スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。
27日の午前に加古川市立青少年女性センターで指された第3回加古川青流戦決勝三番勝負第二局。
佐々木勇気四段の先手で相掛り引き飛車。棒銀に出たのに対して後手の千田翔太四段は高飛車で対抗。早々に銀の交換になり,難解そうな中盤が長く続きましたが,優位に立っていたのは先手だったようで,思いきった手順で決めにいきました。
馬を切って入手した桂馬を打ち,後手玉が2二から1三に逃げた局面。ここで▲1六歩と突きましたが,状況としては甘い手で,後手の反撃を食らうことになりました。△3九角がその手で,▲2六飛と受けますが△2五歩と受けられ,▲4六飛と逃げざるを得ません。そこで後手は△7一飛と寄り,飛車に活力が出てきました。ここではもう難しいと思います。
先手は▲7七香で受けました。そこで△2四玉と立ったのはおそらく好手。先手は▲1五香の反撃ですが,△7五歩▲8五金△5五歩。金の行き場がないので▲1四香でしたが△5六歩と取り▲同飛△5五金となっては後手玉が安全になり完全に逆転模様。▲7五香と出ましたが構わず△5六金と取り,▲同銀でしたので△7六飛と両取りに打ち,大勢は決しました。
以下▲8七王に銀を取る手が詰めろで,後手が勝っています。
千田翔太四段がタイに持ち込みました。午後に指された第三局はいずれエントリーします。
ほどなくして診察が開始されました。このとき,U先生の手元には,僕が記入した食事の記録用紙が届いていました。そしてそこには,管理栄養士が暫定的に計算した炭水化物量も記入されていました。U先生はその結果を見て,僕の血糖値の推移と,摂取する炭水化物の量との間には,一定の因果関係を見出すことはできないという主旨のことを述べました。
すでに説明したように,血糖値の推移は摂取する炭水化物量に影響されるというのが一般的な医学的な認識であり,そのために僕のようなⅠ型糖尿病患者が注射するインスリンの量も,それに応じて決定されています。しかしこのことは,あくまでも主要因という意味なのであって,炭水化物量だけが血糖値の上下の原因なのではありません。むしろ血糖値を変化させる原因であり得る要素は,ほかにも多くあるのです。U先生の話ですと,僕の血糖値の推移に大きな影響を及ぼしているのは,むしろそうしたほかの原因の方なのではないかということでした。
僕はそれまで,摂取する熱量に関してはかなり気にしていましたが,炭水化物量に関しては無頓着でしたから,はっきりとしたことはいえません。ただ,睡眠時間の短さが血糖値を高くさせるということ,また,運動療法が僕の場合にはかなり効果的であり,適度な運動が血糖値を安定させ,また,ときに適度以上の運動が低血糖を招いてしまうということは,経験的には分かっていました。炭水化物量はともかく,摂取している熱量は,多少の誤差は生じているでしょうがほぼ一定ですから,むしろそうした要素が僕の血糖値の変化の大きな原因になっているという指摘は,確かにその通りなのではないかと僕には思えました。ただ,実際に炭水化物量を気にしながら食事をするという習慣はいっかななかったわけですから,このU先生の指摘が的確であるのかどうかをより確実に判断するために,また記録を取り直すということは,無益なことではないと感じました。
こうしたわけですから,次の通院のときにも,また栄養指導が必要であるということになりました。次の通院日はこの診察で決定されますから,栄養指導の予約もU先生が入れました。
北海道から2頭,笠松から2頭が遠征してきた第59回平和賞。山本聡紀騎手が負傷のためシオサイは石崎駿騎手に変更。
先手を奪ったのはファイト。ただしエスティドゥーラ,シオサイ,ソードオブホロウの3頭はほとんど並んでの追走。あとは内にライブリーソウル,外にナイトバロンがで併走。逃げ候補の1頭だったウィーゴーはこれらの後ろとなり,ブルーフジ,フラッシュモブ,リュウノワンと続きました。前半の800mは49秒6のハイペースですが,ラップが上がったり落ちたりのかなり変則的な流れでした。
ファイトは手応えよく直線に向き,追っていた3頭を楽に離しました。これは逃げ切ったかと思ったのですが,大外に出されたナイトバロンにエンジンが掛かると1頭だけ出色の脚色。ファイトを捕えると3馬身突き抜けて圧巻の優勝。逃げ粘ったファイトが2着。勝ち馬よりさらに外から追い込んだリュウノワンが4分の3馬身差まで迫って3着。
優勝したナイトバロンは北海道でデビュー戦を勝った後,連続2着。ここが南関東転入初戦で,有力候補だろうと思っていました。ややもたついているように見えたのですが,それでいてこれだけ突き抜けるのですから,相当な能力があると考えてよいのではないでしょうか。レース振りからすれば,距離はむしろもっと長くなった方がレースがしやすくなるように感じられますので,来年のクラシックの有力候補ではないかと思えます。Baronは男爵。
騎乗した船橋の本田正重騎手はデビュー8年で南関東重賞初制覇。管理することになった船橋の出川克己調教師は第56回以来3年ぶりの平和賞2勝目。
食事の記録を記入するプリントについては,この日も3枚もらいました。つまりは3日分で,これは前回と同様です。プリント自体も同じもので,そこには炭水化物量を記入するための欄はありませんから,管理栄養士が線を引いてそのための場所を作ってくれました。ただ,これだけでは十分ではありません。実際にどの程度の炭水化物量を摂取しているのかは,僕には分からないからです。もちろんインスタント食品などであれば,パッケージに掲載されていますから,そのまま記入すればよいのですが,そうしたものばかりを食べるというわけではないからです。
