた国際競走に日本馬が遠征しました。
 コリアスプリントGⅢダート1200m。バスラットレオンが2番手,リメイクが8番手からのレース。各馬が内目を開ける中でリメイクは内から進出し,直線入口では6番手付近。直線も逃げた馬が内を開けて走ったので,リメイクはそのまま内から伸び,残り150m付近でその逃げ馬を差して抜け出し優勝。バスラットレオンは逃げた馬にはむしろ差を広げられる形になって3着。
 優勝したリメイククラスターカップからの連勝で重賞3勝目。父は2016年にUAEダービーを勝ったラニでその母がヘヴンリーロマンス。母の父はキングカメハメハ。日本馬による海外重賞制覇はドバイワールドカップ以来。韓国がパートⅡになってからの重賞を日本馬が制覇したのは初めて。
                                        
 騎乗した川田将雅騎手はドバイワールドカップ以来の海外重賞4勝目。管理している新谷功一調教師は昨年のUAEダービー以来の海外重賞2勝目。
 コリアカップGⅢダート1800m。クラウンプライドは2番手追走から向正面で単独の先頭になり,そこからは逃げる競馬。グロリアムンディは7番手の外から漸進していき,3コーナーでは2番手。直線の入口ではこの2頭が雁行になりました。しかし叩き合いにはならず,途中から逃げたクラウンプライドの方が一方的に突き放していって快勝。グロリアムンディはクラウンプライドには離されたものの2着は確保。
 優勝したクラウンプライドは昨年のUAEダービー以来の優勝で重賞2勝目。父は2009年にきさらぎ賞,2010年にマイラーズカップを勝ったリーチザクラウンでその父がスペシャルウィーク。母の父がキングカメハメハで祖母の父がアグネスタキオン。母の3つ上の半姉に2012年にロジータ記念を勝ったエミーズパラダイス
 騎乗した川田将雅騎手は直前のコリアスプリントに続く海外重賞5勝目。管理している新谷功一調教師もコリアスプリントに続いて海外重賞3勝目。

 前もっていっておいたように,河井が示している事例に従えば,コンパスを用いて正確な円を描くことは,円の真の観念idea veraを有することに模されなければなりません。しかし実際に僕たちがコンパスを用いて円を描く行為は,円の表象像imagoを僕たちが有することには資するといえますが,円の真の観念を有することにはそれと同じ意味で資するということはできません。よってこの観点からも,河井が示している事例というのは不適切であるように僕には思えるのです。
 このことが不適切となってしまうのは,以下の理由によります。
 もし現実的に円が存在するのであれば,この円の観念は,第二部定理八系でいわれているように,持続するdurareといわれる存在existentiaを含むことになります。よってこの円,これは現実的に存在するあるひとつの円を前提としますが,この円の本性essentiaというのはこの円に固有の現実的本性actualis essentiaです。これに対して,一端が固定されもう一端が運動する直線によって形成される図形というのを円の形相的本性essentia formalisとしてみた場合は,この円の観念というのは,同じ系Corollariumでいわれているところの,神Deusの無限な観念が存在する限りにおいて存在するといわれる観念です。このことは,こうした観念が僕たちによって認識されるとするならば,僕たちの理性ratioによって認識されるのであって,第二部定理四四系二によって,それは永遠の相aeternitatis specieの下に認識される円の形相的本性であるということからも説明することができますし,一般に事物の本性というのは永遠のaeternus真理veritasであって,持続するものではないということ,つまり昨日も真理で今日も真理で明日も真理であるというように継続していくものではないということからも説明することができるでしょう。そして円の形相的本性がそうしたものであり,そうしたものとして僕たちに認識されるから,この形相的本性は存在するすべての円に妥当するということになるのです。
 このことから容易に理解することができるように,僕たちがある事物の形相的本性を認識するcognoscereということを,そもそもある事物の現実的本性に対して適用するということ自体に無理があるのです。そしてその無理が,河井が示している事例の中では犯されているのです。
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ケンタッキーダービー&投票行動

2023-05-07 18:56:02 | 海外競馬
 日本時間の今朝,アメリカのチャーチルダウンズ競馬場で行われたケンタッキーダービーGⅠダート2000m。
 デルマソトガケは発馬で左によれてしまいました。マンダリンヒーローは10番手前後の集団。発馬の影響で序盤は後方になってしまったデルマソトガケは漸進して向正面ではマンダリンヒーローに近い位置まで上昇。3コーナーにかけてデルマソトガケはさらに前の集団との差を詰めていきました。マンダリンヒーローはここで動くことができず,前の集団との差が開きました。直線はかなりごちゃごちゃしました。デルマソトガケは進路に関してとくに不利があったようには見えませんでしたし,一杯になってしまったわけでもなかったのですが,前に位置していた馬たちでの優勝争いに加わることはできず,勝ち馬からおよそ8馬身差で6着。マンダリンヒーローは3コーナー手前で開いた前との差を詰めることができず,勝ち馬からおよそ20馬身4分の1差で12着でした。
 マンダリンヒーローはともかくデルマソトガケはどちらかといえば前よりの位置でレースを進める馬なので,発馬の不利は大きいものでした。とくにこのレースは前に位置していた馬が1着と2着を占めましたので,展開面からもなおさらであったように思います。これだけ差がありますので勝ち負けまでは厳しかったかもしれませんが,発馬で不利がなければ,勝ち馬との差はもう少し縮まったものと思います。マンダリンヒーローはペースアップしたところで対応できませんでしたので,その点は今後の課題となるでしょう。距離にもやや不安があるのかなという印象も受けました。

 民主主義国家における選挙の投票行動は,無条件に能動であると思われるかもしれません。いい換えれば,法的に保障されている自由libertasの権利juraの行使であると思われるかもしれません。しかし,力potentiaの対比という観点を採用する限り,必ずしもそうであると断定できるわけではないのです。たとえばAが,その時代の雰囲気に流されてだれかに投票するということがあるとすれば,このAの投票行動に対する力は,A自身の本性essentiaによって説明される力より,時代の雰囲気とか空気といったものによって説明される力の方が大きいことになります。したがってAの投票行動は,この場合にはAの能動ではなく受動passioであるということになります。したがってAは与えられている投票の自由という権利を行使しているのではないといわなければなりません。なぜなら,人間にとっての自由とは,その人間にとっての能動についていわれるというのが原則であるからです。
                                   
 もちろんだからといって,この投票する自由を剥奪してよいというわけではありません。人間には受動的自由というものもあるのであって,受動的自由としての投票行動を規制するのは,現実的に存在する人間に対して必然的にnecessario与えられている条件や制約の下での行動を規制するのと同じことだからです。いい換えれば,この種の法的に保障されている自由,投票の自由に限らずすべての法的な自由は,現実的に存在する人間の能動的自由だけを保障しているわけではなく,受動的自由も擁護していると解するべきだからです。他面からいえば,受動的自由に従って行動する人間が現にいるということを前提として,自由は法的に保障されていると考えなければなりません。
 このことから僕たちはふたつのことを知ることができます。ひとつは僕たちが自身の能動であると信じて疑わないことの中にも,受動が含まれている可能性があるということです。もうひとつは,法的に自由が保障されているからといって,その法の下で現実的に存在する人間がその自由を能動的に行使するとは限らないということです。他面からいえば,法的に保障されているから法の下に暮らす人びとが自由であることが保障されるわけではないということです。
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香港チャンピオンズデー&行動による判断