糖尿病の食餌療法において,炭水化物というのは基本的に主食として摂取することになっています。要するにご飯やパンなどです。その他,ジャガイモやサツマイモ,里芋といったイモ類や,カボチャなども主成分は炭水化物で,それらを摂取する場合には,主食の量を調整します。さらにいえば,果物とか乳製品,タンパク源としてのおかずなども,食餌療法における分類としては炭水化物ではありませんが,炭水化物を含んでいます。したがって摂取した炭水化物量を記入するためには,これらすべてに含まれる炭水化物の量がどれほどであるかを把握していなければならないわけです。そのために,参考資料となるようなプリントを何枚か,管理栄養士から受け取りました。
ただ,このプリントは,僕にとっては使い勝手の悪いものでした。外食などの場合を除けば,基本的に僕は,野菜を別にすれば,それ以外のものは単品として摂取します。ところが受け取ったこのプリントは,食品ごとにどの程度の炭水化物量が含まれているかを示しているようなものではなく,どのような料理にはどの程度の炭水化物が含有されているかが示されていたからです。したがってそこに含まれていないようなものを食するという場合,実際には僕はこの場合がほとんどなのですが,そこに含まれる炭水化物量を算出するためにかなりてこずってしまいました。
栄養指導のための時間は30分。この日は時間一杯ぎりぎりまで行いましたので,終ってすぐに診察のために内分泌科の受付に向いました。
おそらく今回でラストになるであろう一宮記念の決勝。並びは新田-北津留の90期,池田ー岡田ー長塚の関東,浅井-山内の中部,松岡ー西岡の近畿。
北津留が外から被せるようにスタートを奪って新田の前受け。3番手に浅井,5番手に松岡,7番手に池田の周回に。残り2周のホームの入口から動いた池田が出口では新田を叩いて前に。このラインに続いた松岡がバックから発進し,打鐘では先行争いに。しかし難なく池田が制し,松岡は下げて4番手。6番手に浅井,8番手に新田で一列棒状。車間を開けていた岡田がバックから番手捲り。迫ってきたのは浅井でしたが,直線で岡田の後ろから踏み込んだ長塚が浅井の捲りを制して優勝。浅井が1車輪差で2着。ギアを下げて臨んだ地元の山内が浅井に続いて1車輪差で3着。
優勝した茨城の長塚智広選手は前回出走の熊本記念に続いての優勝で,記念競輪級11勝目。一宮記念は初優勝。先行争いを池田が制し,岡田が早めに発進。脚を使うところなく番手で直線に向きましたから,楽は楽であったと思います。レースの状況だけでいえば浅井が優勝しておかしくないパターンなのですが,あれで抜かせないのですからダッシュの鋭さは相変わらずだといえるでしょうし,やはりそれが最大の持ち味なのではないかと思います。
妹が家に戻ったのが8月9日の金曜日。僕はこの日も下永谷に出ていました。
11日の日曜日に母と妹で美容院に。この日は通常のように出掛け,通常のように戻ってきました。
そして8月12日の月曜日が,内分泌科の通院でした。事前の段取りを済ませて中央検査室に向うと,この日は採血を待っている患者が不在でした。ですからスムーズにここでの検査を終えることができました。診察が14時半で,その前,14時から栄養指導。これは前回と同じで,やはり前回と同様に院内の食堂で昼食を済ませ,直に指導室に向いました。
食事記録の記入用紙に記入漏れはありませんでした。この間,冷凍食品などのインスタント食品を摂取する機会がありまして,それについては食材のすべてを記入するということ,とくにその使用量を記入するということは無理ですから,パッケージに記されている熱量を記入しておきました。これ自体は管理栄養士の指示によるものでなく,僕自身の判断です。調査するのは食事の内容と,その後の血糖値の変化であることは理解していましたから,僕はそれでよいと思っていましたし,記入する欄はなかったのですが,血糖値の計測結果もついでに記入しておいたのです。ところが,このときの管理栄養士の話ですと,血糖値の推移を十全に把握するためには,単に熱量だけが把握してあれば十分ではなく,炭水化物量を把握しておく必要があるとのことでした。僕もⅠ型糖尿病に罹患してずいぶんと時間が経ちますが,このことは初めて知りました。つまり血糖値というのは,熱量に応じて上昇するものではなく,炭水化物量に応じて変化するというように捉えられているそうなのです。実際,これはこの後の診察でのU先生からの話ですが,注射するインスリンの量というのは,熱量によって決定されているのではなく,むしろ摂取されると予想される炭水化物の量を参考にして決められているとのことでした。
パッケージには炭水化物量も明記されていますが,この時点では不明です。つまり今回の記録では不十分ということで,再び調査することになりました。そして炭水化物量も記入するということになったのです。
26日の第3期女流王座戦五番勝負第一局。公式戦に限定しての対戦成績は加藤桃子女流王座が0勝,里見香奈女王・女流名人が1勝。
振駒で里見女王・女流名人の先手となり,三間飛車。加藤女流王座は左美濃から銀冠。早い段階から戦いになり,途中で後手が受けの好手を指し,優位を確立しました。
持ち駒の角を打った局面。△5一歩と受けました。ここは△5六金から攻め合って勝ちだったようですが,先手玉も今すぐに寄るという形ではありませんから,がっちりと受けておくというのはよく理解できます。でも疑問手だったよう。先手は▲4五角△同桂と金を入手してから▲4六銀と受けました。後手は△9三桂と跳ね,▲9四角と角を僻地に追いやってから△7七龍で桂馬を入手。ただ▲4五銀に△4二桂とその桂馬を受けに使用するのでは,確かに紛れているように思えます。
先手はここで▲5五飛と逃げましたが,これが敗着。▲3四桂と王手し,△同銀▲同銀と進めておかなければならなかったとのこと。それで果たして先手に利があるのかは僕には不明なのですが,少なくとも混戦になっているのは間違いないところだと思います。
先手がこの手順を逃したことにより再び後手が優位に。この後も寄せをぐずったように思えるのですが,最後はきっちりと決めて制勝しました。
加藤女流王座が先勝。第二局は11月3日です。
食事の記録の記入をスタートさせた8月8日から,1泊2日で妹がショートステイに出掛けました。ショートステイは毎月20日前後に組まれることが多いのですが,8月は早かったということになります。これは作業所で手配するものなので,はっきりとした理由は分かりませんが,おそらく宿泊先の施設の空き状況からこのようになったものと推測されます。
この8月8日は僕は長者町に出ていまして,帰宅したのは午後4時半前。その後,午後5時頃から,母と日野公園墓地に父の墓参りに行ってきました。父は事前の死の予告の通りに,2010年の8月4日に死にました。この日の墓参りはその命日に合わせたもの。本当なら当日に行くのがベストですが,今年の8月4日は日曜日。つまりその日に行くとなれば,妹を連れて行くことになります。ただ,以前に妹も連れていった墓参りの帰りのタクシーの中で妹の嘔吐があったこともあり,それ以来,法事は別として,妹を日野公園墓地に連れて行くのを躊躇うようになりました。それにタクシーは墓地の敷地の中までは進入しますが,タクシーが通行可能な通りから父の墓は少し距離がありまして,階段を上る必要があります。これも妹には負担になりますので,家族だけで墓参りをするという場合には,僕と母だけで行くようになりました。ちょうどこの日は妹がショートステイで不在でしたし,暑い時期ですから少しでも遅い時間に行くというのはよい選択でした。こうした理由から,この日の墓参りとなったわけです。
実はこの日,行ってみましたら墓を管理している石屋がすでに閉まっていました。普段はここで花や線香を買い,預けてある桶も使用するのですが,そうしたことの一切が不可能となってしまいました。ということでまことに異例ではありますが,墓前に手を合わせるというだけの,ごく簡単な墓参りとなりました。こうしたケースもあり得るのではないかと予想していましたから,花はともかく線香くらいは家から持っていっておけばよかったと,母とふたりで後悔しました。
時間もよかったので夕食も外で済ませて帰宅。帰ったのは午後7時くらいでなかったかと思います。
天覧競馬から1年,第148回天皇賞(秋)。
トウケイヘイローが逃げたのは予想通りでしたが,2番手でジェンティルドンナがマークしていったのには驚かされました。内のダイワファルコン,外のレッドスパーダもほぼ並走。ダノンバラードが好位の先頭で,コディーノ,アンコイルド,トーセンジョーダンが一団で追走。その後ろがエイシンフラッシュで,直後にナカヤマナイトとジャスタウェイ。前半の1000mは58秒4でミドルペース。
直線に入るとすぐにジェンティルドンナがトウケイヘイローを捕まえにいき,少し手間取りはしたものの交わして先頭に。たださすがにお釣りはなく,大外を強襲したジャスタウェイには並ぶ間もなく交わされ,そのまま抜け出したジャスタウェイが4馬身差で圧勝。密度の濃い競馬だったジェンティルドンナは最後は一杯も2着は死守。2馬身差の3着には今年は外を伸びたエイシンフラッシュ。
優勝したジャスタウェイは4歳馬でこれがようやく3勝目。昨年2月のアーリントンカップ以来の重賞2勝目で大レースは初制覇。ただ,ここ3戦を含めて重賞2着が5回もあり,勝てるだけの力はある馬でした。なかなか勝ちきれなかったのは,控えて末脚で勝負する馬で展開に左右される面があり,発馬にもやや難があったから。今日はすべてがうまくいっての快勝で,着差ほど他馬と力差があるわけではないと思います。今後もとりこぼしはあるでしょうが,レースの条件が向けば,大レースでの勝利を積み重ねられると思います。父は2005年のJRA賞最優秀4歳以上牡馬のハーツクライ。母の叔父に1997年のシリウスステークスと1998年の中京記念を勝ったトーヨーレインボー。
騎乗した福永祐一騎手は菊花賞に続いて2週連続の大レース制覇。天皇賞は初勝利。管理している須貝尚介調教師は宝塚記念以来の大レース制覇で天皇賞は初勝利。
程度は分からないまでも,それで矯正されているということは確かなので,眼鏡がないということは妹にとって不便であることは間違いありません。それで7月27日の土曜日に,母と妹で大手の眼鏡ストアのチェーン店まで出掛けまして,修理しました。ついでですから昼食も摂って帰ってきました。
その翌週の土曜日は月が替って8月3日。この日は妹の土曜出勤。夏場ということで,通っている作業所を運営している施設の方での納涼会というのが設定されていました。カラオケやビンゴ大会などが行われたそうです。この納涼会には母も同行しています。
次の通院が迫ってきたので,8月8日の木曜日から,食事の記録の記入を開始しました。これは前回の栄養指導で受け取っていたもの。献立と,食材と,その使用量の記入です。また,このプリントには,体重の記入欄もありました。実はこの日に,体重計が送られてきていました。白楽訪問の理由というのは,そこで不幸があったからでした。そのときに香典を渡していまして,この体重計というのはその香典返しです。香典返しに体重計といえば変に思われるかもしれませんが,最近はよく見受けられますように,カタログが香典返しで,その中にあった体重計を母が選択したというもの。母と僕の間で何らかの話し合いがあったというわけではなく,この日に体重計が届いたというのは完全なる偶然。というか母が体重計を選んだということ自体,僕はこのときまでいっかな知りませんでした。
この体重計は単に体重だけを計測できるものではありません。自分の年齢や身長などのデータを登録しておくことによって,体脂肪率とか体内水分量,骨量や代謝率なども計測できます。せっかくですから僕もデータを登録して,それらのすべてを計測できるようにしました。どの程度まで確かなものであるのかは分かりませんが,一般に気にされる数値として体脂肪率だけ記しておけば,僕の場合は日によって異なりますが,7%台か8%台の結果が出ます。もともと痩身ですから,脂肪が多いとは思えませんでしたので,計測してみたらこのような結果が出るということは,あり得るだろうと思えました。