2023-05-01 19:00:59 | 海外競馬
 昨日の香港のシャティン競馬場での香港チャンピオンズデーの開催には,2レースに4頭の日本馬が出走しました。
 チェアマンズスプリントプライズGⅠ芝1200m。
 アグリは5番手の外を追走。位置取りはほとんど変わらないまま直線へ。このレースは2番手を追走していたラッキースワイネスが快勝し,2着争いが接戦という結果になりましたが,その2着争いに加わるところまでいくことができず,勝ち馬から6馬身4分の3差で5着でした。
 クイーンエリザベスⅡ世カップGⅠ芝2000m。
 ダノンザキッドが4番手,ジェラルディーナが5番手の外,発馬後の加速が鈍く1馬身ほどの不利があったプログノーシスは最後尾を追走。直線に入るところではジェラルディーナが6番手に。このレースはマネーキャッチャーが3馬身ほど後ろを離して逃げたのですがペースはスロー。3番手を追走し,3コーナーからその差を詰めていったロマンチックウォリアーが直線で抜け出し快勝。直線で逃げたマネーキャッチャーと,ロマンチックウォリアーを追っていたドバイオナーの間を突いたプログノーシスが2馬身差で2着。ダノンザキッドはそこから3馬身差の5着。大外を回ったジェラルディーナはダノンザキッドと僅差の6着。

 もしも人間の身体humanum corpusが部分的原因causa partialisとして何らかの行動をなすとしたら,その行動は受動passioです。これは第三部定義二から明白だといわなければなりません。よって人間が何かを殴打するという行動は,その人間の能動actioである場合もあれば受動である場合もあるのです。
 第四部定理五九がいっているのは,現実的に存在する人間が受動的になすあらゆる行動を,その人間は能動的になすことができるという意味のことです。よってある行動をそれ単独で抽出した場合には,その行動が能動であるのか受動であるのかは判断することができません。殴打も含めて現実的に存在する人間がなすあらゆる行動が,能動でもあり得るし受動でもあり得るからです、ですから能動であるか受動であるかの判断は,その行動の原因に依存するのであって,行動をなす人間の身体を眼中に置くならば,その人間の身体が十全な原因causa adaequataであるのか部分的原因であるのかということに注目しなければならないのです。よって僕たちは,他人のある行動をみて,その行動だけでそれがその他人の能動であるのか受動であるのかを判断することはできません。これがこの部分で國分がいっていることでした。
                                        
 これは現在の考察とは無関係ですが,『スピノザ 実践の哲学Spinoza : philosophie pratique」の中で,ドゥルーズGille Deleuzeはこの部分を善悪の関係として示しています。よい機会ですからこれも紹介しておきましょう。
 第四部定理五九でいわれているように,人間の身体が何かを殴打するという行動は,人間の身体の機構だけでみればその人間の身体のvirtusです。ですからこの行為自体は善bonumではあり得ますが悪malumではあり得ません。しかしだからこの行為は常に善であるとみることができるわけではありません。もしもその行為によって,殴打をする人間と殴打をされる物体corpusとの構成関係が破壊されてしまうような表象像imagoと結びついているなら,それは必然的にnecessario悪です。ですから,たとえば現実的に存在する人間が他の人間を殴打して殺してしまうというようなことが生じるなら,それは悪なのです。しかしもしもこの種の構成関係がこの行為と組み合わさるような観念ideaと結びついているのなら,その行為自体は悪であるということはあり得ず,善なのです。
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オールエイジドステークス&個物の本性

2023-04-16 19:11:09 | 海外競馬
 日本時間で昨日の午後にオーストラリアのランドウィック競馬場で行われたオールエイジドステークスGⅠ芝1400m。
 ホウオウアマゾンは3頭の集団となった6番手の外を追走。隊列が定まった時点では逃げた馬から6馬身ほどの位置でしたが,逃げた馬が2番手以下をぐんぐんと離していくレースになったため,先頭との差は広がっていきました。コーナーを回ると追走に汲々といった様子になり,直線の入口では後方2番手に。そこから外目に出されるとそれまでの感じからはかなり伸びをみせましたが,優勝争いに加わるというところはなく,勝ち馬から概ね6馬身半差の7着でした。
 この馬は一昨年のアーリントンカップを勝って以降は,重賞で2着はありますが勝っていません。どちらかといえば先週のユニコーンライオンの調教パートナーという位置づけでもありましたから,結果は仕方がないものだったと思います。レースぶりをみると,それなりの能力はある馬で,ただ精神面には課題があるというように感じました。

 ここまでの考察の中で示してきた恐竜に共通の本性essentiaは,僕の見解opinioでは神Deusの延長の属性Extensionis attributumの中に含まれている形相的本性essentia formalisで,この観念ideaは神の無限な観念の中に包容されています。ではこの種の恐竜が現実的に存在するのかといえば,現実的に存在するわけではありません。このことは,人間に共通の本性といわれる場合の人間が,現実的に存在するわけではないと僕が考えているのと同じ理由ですから,ここで繰り返して説明することはしません。またこの恐竜に共通の本性といわれるときの恐竜は,第二部定理三七でいわれる個物res singularisではないと考えることができます。これもまた人間に共通の本性といわれる場合の人間は,個物であると考える必要はないということと同じ理由なので,ここでは説明を繰り返しません。恐竜についてこのことが人間についての場合と同じように説明することができるのは,人間も恐竜も,同じ本性を有する複数のものが存在する個物であるからです。したがって,同じ本性を有する複数のものがある個物については,すべからくこのことが妥当すると僕は考えているのです。
                                   
 このことから一般に個物の本性といわれるとき,それをどのように考えればいいのかということが分かります。ひとつは,神の属性の中に含まれているものとしての形相的本性,すなわち,同じ本性を有する複数の個物に共通するような本性です。もうひとつはそうした個物の各々の現実的本性actualis essentiaです。そしてこの現実的本性は,ふたつの仕方で考えられます。そのひとつは,神の中に永遠の相species aeternitatisの下に表現されるexprimuntur現実的本性の観念があるといわれるとき,この観念の観念対象ideatumとなっているような現実的本性であり,もうひとつは持続するdurareといわれる場合の現実的本性です。
 それでは『はじめてのスピノザ』に戻って,そこで力potentiaとしての本性が変化しつつ辿り着く各々の状態が欲望cupiditasとして作用するといわれているときの本性がどれに該当するのかといえば,いうまでもなく個々の個物が現実的に存在する,持続するといわれる形で存在するときの現実的本性です。これはこうした本性について,それが変化するといわれていることから明白です。これ以外のふたつの本性は変化はしないからです。
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サンタアニタダービー&経験

2023-04-09 19:02:45 | 海外競馬
 日本時間の今朝,アメリカのサンタアニタパーク競馬場で行われたサンタアニタダービーGⅠダート9ハロン。
 マンダリンヒーローは向正面に入ったところでは逃げた馬から6,7馬身差の5番手。この差が3コーナーにかけて3馬身差くらいまで詰まりました。このコーナーでは内に入って進出。外から捲り上げてきた馬もいて,直線の入口では4番手。直線は前をいく3頭のうち,先頭の馬と2番手の馬との間に進路を求めると,3番手にいた外の馬と3頭の競り合いに。直線先頭というレースをしたPractical Moveをフィニッシュにかけて追い詰めましたが届かず,ハナ差の2着でした。
 この馬は昨年のハイセイコー記念まで4連勝して今年の初戦は雲取賞で2着。そのときが初めての1800mで,走破タイムは1分54秒6でした。日本のダート,とくに地方競馬のダートはタイムがかかるのに対し,アメリカのダートはタイムが早くなる傾向がありますので,まずそれに対応することができるのかということが焦点。単純な比較はできませんが,6秒ほど走破タイムを更新しましたので,そうした対応力はあったことになります。日本のダート馬は展開面での恩恵を受ければ海外の大レースを勝てるところまできているということはすでに判明していましたが,今日のこの馬のレースぶりをみると,普通にレースの流れに乗って勝つという日を迎えるのもそう遠くない将来のことなのではないかと思いました。