加古川市立青少年女性センターで指された第3回加古川青流戦決勝三番勝負第一局。公式戦初対局。
加古川市長の振駒で千田翔太四段の先手。最初の指し手の成り行きから,共に飛車先不突きの相矢倉から脇システムのような形に進行しました。途中で佐々木勇気四段に大きな見落としがあったため,先手が寄せるだけという展開になったのですが,最後の詰めを誤り,混戦となりました。
この瞬間は角を渡さなければ後手玉は相当に詰みません。△8八歩▲同銀△8七歩▲同銀△8八歩と,歩を駆使して攻めました。先手はこれを▲同金と取ったのですが,この手はどうもまずかったようです。というのも単に△2一金でも△6八馬でもなく,△7九銀と打つ手があり,▲7八金右△8八銀成▲同金としてから△2一金と飛車を取られてしまったからです。
第2図では先手が勝つのには困難な局面になっているように思えます。この後,先手はもう1枚の飛車も取られ,強力な攻めの継続が困難に。その間に反撃した後手の勝ちになりました。
佐々木四段が先勝。第二局は明日の午前。そこで千田四段が雪辱を果たせば,午後に第三局が指されます。
参議院議員選挙があった週は,7月23日の火曜日から,妹がショートステイに出掛けました。この月は磯子区の施設を利用。2泊3日でしたから,帰ったのは25日の木曜だったということになります。
ちょうどその中日,24日に母がI歯科へ通院しました。予約は午前10時。普段は妹を作業所まで送った後で通院しますので,この時間ということはあり得ません。この日は妹が不在でしたから,早い時間に予約を入れておくことが可能となったものです。通院の目的はもちろんブリッジを架けた後で感じるようになった歯の痛みに関するもの。ただ,歯が削れたり欠けたりしている部分はあっても,はっきりとした虫歯のようなものは確認できなかったそうで,知覚過敏が発生しているのではないかというのがI先生の見立てであったようです。なので母が沁みるという部分に薬品を塗ってこの日の治療は終了。後日,母に聞いたところによれば,この治療によって痛みが消えるということはなかったそうなのですが,だからといって我慢ができないというほどひどくもなかったので,この件についてはこれ以上の通院はしませんでした。僕はこの日は根岸台という,僕の家からも見える丘の上に行っていました。近いからといって早く帰宅できるというわけではなく,戻ったのは午後5時前です。
妹がショートステイから戻ったのが先述したように25日の木曜日。僕はこの日は長者町でしたが,妹よりも早く家に戻っています。で,ちょっとした問題が発生しました。妹の眼鏡が壊れてしまったのです。
妹は小学生の頃から眼鏡を掛けています。知的障害者ですから,視力検査を行うということはわりに困難で,実際にどの程度の視力があるのかということは不明。ただ,近視であり,かつ乱視であるということは間違いありません。眼鏡を着用することによってそれがどの程度まで矯正されているのかということも,実際に調べるということがまた難しいのでよく分かってはいないのですが,程度は分からないまでも矯正されているということは間違いないのです。これは着用時とそうでないときとで差が出ますから,僕が見ている限りでも把握できています。
日曜日の菊花賞はエピファネイアが勝ちました。母系の基礎輸入繁殖牝馬は祖母で1990年にイギリスで産まれたキロフプリミエールです。Premiereは初日。ファミリーナンバーは16-aで,キャサリーンパーと同じ。
輸入したのはノーザンファーム。後にオーストラリアに売られることになるのですが,1995年に日本にやってきて,繁殖生活を始めました。2001年まで,1年を除いてすべての産駒がJRAでデビュー。出世頭は1000万を勝った馬で,重賞には手が届かなかったのですが,2001年にスペシャルウィークを配合され,翌2002年に誕生したシーザリオは,2005年にフラワーカップを制して産駒の初重賞制覇達成。桜花賞は惜しい2着でしたが,オークスは驚異的な追い込みで勝利し,大レース制覇も達成しました。さらにアメリカに渡ってアメリカンオークスに出走するとこれは楽勝。海外での大レース制覇というおまけまでつきました。
シーザリオにとって残念ながらこれが最後のレース。2007年に初産駒を誕生させると,シンボリクリスエスとの間に2010年に産まれたエピファネイアが菊花賞を勝ち,母息子でクラシックを制覇という偉業を達成。エピファネイアは無事ならばさらなる活躍が望める筈です。2頭とも角居勝彦厩舎に所属し,主戦は福永祐一騎手。それぞれにとって思い入れのあるであろう血脈での勝利ですから,ことのほかの喜びがあったものと推察されます。
近親に輸入馬が少なく,繁殖に入っている牝馬も多くありません。一族の日本での発展は,シーザリオがどれだけの牝馬を子孫として残すかにかかっているといえそうです。
投票の基準は概ねこのようなものになっているのですが,ひとつだけ例外があります。それは最高裁判所の裁判官の国民審査です。この国民審査では,僕は自身の政治的判断をします。とはいっても,この国民審査で失格した裁判官というのを僕は知りません。いい換えれば全員が合格することが決まっているような審査ですから,現実的な意味においては政治的判断をしているとはいえないかもしれません。僕がここでこれを例外であるというのは,この投票に関しては,他者の投票動向の予測とは無関係に,僕自身の判断基準だけで投票するという意味です。
投票の参考にするのは事前に配布される選挙公報です。選挙公報には,審査を受ける裁判官が,どのような裁判に加わり,そしてそこでどのような判断を下したのかということが明記されています。僕は,どんな裁判に参加し,またそこでどう判断を下したのかということは考慮には入れません。ただ,下した結果のすべてが多数派の意見と同じであったという場合,すなわちこれはその裁判官が下した判断が,判決と一致する場合という意味ですが,この裁判官にはバツをつけることにしています。