 共通概念notiones communesには一般性のレベルに差があると僕が考えていることの根拠,およびドゥルーズGille Deleuzeと福居の共通概念の理論を僕がどのように評価しているのかということは理解してもらえたと思います。ただ,共通概念の一般性というのは,共通の本性essentiaをもつ個物res singularisによって異なり得ると僕は考えています。最後にこのことも説明しておきましょう。
                                   
 恐竜は絶滅しているけれど,恐竜に共通の本性は,形相的本性essentia formalisとして神Deusの属性attributum,この場合は延長の属性Extensionis attributumの中に含まれていて,かつその観念ideaは神の無限な観念の中に包容されています。このゆえに僕たちは恐竜の本性について考えることができるのです。ところで,恐竜というのはある種の生物のことをいうのであって,その中には個別の種類が含まれています。たとえばティラノサウルスとかトリケラトプスといわれるものです。このとき当然ながらティラノサウルスに共通の本性は形相的本性として延長の属性に含まれていますし,その観念は神の無限な観念に包容されています。このことはトリケラトプスの場合にも該当します。そこでもしもある知性intellectusが,ティラノサウルスの共通概念を認識しまた恐竜の共通概念を認識するcognoscereならば,恐竜の共通概念の一般性のレベルは,ティラノサウルスの共通概念の一般性のレベルよりも高いということを理解します。これはそれ自体で明らかだといえるでしょう。
 僕の考えでは,そもそもこうしたことが同意されるということ自体のうちに,共通概念の一般性のレベルに差があるということ,あるいは僕たちがそのことを知っているということが含まれているのです。というのは僕たちがそうしたことに同意することができるのは,そうした関係にある共通概念を有しているからにほかならないからです。つまり一般的にいえば,共通概念には一般性のレベルに差があるということに同意することができるのは,実際に僕たちが共通概念を有しているがゆえにそのことを知っているからなのであって,要するに共通概念を有していさえいれば,経験的に共通概念には一般性のレベルに差があるということを知ることができるのです。ただしこのことは第二部定理三八系に訴えて論証することはできないのです。
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クイーンエリザベスステークス&根拠

2023-04-08 19:06:06 | 海外競馬
 オーストラリアのランドウィック競馬場で行われたクイーンエリザベスステークスGⅠ芝2000m。
 ユニコーンライオンは逃げるレース。道中は1馬身くらいのリードで終始しました。そのまま直線に入り,残り300mくらいまで先頭で粘りましたが,そこから並んで追ってきた後続の馬たちに差され,突き抜けて勝ったDubai Honourから概ね3馬身4分の3差の5着でした。
 この馬は鳴尾記念と福島記念を勝っていますが,日本で大レースを勝つというのは大変というレベルの馬。その馬がこの路線では日本ほどのレベルにないオーストラリアに遠征してどのくらい走れるのかというのが注目点。コース設定がコーナーの中間からの発走となっていて,逃げたいこの馬にとって大外枠になったのは著しく不利でした。勝ち馬はイギリスからの遠征馬で,その馬には能力面で敵わなかったとみるべきでしょうが,2着とは僅差でしたから,条件に恵まれればもう少し上位の着順もあったように思います。勝ちタイムが遅くなっているのはスローペースの影響もありましたが主因は馬場状態の影響で,この点に関しては勝ち馬には有利に働いたしユニコーンライオンにはマイナスであったのではないでしょうか。勝つためにはどこかで後ろを引き離さなければならなかったのですが,そういうシーンを作れなかったのは馬場状態の影響があったのだろうと思います。

 共通概念notiones communesがどの範囲まで共通しかつ特有であるのかまでは分からないにしても,共通かつ特有ということにレベルの差があるということは現実的に存在する人間は確実に知ることができます。つまり共通概念の一般性にはレベルの差がある,一般性の高い共通概念もあれば一般性の低い共通概念もあることを僕たちは知ることができるという結論になります。つまり,第二部定理三八が共通概念の理論としてどのような位置づけとなるのかとは関係なく,第二部定理三九がこの結論を保証していると僕は考えているのです。これが,共通概念には一般性のレベルに差があると僕が考えることの根拠になります。
                                   
 したがって,福居が第二部定理三八は共通概念の一般相であり,第二部定理三九はその具体相であるというとき,もしもそれが,前者がすべてに共通するもののことであり後者がいくつかのものに共通かつ特有であるもののことを意味し得るとするならその見解opinioを否定しません。ですが福居のこの見解は,考察の中で説明したようにこのような意味を有するものではありません。ですから,僕は福居のこの見解については全面的に否定します。一方,ドゥルーズGille Deleuzeが第二部定理三八は共通概念の適用の秩序を示し,第二部定理三九が共通概念の形成の秩序を示すといっていることについては,後者が形成の秩序を構成しているということについては同意します。前者については肯定はしませんが否定はしません。ただし,第二部定理三八と第二部定理三九の間に,共通概念の論理としてある断絶があるということは認めます。これは第二部定理三八を第二部定理三八系と合わせたものとして考えた場合にも同様です。共通概念の形成の秩序というのを文字通りに共通概念が形成されることと解するなら,第二部定理三八系は確かに共通概念の形成の秩序を示しているとみることが可能でしょう。ですが,第二部定理三八系で示される共通概念は,すべてのものに共通であるものの共通概念ですから,共通概念に一般性のレベルの差があるということを僕たちに教えることはありません。この点では明らかに第二部定理三八およびその系Corollariumと第二部定理三九の間には,断絶があります。
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ドバイワールドカップデー&適用と形成

2023-03-26 19:30:09 | 海外競馬
 日本時間で昨晩から今日の未明にかけてUAEのメイダン競馬場で開催されたドバイワールドカップデーに27頭の日本馬が遠征し,26頭が出走しました。頭数が多いですから各馬のレースぶりは省いて結果だけを示します。
                                        
 ゴドルフィンマイルGⅡダート1600m。Isolateが逃げて,直線の入口ではバスラットレオンとウインカーネリアンが2番手で並んで追う形。しかしそこからIsolateが引き離していき鋭く逃げ切って優勝。ウインカーネリアンは競り落としたものの後続に差されたバスラットレオンが4着。ウインカーネリアンは6着。ラウダシオンは11着。
 UAEダービーGⅡダート1900m。デルマソトガケが逃げてドゥラエレーデが2番手。この2頭が並んで直線に。逃げたデルマソトガケが再び突き放すとそのまま鮮やかに逃げ切って優勝。デルマソトガケには離されましたが3番手以下との差は広げたドゥラエレーデが2着。コンティノアールが3着でペリエールが4着。ゴライコウは12着。
 優勝したデルマソトガケ全日本2歳優駿以来の勝利で重賞2勝目。母の父はネオユニヴァース。母は2013年に関東オークスを勝ったアムールポエジー。日本馬による海外重賞制覇はサウジカップ以来。ドバイでは昨年のドバイシーマクラシック以来。UAEダービーは昨年からの連覇で3勝目。騎乗したクリストフ・ルメール騎手は昨年のドバイゴールドカップ以来の日本馬に騎乗しての海外重賞9勝目。管理している音無秀孝調教師はパートⅠの海外重賞は初勝利。
 ドバイゴールデンシャヒーンGⅠダート1200m。このレースはSound MoneyとHopkinsとGuniteの3頭が並んで直線に。この競り合いから抜け出したGuniteを外からSibeliusが差し切って優勝。リメイクが5着でレッドルゼルが6着。レモンポップは10着でジャスティンは12着。
 ドバイターフGⅠ芝1800m。このレースは積極的に逃げようという馬がなくEl Dramaがゆっくりと逃げる競馬。残り200mからは先行していたNations PrideとLord Northの競り合いになり,競り勝ったLord Northの優勝。後方2番手から追い込んだダノンベルーガが2着。セリフォスが5着でヴァンドギャルドは14着。ドウデュースが出走取消となっています。
 ドバイシーマクラシックGⅠ芝2410m。このレースも積極的に逃げようという馬がなく,イクイノックスが逃げることに。直線で一旦は引き付けた後で追い出されると独走となり,フィニッシュ前に流してレコードタイムで快勝。シャフリヤールは5着。ウインマリリンは6着。
 優勝したイクイノックスはここが有馬記念以来のレース。3連勝で大レース3勝目。父はキタサンブラック。母の父はキングヘイロー。4代母がブランシュレイン。ひとつ上の半兄が2018年にラジオNIKKEI賞を勝ったヴァイスメテオール。Equinoxは春分と秋分。日本馬によるドバイシーマクラシック制覇は昨年に続いての5回目。騎乗したクリストフ・ルメール騎手は有馬記念以来の大レース制覇。UAEダービーに続く日本馬に騎乗しての海外重賞10勝目。管理している木村哲也調教師は有馬記念以来の大レース5勝目。昨年のネオムターフカップ以来の海外重賞2勝目。
 ドバイワールドカップGⅠダート2000m。パンサラッサが内のRemorseと並んで逃げる競馬。1000mが1分を切るハイペースになりました。残り300m付近からBendoogとAlgiersの競り合いになり抜け出したAlgiersを,最後尾から直線の入口までにやや漸進していたウシュバテソーロが差し切って優勝。テーオーケインズが4着。クラウンプライドが5着。パンサラッサが10着。ジオグリフが11着。カフェファラオが12着。ヴェラアズールが13着。ジュンライトボルトが15着。
 優勝したウシュバテソーロはここが川崎記念以来のレース。3連勝で大レース3勝目。父はオルフェーヴル。母の父はキングカメハメハ。母の7つ上の半兄に2003年の東京新聞杯を勝ったボールドブライアン。Ushbaはジョージアにある山の名前。日本馬は2011年以来のドバイワールドカップ2勝目。騎乗した川田将雅騎手は阪神ジュベナイルフィリーズ以来の大レース36勝目。一昨年の香港カップ以来の海外重賞3勝目。管理している高木登調教師は川崎記念以来の大レース10勝目。海外重賞初制覇。

 『スピノザ「共通概念」試論』における福居の見解opinioでは,第二部定理三八共通概念notiones communesの一般的な相であるとすれば,第二部定理三九はその具体的な相です。したがって,現実的に存在する個物res singularisの関係の一般性のレベルに差があろうとなかろうと,この関係を通して現実的に存在する人間の精神mens humanaのうちに形成される共通概念は常に同一のレベルに留まることになるのです。
 この説明は分かりにくいかもしれませんが,福居はドゥルーズGille Deleuzeの解釈を批判するためにこのようないい方をしているのです。ドゥルーズによれば,第二部定理三八は共通概念が現実的に存在する人間の精神のうちに形成されるときの,形成される秩序を意味するのではなくて,共通概念の適用の秩序を意味します。これに対して,第二部定理三九がその形成の秩序を示します。前もっていっておけば,第二部定理三八が共通概念の適用の秩序であるのかどうかはともかく,第二部定理三九が共通概念の形成の秩序を示しているという点については,僕はドゥルーズの見解を支持します。このために,僕の見解でもドゥルーズの見解でも,共通概念には一般性のレベルに差がある,つまり一般性のレベルが高い共通概念もあれば,一般性の低い共通概念もあることになるのです。しかしこの点に関する僕の見解の理由に関しては,後に説明することにします。
 福居はこの見解自体を否定しようとしているのです。なので結果として,共通概念に一般性のレベルに差がないという結論に至るのです。ただここが重要ですが,福居はこういう見解によって,共通概念の一般性のレベルの有無について何かをいわんとしているのではありません。正確にいえばもちろんそれも福居の主張には含まれるのですが,福居がこのことでドゥルーズを批判しようとするとき,この批判の矛先はむしろ別の地点に向けられていると解するのが適切であると僕には思えます。そしてこのことに関して福居がドゥルーズを批判するとき,この批判は大いに意味があるものであって,しかもその矛先に関係する点だけいえば,僕はドゥルーズよりも福居の方を支持します。なのでこの批判がどこに向けられているのかを考えなければなりません。
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サウジアラビア諸競走&円の観念

2023-02-26 20:24:58 | 海外競馬
 日本時間で昨日の深夜から今日の未明にかけてサウジアラビアのキングアブドゥルアジーズ競馬場で行われた国際競走に,20頭の日本馬が遠征しました。頭数が多いので,各馬がどのようなレースをしたのかは省略します。
 1351ターフスプリントGⅢ芝1351m。このレースはバスラットレオンが逃げ,直線に入って一旦は2番手以下との差を広げました。そこに離れた外からアメリカのCasa Creedが追い込んできました。しかし届かず,一杯に逃げ切ったバスラットレオンが優勝しました。レシステンシアが5着,ラウダシオンが9着,ソングラインが10着。
 優勝したバスラットレオンは昨年のゴドルフィンマイル以来の勝利で重賞3勝目。父はキズナ。従兄に2018年の福島記念,2019年の小倉大賞典とオールカマーを勝ったスティッフェリオ。日本馬による海外重賞制覇は香港ヴァーズ以来。サウジアラビアでは昨年のリヤドダートスプリント以来。1351ターフスプリントは昨年からの連覇で2勝目。騎乗した坂井瑠星騎手は昨年のゴドルフィンマイル以来の海外重賞2勝目。管理している矢作芳人調教師は昨年のドバイターフ以来となる海外重賞11勝目。
 レッドシーターフハンデキャップGⅢ芝3000m。このレースは3番手の内を追走していたシルヴァーソニックが直線の入口で逃げ馬と2番手の馬の間を割って先頭に立ち抜け出すと,一旦は2着馬との差が縮まりましたが再び突き放し,完勝しました。エヒトは7着。
 優勝したシルヴァーソニックはステイヤーズステークスから連勝で重賞2勝目。父はオルフェーヴル。母が2001年に阪神牝馬ステークスを勝ったエアトゥーレで祖母が1990年に京王杯スプリングカップを勝ったスキーパラダイス。11歳上の半兄にキャプテントゥーレ。日本馬は昨年からの連覇でこのレース2勝目。騎乗したオーストラリアのダミアン・レーン騎手は香港ヴァーズ以来の日本馬に騎乗しての海外重賞5勝目。管理している池江泰寿調教師は2013年のフォワ賞以来の海外重賞3勝目。
 サウジダービーGⅢダート1600m。このレースは逃げた馬と2番手の馬が直線の入口で後続を5馬身ほど離し,そこからフィニッシュまで競り合っての優勝争い。外の馬が競り勝って優勝。デルマソトガケが3着,コンティノアールが5着,フロムダスクが9着,エコロアレスが12着。
 リヤドダートスプリントGⅢダート1200m。このレースは前の5頭が一団でのレース。少し離れた6番手を追走した昨年のブリーダーズカップスプリントの勝ち馬が外から一気に突き抜けて快勝しました。リメイクが3着,ジャスティンが4着,ダンシングプリンスが5着,リュウノユキナが6着。
 サウジカップGⅠダート1800m。このレースはパンサラッサが後ろをそれほど引き離すことなく逃げました。直線に入って追っていたジオグリフとカフェファラオを突き放すと大外から追い込んできた昨年のドバイワールドカップの勝ち馬のCountry Grammerの差し脚も封じて逃げ切りました。カフェファラオが3着,ジオグリフが4着,クラウンプライドが5着,ジュンライトボルトが7着,ヴァンドギャルドが11着。
                                        