裁判官というのは法律の専門家です。ですから下した判断のすべてが多数派と一致するということは,それだけ専門家として有能であるということの証です。なので本当はそうした裁判官にバツをつけるのは著しく合理性を欠いているということを,僕自身よく分かってはいるのです。ではなぜあえてそのような合理性を欠くような投票をするのかというと,それがどのような対象に対しての判断であったとしても,その判断のすべてが結果的に多数意見と一致するような人のことを,僕はひとりの人間として信用できないのです。これは合理的な意味でそういっているのではなく,僕自身の受動が,僕にそのような思いを抱かせるという意味です。つまり国民審査に関しては,僕は僕の受動によって,自分の投票行動を決定しているということになるのです。
これらが僕の現在の政治に対する心構えのすべてです。スピノザ主義者の態度の一例として,参考になるかもしれないと思いましたので,長々と書き連ねました。
21日の第61期王座戦五番勝負第五局。
振駒で羽生善治王座の先手。中村太地六段の横歩取り△8四飛。早い段階での戦いとはならず,手順の成り行きから,後手が先手の攻め駒を抑え込みにいく展開になりました。
3二の金が上がった局面で,後手としては方針通りの指し方でしょう。先手は食い破りにいかなければなりません。▲6六飛と6筋に狙いをつけました。後手は△6五歩と突き,▲同桂に△5四歩と,一転して強く受け止めにいく構え。▲7三桂成△同金に▲9五角と打ちましたが,これは攻めの継続を図る好手だったようです。△8二角と受けましたが構わず▲7三角成と切り,△同角に▲6四金とシンプルに攻め込みました。△同銀▲同銀は当然で,△8四角と飛車に当てて逃げるのも自然でしょう。先手は▲7五歩と手筋で受け,後手は△4二玉と早逃げ。
ここでは仕方がないのかもしれませんが,この早逃げはあまり効果的ではありませんでした。おそらく第1図から第2図へ至る途中,△6五歩▲同桂としたのは,相手の攻めに乗じて自分の駒も捌いてしまう狙いですが,この将棋では呼び込み過ぎで,単に△5四歩の方が受け止めるには優っていたと思われます。
第2図からは▲2二歩△1三桂の交換を入れて▲2六桂と今度はこちら側から攻撃。△2三銀に▲3四歩と大きな拠点を作ることに成功。△2五歩と催促されましたが▲7三銀不成の決め手がありました。
これでどう応じても後手の網が食い破られた形。それでは元の方針に沿いませんから,後手に勝機はありません。この後も的確に攻め続けた先手が勝っています。
羽生王座が3勝2敗で防衛。王座は60期に続く連覇で,通算21期目です。
僕の投票行動の具体的な基準に照らし合わせたとき,投票したいと思うような候補者が存在しないという場合が生じ得ます。というより実際にこういうケースに遭遇したことがあります。ではその場合にどうするかといえば,これは無効票を投じます。すでに説明したように,選挙は日曜に行われるのが常であり,僕は先に勝馬投票を済ませてから選挙の投票をしますので,この場合には投票用紙には馬の名前か騎手の名前を記入します。
無効票を投じる場合に,このような手法を採用するというのは,実は最近に始まったことではなく,かなり以前から同様でした。1995年の4月9日に桜花賞があり,ワンダーパヒュームという馬が勝っています。そしてこの日は選挙がありました。日付から考えると,おそらくは統一地方選挙でしょう。横浜市の場合,地方選挙だと県知事,市長,県議会,市議会とありますから,どれであったかは定かではありませんが,少なくとも1票はワンダーパヒュームと書いて投票しました。結果的に桜花賞馬に投票したことになったので,これはよく覚えています。僕が選挙権を得たのは1990年。ですからこの方式は無効票を投じる場合には早い段階から採用していた手法で,現在もそれを踏襲しているというのが正しい説明になるかと思います。
なお,無効票を投じるくらいならば棄権しても同じであるという主張があるでしょう。僕はそれには同意し,とくに反論はしません。ただ,僕は現時点で考えられる政治制度としては民主制というのが最良であろうと思っていて,そのために投票率が低下することは好ましくないと考えています。なのでわざわざ無効票を投票しにいくということもするのです。僕はかつて1度だけ,直前になって用事ができてしまい,どうしても投票に行けないということがありました。当時は現在ほど投票時間が長くなかったということもあります。そのときは仕方がないので棄権することになってしまいましたが,この例外を除けば,あらゆる選挙で棄権したということはありません。ちなみにこの棄権した選挙というのは,1991年4月7日の統一地方選挙で,初めて選挙権を行使できる選挙だったと記憶しています。
優勝馬に浦和記念の優先出走権が付与される第23回埼玉新聞栄冠賞。
先手を奪ったのはマグニフィカ。追ったサイオンが2番手で,外にガンマーバースト,内に掛かり加減に見えたタマモスクワート。この4頭が一団で,大きく開いてカキツバタロイヤルとスターシップが追走。ミドルペースであったと思われます。
前の4頭からガンマーバーストが直線入口で先頭に立つと,ここからは一方的に後ろを離していき,5馬身差で圧勝。2着争いは3頭による激戦でしたが,いち早く動いたスターシップ。ずっとインを回り,直線は大外に出したカキツバタロイヤルがクビ差で3着。先行集団から粘ったサイオンはアタマ差の4着。
優勝したガンマーバーストは昨年までJRAで走り,今年から南関東に。1600万を勝ち,オープンでも入着していましたから,南関東重賞で通用する力があったのは間違いないと思うのですが,オープンでは2勝していたものの,南関東重賞では入着止まりでしたので,このメンバーではどうなのかと疑問に思っていました。僕の疑問を覆すような楽勝で,ここにきて持っている力を存分に発揮できるようになったということなのだと思います。本来的には距離はもう少し短い方が向くのではないでしょうか。父はスペシャルウィーク。