 優勝したパンサラッサは昨年のドバイターフ以来の勝利で大レース2勝目。父はロードカナロア。Panthalassaはかつて地球上に存在した唯一の海。日本馬による海外GⅠ制覇は香港ヴァーズ以来。サウジアラビアでは初勝利。騎乗した吉田豊騎手は昨年のドバイターフ以来の大レース13勝目。海外GⅠは2勝目。管理している矢作芳人調教師は1351ターフスプリントに続く海外重賞12勝目。昨年のドバイターフ以来の大レース24勝目。海外GⅠは8勝目。

 Xは何でもいいわけですから,ここでは円と仮定してみましょう。
 現実的にAという人間が存在して,Aの精神mensのうちに円の十全な観念idea adaequataがあるとします。この円の観念は,Aの精神という様態的変状modificatioに様態化した限りでの神Deusのうちで十全です。ですが,円の十全な観念は,必ずこの様式で神に帰せられなければならないわけではありません。現実的にBという人間が存在して,Bの精神のうちに円の十全な観念がある場合は,Bの精神という様態的変状に様態化した限りで神のうちに円の十全な観念があるという様式で神に帰せられなければならないからです。円の十全な観念は,Aの精神のうちにもBの精神のうちにも現実的に存在し得るので,このことは現実的に成立しなければなりません。ただ,どう帰せられようと神のうちに円の十全な観念があるという点では同一ですから,Aの精神のうちにあろうとBの精神のうちにあろうと,円の十全な観念の形相formaは同一です。いい換えれば,Aが認識するcognoscere円の十全な観念とBが認識する円の十全な観念は,同一の観念であって,区別することはできません。よって,Aが認識する円の真理veritasとBが認識する円の真理が異なることはないのです。
 Aは現実的に存在するとされていますから,存在しないと考えるconcipereこともできます。ここでは分かりやすく,Aが死ぬという例を用います。Aの精神は現実的に存在する精神なので,それ自体はAが死ぬことによって存在することをやめます。よってAの精神のうちにある円の観念も存在することをやめるといわなければなりません。しかし,だからといってそれは,円の十全な観念が存在することをやめるとか,円の十全な観念が十全であることをやめて混乱した観念idea inadaequataになることを意味するのではありません。Aが死んだからといって,Bの精神のうちにある円の十全な観念が存在しなくなるというのは不条理ですし,Bの精神のうちにある円の十全な観念が混乱した観念になるということもまた不条理です。よって円の十全な観念は,Aの精神のうちにあるとみられる限りでは持続duratioのうちに存在するのですが,Aの精神のうちにもBの精神のうちにもあるとみられるなら,そうではないのです。
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香港国際競走&思考の習慣

2022-12-12 18:51:00 | 海外競馬
 香港のシャティン競馬場で行われた昨日の香港国際競走には,14頭の日本馬が遠征。1頭が出走取消となり,4レースに13頭が出走しました。
 香港ヴァーズGⅠ芝2400m。
 ウインマリリンは発馬後は2番手の外。グローリーヴェイズは5番手。ウインマリリンは道中で徐々に位置取りを下げ,内のグローリーヴェイズの外で併走という形。向正面ではグローリーヴェイズの方が前になりました。グローリーヴェイズは内にいたのでそのまま内を回り,後方2番手まで下がっていたウインマリリンは大外へ。外を回ったウインマリリンはよく伸び,直線で先頭に立つとそのまま優勝。グローリーヴェイズは内目から伸びてウインマリリンからは1馬身4分の3差で3着。
                                   
 優勝したウインマリリンは昨年のオールカマー以来の勝利。重賞は4勝目で大レースは初勝利。父はスクリーンヒーロー
 日本馬による海外GⅠ制覇はドバイシーマクラシック以来。香港では昨年の香港カップ以来。香港ヴァーズは昨年からの連覇で5勝目。騎乗したオーストラリアのダミアン・レーン騎手はマイルチャンピオンシップ以来の日本馬に騎乗しての大レース8勝目。管理している手塚貴久調教師は昨年のオークス以来の大レース10勝目。海外重賞は初勝利。
 香港スプリントGⅠ芝1200m。
 メイケイエールは道中で外を進出して3番手。レシステンシアは内の5番手。ナランフレグは9番手の内。ジャンダルムは11番手からのレース。このレースは直線で4頭とも目立った脚がなく,最も前にいたメイケイエールが勝ち馬から1馬身半差の5着。ナランフレグが4馬身差で10着。ジャンダルムが5馬身差で12着。レシステンシアは一杯になって6馬身4分の1差の13着。
 香港マイルGⅠ芝1600m。
 シュネルマイスターもダノンスコーピオンも発馬が悪く1馬身の不利。シュネルマイスターは巻き返して6番手の内。ダノンスコーピオンは最後尾の内を追走。2頭とも3コーナーを回ると前から離され始めました。ダノンスコーピオンが勝ち馬から8馬身半差の6着。シュネルマイスターは勝ち馬から14馬身4分の1差で最下位となる9着。
 香港カップGⅠ芝2000m。
 パンサラッサは押して1コーナーでは先頭に。レイパパレが4番手の内。ジャックドールが5番手の内。ジオグリフが7番手でダノンザキッドが8番手の外。このレースは勝ち馬が圧倒する結果。馬群を割って伸びたダノンザキッドが4馬身半差で2着。ジオグリフが6馬身4分の3差で6着。ジャックドールが7馬身4分の1差で7着。レイパパレは9馬身4分の3差で9着。一杯になったパンサラッサは14馬身4分の1差で10着。

 現代社会を支える形而上学がデカルトRené Descartesの思想に基づいたものであるのは必然です。ですからスピノザの形而上学に支えられる現代は,あり得たかもしれないもうひとつの現代ではなく,あり得なかった,あることができなかった現代であると,スピノザの哲学に基づく限りではいわなければなりません。現代社会を支えている形而上学がデカルトの形而上学である必然性necessitas,すなわちそういった現代社会が出現した原因causaについては,これであるというように特定することはできませんが,僕が前に説明した,社会societasを支える形而上学は,その社会で生じる出来事について,過不足なく簡潔に説明することができるのであれば,真理veritasではなくても構わないというようなことは,原因のひとつを構成しているといえるでしょう。
 ですから『はじめてのスピノザ』で,スピノザの形而上学が,あり得たかもしれないもうひとつの現代というように紹介されているのは,それ自体がデカルトの形而上学に基づくような発想です。この説明は多くの人に自然なものと受け止められると僕は推測しますが,それは僕たちがデカルトの形而上学の下で考えるということを習慣にしていて,確かにデカルトの哲学に基づけば,過去のある時点において人間は未来を変更することができるということになっているからです。最も単純にいうと,人間があるときにAをなしたとすると,スピノザの哲学ではその人間は必然的にnecessarioAをなしたということになり,したがってAをなさなかったりA以外のことたとえばBをなすということは不可能であったということになりますが,デカルトの哲学に基づけば,その人間は自由意志voluntas liberaによってAをなしたので,AをなさないこともできたしA以外のBをなすこともできたというように解されるのです。こうしたことの積み重ねによって,デカルトの哲学では現在の社会は現にあるのとは異なった社会であり得たということになり,僕たちはそうした形而上学の下で考えることを習慣としていますから,現にあるのとは異なった,スピノザの思想によって支えられる現代もあり得たというような言明を自然に感じるのです。いい換えればそこに虚偽falsitasがあるとは気づきにくいのです。
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ブリーダーズカップフィリー&メアスプリント&歯茎のチェック

2022-11-08 19:04:53 | 海外競馬
 日本時間で6日の未明にアメリカのキーンランド競馬場で行われたブリーダーズカップフィリー&メアスプリントGⅠダート7ハロン。
 チェーンオブラブは後方3番手の内からのレース。残りの2頭は馬群から離されていましたので,実質的に集団の最後尾といえる位置。コーナーでは早くも騎手の手が動き出しました。直線も大きくばてたというわけではないものの,伸びはまったくみられず,ほぼ道中と同じ位置のまま最後はレースに参加することを諦め,勝ち馬から約16馬身差の10着でした。
 この馬は今春にサウジアラビアからドバイに遠征して入着。とはいえアメリカで当地のトップスプリンター相手のレースになるとスピード能力的に厳しかったようです。逆にいえばこのカテゴリーのアメリカの馬のレベルの高さを証明するような結果だったといえるでしょう。

 診察の間にもらうことができなかったサマリーは,会計を済ませた後で受け取りました。サマリーは血糖値計測器から取り出すものですから,サマリーを受け取ったというのは計測器も受け取ったという意味です。
                                    
 薬局に寄りましたがこの日は注射針が足りませんでした。配達を依頼して帰りました。帰宅したのは午後4時でした。
 4月6日,水曜日。3月30日に予約しておいた歯科検診でした。この日もクリーニングをしただけですが,クリーニングの前の歯茎のチェックがいつもよりも念入りに行われました。4日に配達を依頼しておいた注射針は,この日の夜に配達されました。
 4月8日,金曜日。妹を通所施設に迎えに行きました。
 4月10日,日曜日。午前11時20分にピアノの先生から電話がありました。これはこの日に予定されていたピアノのレッスンについてです。事前に電話での連絡がない場合はレッスンの開始時刻は午後5時半です。この電話はその確認のためのものでした。したがってこの日のレッスンは午後5時半に開始されました。
 4月11日,月曜日。妹を通所施設へ送りました。
 4月13日,水曜日。妹の新型コロナウイルスの3度目の接種券が横浜市から送付されてきました。ただ,今後の僕と妹の予定を勘案すると,4月中だけでなく5月のうちに接種を受けることも難しそうでした。なのでこの時点ではまだ予約を入れることはしませんでした。
 4月14日,木曜日。午後6時55分に,グループホームで妹を担当しているSさんから電話がありました。これはゴールデンウイーク中の妹の予定に関する確認でした。ゴールデンウイークというのは4月後半から5月前半にまたがっています。4月の予定は3月中に伝えてありますが,5月の予定についてはまだ伝えていません。何らかの事情で5月前半の予定を確認しておく必要が生じたのだろうと思われます。
 4月15日,金曜日。妹を通所施設に迎えに行きました。この日は雨でしたが,雨の場合は送りよりも迎えの方が大変です。上大岡駅でバスを待つとき,送りのときは屋根のあるターミナルの中ですが,迎えのときは屋外のバス停になるからです。
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凱旋門賞&政治論の形而上学

2022-10-03 19:10:54 | 海外競馬
 今年の凱旋門賞は日本時間で昨日の深夜にフランスのパリロンシャン競馬場で行われました。帯同馬がほかのレースにも出走しましたので,そちらも合わせて回顧します。
                                        
 前日に行われたダニエルウィルデンシュタイン賞GⅡ芝1600m。マイラプソディは前半は3番手。外を回っていた関係でコーナーでは5番手になりましたが,直線の入口では2番手まで上がりました。ただ見せ場はここまで。直線は伸びを欠き勝ち馬からおよそ18馬身差の最下位でした。
 この馬はドウデュースの調教パートナーの位置づけですから,前走に続き仕方がない結果でしょう。
 凱旋門賞GⅠ芝2400m。タイトルホルダーは押して先頭。2番手の馬に執拗に絡まれながら逃げる競馬。ディープボンドは外の2番手から4番手あたり。ステイフーリッシュは6番手の外。ドウデュースは18番手の内。タイトルホルダーのリードは3コーナーを回ると1馬身くらいに。その時点でディープボンドは5番手。ステイフーリッシュがディープボンドを追い上げてくる形に。タイトルホルダーは先頭のまま直線に入り,2番手の馬は振り切りましたが,3番手の内でレースをしていた勝ち馬に楽々と前に出られるとギブアップ。その勝ち馬から13馬身弱の差で11着。ステイフーリッシュがさらに5馬身差で14着。ディープボンドはさらに18馬身差で18着。後方のまままったく動けず,ついていくだけで精一杯になってしまったドウデュースはさらに6馬身差の19着でした。
 いろいろな要因はありますが,これだけ離されて負けているのですから言い訳はできません。この路線のヨーロッパの馬は強いし,層も厚いということでしょう。僕が馬券を買うためにピックアップした5頭のうちの3頭の優勝争いでしたので,結果は順当なものだったと思います。
 日本時間では今日の未明のフォレ賞GⅠ芝1400m。エントシャイデンは発馬してすぐにハナへ。前半は半馬身から1馬身くらいのリード。途中からは馬体を離した外の馬とほぼ並んで逃げるようなレース。その馬は振り切って直線では単独の先頭に立ちましたが,外から2頭に差されて勝ち馬から約3馬身差で3着でした。
 この馬は日本での実績から勘案すると昨年の遠征でもそこそこ走っています。馬場の適性もあるのでしょうし,このくらいの距離の彼我のレベルの関係もあるのでしょう。