騎乗した船橋の森泰斗騎手は7月の習志野きらっとスプリント以来の南関東重賞制覇。埼玉新聞栄冠賞は初勝利。管理している船橋の出川克己調教師も埼玉新聞栄冠賞初勝利。
日本での原子力発電についていえば,僕はできる限り早いうちに,というのは今すぐにでもということを含意しますが,停止するべきであると考えています。ですからこのときの参議院議員選挙では,その点で一致する候補者に投票しました。選挙結果はむしろ逆に,継続を支持することになりましたが,それはそれで国民の総意として僕は受容します。要するに選択を他者に委ねるということの具体的な意味は,このような内容を有しているということです。ただ,今回の選挙の結果に関しての理解については,補足が必要かもしれません。
このときの選挙で自民党が大勝したのは,それ以前に政権を担っていた民主党に対する反発であり,この結果をもって原子力発電の再開を国民が支持したとはいえないという論調が現に存在しました。しかし僕はそのような考え方は認めません。というのは,このときの民主党は自民党に比べれば脱原発寄りであったことは確かでしょう。それでも自民党に票を投じるということは,民主党に任せるくらいならば原発を再開しても自民党に託す方がよいという意味であると理解するのが合理的だからです。これはちょうど逆の選択肢として,原発を再開するくらいなら民主党に託す方がよいというものがあり,しかしそれは選択されなかったという事実から明らかだといえます。もしも仮に,自民党に投票したけれども原子力発電の再開には絶対に反対だという人がいるとしたならば,僕はその投票行動が無責任であるとまではいいませんが,主張自体は単なる甘え以外の何ものでもないと解します。前述の論調というのは,現実にこのような人が多数であったということを前提しているのであって,そもそもそのような前提の上で物事を判断し,また語るというのであれば,政治家に対して多くを期待するのは無理であると思いますし,もっといえば酷なことであると思います。僕はこのときの選挙結果は,多くの国民は原子力発電の維持あるいは再開を支持したと理解するべきだと考えます。
ところで,今回の参議院議員選挙の場合でいえば,投票するべき候補者が存在したのですが,いつもいつもそうであるとは限りません。
プロの面目を奨励会員が崩せるのか。第44回新人王戦決勝三番勝負第三局。
振駒で藤森哲也四段の先手。▲2六歩△3四歩だと▲2五歩と突く将棋ばかり見ていましたが,この将棋は▲7六歩としました。都成竜馬奨励会三段は横歩取りに誘導。しかし先手は横歩は取らず,ひねり飛車になりました。手順の成り行きから先後ともに変わった構えとなり,中盤の戦いに。
4四で銀が交換され,歩が伸びてきたので受けた局面。先手は▲5三銀と打ちました。狙いは金をどかせて桂馬を跳ね,角の働きを良くすること。そこで先に△8七歩と打ち,▲9七角とさせてから△6三金と引いたのはうまい手順。銀取りですから先手は▲6五桂と跳ねるほかありません。そこで△8八銀と打って角を捕獲。先手は▲8四歩ですが,猶予を与えられた局面でこれしかないのではすでに苦しかったとみるべきかもしれません。△9七銀不成▲同香△5九角と打ち込んで,後手のリードがはっきりしたように思えます。
第2図以下,飛車の取り合いに進展しましたが,後手の攻め足が明らかに早く,後手の勝ちに終っています。
都成竜馬三段が2勝1敗で優勝。奨励会三段の新人王戦優勝は初めて。これだけの力量があるのですから,ぜひともプロになってもらいたいと思いますし,たとえば三段リーグの次点1回と同じポイントを与えるといった制度があってもよいように思えます。将棋を観戦するのが初めてでしたが,全体的に,受けに力を発揮するという印象が残りました。
現時点では投票の基準がこのようになっています。なのでまず僕は,事前に当選が濃厚とされている候補者に投票することはしません。当選者に一票を投じれば,政治的判断を他人に委ねるということの意味が変様してしまうからです。同様に,当落線上で複数の候補者が争っているという場合にも,それらの候補者には投票しません。この場合にはより大きな政治的判断を結果的にしたということが,場合によっては生じかねないからです。つまり事前に当選が困難である,つまり落選が予想される候補者に投票するということが,最初の具体的な基準となります。
ただし,ここでは僕は政治的な選択をします。いい換えれば,当選が困難と思われる多数の候補者が存在するという場合に,その中から無作為に抽出して一票を投じるということはないのです。もちろんこれは,その中から政策を支持できる候補者を探して,その人に投票するという意味です。
第四部定理四により,人間は受動からは逃れられません。そして第三部定理五七により,その受動の相違の分だけ,諸個人の本性は相違します。したがって,現実的に存在するふたりあるいはふたり以上の人間の本性が完全に一致するということはありません。政策というのは合理的に決定されるものではなく,受動によって決定されます。このことは現に複数の政党が存在し,それぞれに異なった主義なり主張なりがあるということから現象としては明白です。よって,僕の考え方と政策において完全に一致するという候補者が存在するということはあり得ないということを僕はよく分かっています。ですからここでも投票行動を決定するための,第二の具体的な基準が必要となってきます。
この第二の基準は,各々の選挙によって異なってきます。たとえばいくつかの政策に優先順位をつけて,その順位の最も高いものが一致する候補者に投票するというケースがあります。あるいは,優先順位はつけずに,一致する政策の数が多い候補者に投票するというようなケースもあります。このときの参議院議員選挙のときには,優先順位をつけて,投票行動を決めました。それは原子力発電に対する考え方でした。