 ヘーゲルGeorg Wilhelm Friedrich Hegelの哲学にはないけれども,スピノザの哲学に含まれているもののひとつに,個物res singularisの複合の無限連鎖があります。この考えがあるために,スピノザの哲学では国家Imperiumが人間にとっての,あるいは人類にとっての最終形態とならないという面があります。というのは,この考え方に従えば,どのような個物もほかの個物と複合することによってより大きな個物を構成することになっていますから,どのような国家もそれがひとつの個物とみられる限り,ほかの個物と複合してさらに大きな個物となる可能性を有しているからです。そして国家もひとつの個物であることに間違いありませんから,どのような国家も人間にとっての最終形態であることはできません。
 スピノザの政治論が,この複合の無限連鎖と関連を有しているということは,ここまでに説明してきた事柄から明白だと思います。スピノザはひとりの人間が別の人間と協力することによってより多くの権利jusを自然Naturaに対して有するようになるといういい方をしますが,これはひとりの人間という個物が別の人間という個物と複合することによって,より大きな権利を自然に対して有するようになるといっているのと同じことだからです。このようにしてより多くの人間が協力することによって統治権imperiumを伴う国家が形成されるのであれば,国家を形成するそれらの人びとは,ひとりの人間という個物の複合の無限連鎖が発展していくことによって生じるひとつの個物とみることができます。さらにスピノザは,ひとつの国家が別の国家と協力することによって,国家もまたより多くの権利を自然に対して有するようになるといっているのですから,これもまた国家をひとつの個物としてみたときに,複合の連鎖が生じていくごとに各々の国家が自然に対してより多くの権利を有するようになる,あるいは同じことですが,より多くのことを自然に対してなし得るようになるといっているのであり,これも個物の複合の無限連鎖と関係しているといえるでしょう。
 このようにして,スピノザの哲学では,国家が形成されていく過程の形而上学,つまり人間と人間とが協力していく過程の形而上学が説明されることになるのです。
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フォワ賞・ニエル賞&悪

2022-09-12 19:24:51 | 海外競馬
 日本時間で昨日の深夜から今日の未明に開催されたフランスのパリロンシャン競馬場のレースに2頭の日本馬が遠征しました。
 フォワ賞GⅡ芝2400m。マイラプソディはほかの5頭とはやや離れた外目を追走。逃げた馬からは3馬身差くらいの4・5番手でした。直線の入口では一旦は3番手に上がったものの,その後は伸びを欠き,勝ち馬から12馬身差の6着でした。
 ニエル賞GⅡ芝2400m。ドウデュースは好発でしたが7頭の最後尾に控えました。先頭からは7~8馬身差くらい。直線の入口まで同じ位置で進み,大外へ。伸びはしましたが勝ち馬から2馬身差の4着まで。
 マイラプソディはデビューからの3連勝で2019年の京都2歳ステークスを勝ったものの,それ以降は11連敗。ドウデュースの調教パートナーという位置づけでの渡仏ですから,この結果は止むを得ないでしょう。ドウデュースの方は,勝つことよりも凱旋門賞のための試走というような内容になりましたので,評価は難しいです。凱旋門賞は当然ながら相手が強くなりますから,まったく通用しないというケースもあるでしょうし,この内容を生かすことによって勝ち負けするというケースもあるでしょう。渡仏して10日ほどでのレースだったので,この馬自身のパフォーマンス自体はこのレースより上がると思いますが,相対的に通用する能力があるのかどうかということは,このレースだけでは判断できないです。

 現実的に存在する人間は,他人と争うということがあります。また他人を憎むということもありますし,他人に怒るということもあります。あるいは他人を欺くということもあるでしょう。そうしたこともその人間の自然権jus naturaeに属することになります。これは不条理に感じられるかもしれませんが,そういうわけではありません。なぜなら自然というものは,たとえば現実的に存在する人間が真の利益だけを意図すること,つまり人間の理性ratioの法則に適合したことだけに制約されるわけではないからです。むしろそうした人間にとっての真の利益というのは,全自然の一部なのであって,そちらの方が自然の法則に制約されているのです。もっといえば,このような人間が現実的に存在するということ自体が,自然の秩序ordo naturaeの法則に起因しているとわなければなりません。ですから自然の中には,現実的に存在する各々の人間にとって不条理と感じられることがあるとしても,それは全自然の秩序の大部分を知らないかゆえに不条理と感じられるだけなのです。あるいは各々の人間が,自分自身にとって都合がよいことを欲望するということから生じるともいえるでしょう。仮に僕たちの理性がある事柄を悪malumと判断するのであったとしても,それは自分自身の本性essentiaからみる限りでの悪なのであって,全自然の秩序からみて悪であるというわけではありません。これは第四部定義二から明らかなのであって,悪というのは僕たちの知性intellectusのうちにある思惟の様態cogitandi modiなのであり,僕たちが悪とみなす事物に備わった本性なり特質proprietasであるわけではないのです。
                                   
 次に,自然権は各々のコナトゥスconatusに由来するのですから,もしある人間のコナトゥスが別の人間のコナトゥスの下に属するなら,その人間の自然権もまたその人間の下にあるといわれなければなりません。いい換えれば,ある人間が自己の自然権の下にあるといわれるのは,その人間が自己の意向に従って生活し得る限りにおいてです。要するに,現実的にAという人間が存在するとして,Aが別の人間Bの力potentiaの下にある場合には,AはBの権利の下にあるといわれ,Aが自己の力の下にある場合には,Aは自己の権利の下にあることになるのです。
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韓国国際競走&侵害

2022-09-05 19:18:54 | 海外競馬
 昨日の午後に韓国のソウル競馬場で行われた韓国国際競走に2頭の日本馬が遠征しました。
 コリアスプリントGⅢダート1200m。ラプタスはかなり押して逃げる競馬。2頭が追い掛けてきたので,3頭で4番手以下を離すようなレースになりました。コーナーの途中から手を動かして後ろを離しにいきましたが,思いのほか差を広げることはできず,それでも残り50メートルまでは粘ったものの,3番手を追走してい馬に差され,半馬身差の2着でした。
 コリアカップGⅢダート2000m。セキフウは逃げ馬から2馬身差くらいの2番手を追走。向正面で徐々に差を詰めていき,3コーナーから逃げ馬に並び掛けていこうとしましたが,追いつくことができず,また差が広がる形。直線に入ってもその差は詰まらず,さらに残り100mで外から勝ち馬にも差され,勝ち馬から2馬身差の3着でした。
 ラプタスはたぶん能力上位で,勝機はあると思っていましたが,この馬は1400mの方が得意なので,スピードで圧倒されたり,または前半が速いペースになり過ぎた場合には崩れる可能性もあるとみていました。結果的に後者のパターンで差されたというケースになりました。セキフウは自分から勝ちにいくと力を十分に発揮することができない面がある上に,これが古馬との初対戦なので,厳しそうだと思っていました。そのわりにはレース内容は悪くなかったと思いますが,距離は長いようです。

 念のためにいっておけば,ライオンAの自然権jus naturaeとライオンBの自然権は,完全に一致するわけではありません。あるいは同じことですが,ライオンAのコナトゥスconatusとライオンBのコナトゥスは,完全に一致しているわけではありません。このことはもうひとつの帰結を説明するときに理解することができるでしょう。また,ライオンの自然権とシマウマの自然権の間には,一致する部分もあります。いい換えれば,ライオンのコナトゥスとシマウマのコナトゥスには一致する部分もあります。これは第三部定理七が,現実的に存在するすべての個物res singularisに適用されるということから明白ですし,シマウマの自然権を侵害する自然権をライオンが有しているということからも明らかでしょう。
                                   