昨日の千葉記念の決勝。並びは小松崎ー佐藤の北日本,池田ー平原-岡田ー後閑の埼京,三谷-南の近畿で,金子が単騎。
スタートを岡田が取りにいって池田の前受け。三谷が5番手で,金子を挟んで小松崎が8番手の周回に。残り2周のバック入口から小松崎がレースを動かしにいき,池田を叩いたところで打鐘。巻き返しにいったのが三谷で,ここを追走していた金子までホームで出きり,三谷のかまし先行に。小松崎がすぐに巻き返しにいくと3番手から金子が発進。バックでは三谷の前に出て,この金子に切り替えたのが佐藤。池田も動きましたが前には追いつけず,これを見た平原が自力に転じて捲ると,コーナーから直線で金子を捕えて先頭に。平原追走の岡田が追い込みをかけ,ゴール手前で平原を差して優勝。4分の1車輪差で平原が2着。後閑も1車身差の3着に続いて埼京勢の上位独占。
優勝した東京の岡田征陽選手は昨年5月の別府記念以来となる記念競輪2勝目。持っている脚力から考えると,初優勝からずいぶんと時間が掛かってしまったような気がします。ここは埼京勢が非常に強力なラインを結成し,その中から優勝者を出そうということで,結束の勝利といえるでしょう。展開としては悪くなったのですが,すかさず自力に転じた2着の平原もさすがというところですし,それを差した岡田もまた立派に仕事をしたといえるでしょう。
ここで僕が政治に対してどのような心構えで向き合っているのかを説明しておくことは,徒労ではないでしょう。
僕はスピノザ主義者です。ですからスピノザが哲学する自由と称する事柄を守るためには闘争することも拒みません。現代はスピノザの時代と比較したならば,哲学する自由に対する危機は桁違いに小さくなっているというべきではあるでしょうが,実際にそうした危機は今でもあるのだと僕は認識しています。ですが僕はこのことを政治家に託すということはしません。というよりも他人に付託するということを拒否するといった方が正しいでしょう。これはあくまでも僕自身の個人的信条に属する事柄です。ですからそれが僕の投票行動に反映されるということはありません。闘争が必要な場合には,もっと違った方法を採用します。
一方,政治についていうならば,僕は基本的に近未来のことを決定する場であると認識しています。これに関する判断は他人にすべて任せます。いい換えれば僕はこの種の政治的判断はしません。任せるというのはいうまでもなく単に決定を委ねるという意味ではなく,というかそういう意味も含まれてはいますが,むしろその決定に従うということが含意されていると考えてください。選挙でどの政党が勝利しようが,それを国民の総意として受け入れるということです。そもそも僕も40歳を超え,12月には43になりますから,近未来についての判断は,もっと若い人たちに任せるべきだろうという思いもあり,その思いがこの判断にさらに拍車をかけています。ただ,現実的には若い人が多く投票しているかといえばそうであるとはいえませんから,このことは僕の精神の中だけで生じているというように理解してもらっても構わないです。
これらのことが,僕が実際に選挙で投票するときの,少なくとも現時点での基準ということになっています。政治的判断を他人に委ねるような投票というのは,妙な言い回しと思われるかもしれませんが,これはそんなに難しい行動ではありません。最近は選挙というのは事前の予測によって,だれが当選し,まただれが落選するであろうということが,ほぼ分かるからです。
3年ぶりに皐月賞馬もダービー馬も不在となった第74回菊花賞。
先手を取りにいったネコタイショウを外から抜いていったバンデの逃げに。控えたネコタイショウが2番手で宥めながらエピファネイアは3番手。外にラストインパクト,内目にタマモベストプレイが続き,その後ろは少し開いてナリタパイレーツ。最内に潜り込んで下げたサトノノブレスとヒラボクディープが並んで追走。最初の1000mは61秒2でミドルペースでしょう。
ネコタイショウは3コーナーで一杯。自然と2番手になったエピファネイアは,直線に入ってからバンデを捕まえにいき,あっさりと抜き去るとあとは独走。5馬身の差をつける圧勝になりました。内から脚を伸ばしたサトノノブレスがバンデをフィニッシュ前で差して2着。逃げ粘ったバンデがクビ差で3着。
優勝したエピファネイアは前哨戦の神戸新聞杯から連勝。重賞は3勝目で大レースは初制覇。実績的に抜けた存在で,暴走しない限りは勝つだろうとみていました。3番手という絶好の位置で折合いがつきましたので,実質的に道中で勝利は確定したといっていいのではないかと思います。長距離馬ではなく,2000mから2400mで活躍する馬になっていくでしょう。父はシンボリクリスエス。母はシーザリオ。母の父はスペシャルウィーク。Epiphaneiaはギリシア語でクリスマスから12日目の公現祭。
騎乗した福永祐一騎手は昨年の安田記念以来の大レース制覇で菊花賞は初勝利。管理している角居勝彦調教師は昨年のクイーンエリザベスⅡ世カップ以来の大レース制覇。国内では一昨年の秋華賞以来。第65回以来9年ぶりの菊花賞2勝目。
7月15日は月曜ですが祝日。ということで妹のピアノのレッスンが組まれていました。当初の予定では午後3時からだったのですが,当日にピアノの先生から連絡がありまして,午後2時半からに早まっています。祝日でしたが僕はこの日も川崎に行きましたので,帰宅したときにはすでに先生は帰った後でした。