 ここではシマウマとライオンで説明しましたが,これは自然権の一例です。よってここでいったようなことが,人間にも妥当することになります。つまり,ライオンにはシマウマの自然権を侵害する自然権があるように,人間は人間以外の個物の自然権を侵害するような自然権を有していることになります。これが,浅野とか佐藤一郎がいう,スピノザの哲学における人間中心主義の一例になります。人間が自然のうちにある他の個物の自然権を侵害する自然権を有するとすれば,たとえば環境保護とか動物愛護といった思想と,スピノザの哲学は非親和的であることになるでしょう。人間が他の個物の自然権を侵害する自然権を有しているということは,人間は自然のうちに現実的に存在する個物について,それを人間のコナトゥスに応じて利用する権利を有しているというのと同じことだからです。
 ただし,この自然権は人間のコナトゥスに由来する権利ですから,人間による自然の利用が,人間のコナトゥスあるいは人類のコナトゥスに反するのであれば,人間はそのような自然権を有さない,つまりそうした権利を手放さなければならないことになります。よって,ある種の環境破壊とか,ある種の動物虐待が,人間のコナトゥスないしは人類のコナトゥスに反するのであれば,そのような環境は保全されなければならないし,そうした動物は愛護されなければならないということになります。
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ドーヴィル大賞&模範的公民

2022-08-29 19:21:04 | 海外競馬
 日本時間で昨日の深夜にフランスのドーヴィル競馬場で行われたドーヴィル大賞GⅡ芝2500m。
 ステイフーリッシュは外の方からゆっくりと上がっていき,1コーナーでは先頭に立って逃げるレース。出走した5頭が縦一列の隊形。向正面ではリードが1馬身半くらいに広がり,さらに3コーナーでは2馬身半くらいのリードに。直線の手前あたりから追われると,2番手を追走してきた馬が追ってきて,その馬とのマッチレース。競り負ける形で勝ち馬からおよそ1馬身4分の1差で2着でした。
 おそらく逃げることになるだろうと予測されましたので,展開は想定の通り。スタミナ面に不足がない馬ですので,早い段階でスパートするという,理想的な内容であったと思います。ヨーロッパはこの距離ではレベルが高いので,GⅡであってもステイフーリッシュよりも強い馬がいたということだったと思います。もっと長い距離のレースの方がよいのかもしれませんが,3着以下は離しているわけで,これだけ走ることができれば十分だと僕は思います。
 レース名はドーヴィル大賞と訳されていますので僕もそれに倣っていますが,ドーヴィルグランプリで十分に日本語として成立するのではないかと思います。

 三木の思想を検討するわけではないのですが,三木がスピノザを批判する文脈を解するときに必要ですので,三木の思想のうち観念的な意味でも実践的な意味でも公民を目指すという部分については,その内容をみておきます。正確にいえば,三木の思想のその部分を,浅野がどのように解釈しているのかをみておくことにします。
                                        
 三木は,国家Imperiumという概念notioは,個人という概念より普遍的でありかつ具体的であるといっています。なぜなら,個人というのは国家を構成する肢体であるからです。この関係において,国家は特殊である個人を要求し,個人は国家を離れて存在することができません。いうなれば国家は単なる普遍であるというわけではなく,普遍と特殊の綜合なのです。三木はこの点をヘーゲルGeorg Wilhelm Friedrich Hegelの哲学に訴求します。ヘーゲルによれば,国家は普遍的意志と特殊的意志という,相対するものの統一なのです。これはヘーゲルの弁証法そのものだといえるでしょう。よって三木は,真の普遍というのは具体的普遍である,つまり特殊と普遍の綜合であるような普遍であると結論し,特殊は普遍の分化であり発展なので,それぞれは普遍的な精神,これは実質的に国家のことを意味しますが,それによって生かされているということになるのです。
 ここにはスピノザの哲学からみたときには否定されるべき内容が多く含まれているのですが,そうしたことについては後でまとめて論じることにします。浅野によれば,上述のようなことを理解しているような個人が,ヘーゲルが望んでいた公民の模範的な姿であり,そうした公民に担われることによって,ヘーゲル自身の国家の目的が現実的なものとなるのです。三木の思想の中には,全体主義を批判しようとする姿勢はみえるのですが,全体主義的国家を包括的に批判する視点がないことの理由を,浅野はこの点に求めています。だから三木は全体主義的国家であった,日中戦争から第二次世界大戦へと向かった当時の日本を批判するような姿勢をもち得なかったのです。
 これは,三木の究極的関心は,理念上の闘争にあったからだと浅野はいっています。それが三木が若い頃からの一貫した姿勢だと浅野はみているのです。
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ジャックルマロワ賞&形而上学的基礎

2022-08-15 19:12:47 | 海外競馬
 日本時間で昨日の深夜にフランスのドーヴィル競馬場で行われたジャックルマロワ賞GⅠ芝1600m。
 バスラットレオンは発馬直後にすぐにハナへ。外埒の方へ寄せていきました。ほかの馬はそれほど外には寄ってこなかったので,どれくらいの差があったのかは分かりづらいのですが,概ね1馬身くらいのリードで後続を引っ張っていたのではないかと思います。追い出しに入ってからは伸びを欠き,最後は一杯となって勝ち馬からおよさ7馬身4分の3差で7着でした。
 ほかの馬が外に寄ってこなかったことから,コース取りが適切であったのかどうかは疑問が残りますが,それでもこの差ですからそれを敗因とすることはできないでしょう。やはり能力に差があったとみるべきだと思います。全体的にいうと,斤量に恵まれている3歳馬のうちの3頭が上位を独占し,その3頭で4着以下を離していますので,コースなりペースなりが,軽量の馬に有利なレースだったといえそうです。

 スピノザの哲学であろうとデカルトRené Descartesの哲学であろうと,ある人間の精神mens humanaとその人間の身体humanum corpusが,実在的にrealiter区別されるという点では変わりはありません。正確にいうと,デカルトのような仕方で人間の精神と人間の身体を区別するなら,その区別distinguereはスピノザの哲学に基づく限り実在的区別といわれなければなりません。ホッブズThomas Hobbesの政治論がデカルトの哲学を形而上学的要素として利用していると解釈するとき,重要な点はその先にあります。デカルトは,人間の精神とその人間の身体は実在的に区別されるとしているのですが,その両者にはある関係があるということを肯定するのです。
                                        
 この関係というのは因果関係を意味します。つまりデカルトは,ある人間の身体は,その人間の精神を何らかの思惟作用に決定するdeterminareことができると解していて,それと同時に,ある人間の精神はその人間の身体を何らかの運動motusないしは静止quiesに決定することができると解しているのです。そしてデカルトの哲学によれば,現実的に存在する人間は,常にそのどちらかの状態にあって,その状態の下で思惟作用であれ運動ないしは静止であれ,諸々の作用や行動をなすのです。いい換えれば現実的に存在する人間は,精神が身体を行動ないしは作用に決定しているか,そうでなければ身体が精神を行動ないしは作用に決定しているかのどちらかの状態で存在しているということになります。
 もしある人間の身体が,その人間の精神を何らかの思惟作用に決定しているならば,身体は能動actioの状態にあり精神は受動passioの状態にあります。それとは逆に人間の精神がその人間の身体を運動あるいは静止に決定しているときには,精神は能動という状態であって身体は受動の状態にあります。要するにデカルトの哲学では,精神の能動は身体の受動を意味し,精神の受動は身体の能動を意味します。そして常にそのどちらかの状態,つまり精神が能動状態にあるか,そうでなければ身体が能動状態にあるかのどちらかの状態で,人間は現実的に存在するということになります。
 『スピノザ〈触発の思考〉』から理解する限り,ホッブズの政治論の基礎となっている形而上学は,この点にあると解するのが妥当です。
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