翌7月16日に,母と妹が夕食会に出掛けました。母は現在も足つぼとストレッチに通っています。この日の夕食会というのは,ストレッチの講師に呼び掛けられたもの。この講師は定期的に生徒とこのような会を設けていて,僕は知らなかったのですが,これまでにも誘われたということはあったそうです。妹を連れて出掛けるというのも楽なことではありませんから,それまでは断っていたそうなのですが,この日は専用のバスが出るということだったので,初めて参加することを決意したようです。場所は新横浜とのことで,よく分かっていなかったのですが,行ってみたらかつて僕の従弟が結婚式を執り行った会場と同じ場所であったとのこと。これは僕も行きましたからよく覚えています。僕はこういったセレモニーを競馬と結び付けて表象するというのが常。あれはイーグルカフェが京成杯で2着になった日のことでした。そして僕からいわせればこれは新横浜というには少しばかり距離があります。実際に駅でいえば,市営地下鉄の岸根公園の方が近いくらいのところでした。場所だけでなくどのような夕食会であるのかも母は事前にはよく把握できていなかったようです。行ってみたら物まね芸人のディナーショーだったということでした。僕はこの日は能見台で,夕食は自宅でひとりで摂りました。
7月20日の土曜日にもピアノのレッスンがありました。以前は月に4回でしたからそういうケースもあったかと思いますが,中5日でレッスンというのは,原則的に月に2回の現在では非常に短い間隔となります。この日は午後4時からでした。
21日の日曜日が参議院議員の選挙の日でした。選挙は日曜日。日曜は基本的にWINS横浜に出掛けますので,まず勝馬投票を済ませ,その帰りに選挙の投票もするというのが僕のパターンです。
実父の死後,経営者として貿易に携わっていた時期があったということが,スピノザにとって経済的自由の重要性を意識することになった理由のひとつではないかと僕は思っています。ただ,父親が死んだからといって,すぐに貿易の仕事ができるようになるとも思えません。父の存命中から,スピノザは何らかの形で貿易に関わっていたと理解する方が妥当ではないかと思います。
『ある哲学者の人生』によれば,スピノザが通っていた学校の記録から類推すれば,スピノザが14歳の頃には,すでにその仕事に就いていたと考えることが可能のようです。父の死はスピノザが21歳のときのことですから,この場合だと6年以上は父を助ける形で貿易に携わっていたことになります。時期の特定は僕には不可能ですが,父の死の以前から,貿易に関わっていたということは,間違いのないことなのではないかと僕は思います。
『スピノザ入門』では,それまで信じられていたように,スピノザがラビになることを期待されていたというのは間違いであるといわれていました。そしてそのことは,この事実からも裏付けられるように思います。というのも,確かにスピノザが自主的に学校に通うことをやめ,父の手伝いをするようになったという可能性もあるにはあるでしょうが,後のスピノザの哲学者としての人生から考えるなら,むしろ父に請われて手伝うようになったと判断する方が,正しいのではないかと思われるからです。そしてこの推測が正しいのだとすれば,少なくともスピノザの父親は,スピノザがラビとして生きることよりも,商人として自分の後を継ぐことを期待していたということになるでしょう。
理由はどうあれ,わりと早い時期からスピノザが貿易に関わっていたことは間違いないと思います。そしてそこで出会った商人の仲間たちは,その後のスピノザの哲学に対して,わりと重要な存在であったのではないかと僕には思えるのです。
お盆の墓参りに行った週の週末は,12日の金曜日にまた母がI歯科に。これは前の週に架けたブリッジの調整のため。もっとも,調整といいましてもブリッジは機能していたようなので,実際に何か修正を施したということはなかったようです。ついでですから歯石の除去も行いました。これで治療は終了。次回は定期的な歯科検診で,概ね3ヶ月後ということになるのですが,このときの母には別の問題が生じていました。ブリッジを架けたのとは反対側の歯が沁みるようになっていたのです。
僕もかつて,右側の歯の虫歯を治療したら,それまでは感じていなかった痛みが反対の左側で感じられるようになったということがありました。そのときはブリッジの中で虫歯が進行していて,結果的にブリッジを外して治療,そして新しいブリッジを架けたわけです。おそらく人間は歯の痛みを,最も悪化している部分に感じるものなのでしょう。このためにその部分の痛みが除去されると,次に悪化している部分があるなら,そちらに新しい痛みを感じるようになるということなのだろうと思います。その部分も痛みの素を発生させてはいたのでしょうが,それ以上の痛みの素を発生させる部分がほかにあれば,軽度の痛みの方は意識に上らず,重度の痛みの方だけを意識するということなのだと思います。僕も母も同じように治療が完了した時点で別の痛みを感じるようになったわけですが,こういうのは人間の身体の本性に属することなのだと思います。
ただ,この日はその部分の治療は行わなかったとのこと。なのでその部分の治療のために,また予約を入れて家に戻ったようです。僕はこの日は日限山,あるいは下永谷の近辺まで出ていました。
翌13日の土曜日は母と妹で美容院へ。この日は遅くなりまして,家に戻ったのは午後5時を回っていました。美容院は普段はふたりの美容師がいるそうなのですが,この日は詳細は不明ですがひとりしかいなかったとのこと。そのために遅くなったものでした。
14日の日曜日は妹のガイドヘルパーを利用しました。この日は,あるいはこの日もというべきでしょうか,本牧でのカラオケでした。
野田市市民会館で指された第26期竜王戦七番勝負第一局。対戦成績は渡辺明竜王が17勝で森内俊之名人が10勝。
振駒で森内名人の先手。渡辺竜王は急戦矢倉を選択。先手が後手の攻め駒を玉頭から攻めにいくという展開。こういうのは少しの得だけではむしろ勝ちにくくなるという印象があり,大きな決断であったように思います。封じ手直後の先手の手順は変則的に思え,このあたりは後手がリードしているのではないかと感じましたが,そうでもなかったよう。その後,後手が猛攻を開始したのは,苦しいとみての選択だったのではないでしょうか。後手が攻めきるか,先手が受けきるかという将棋に。
後手はひどい駒損ですから,攻めが繋がらなくなればそれは負けを意味します。△8八歩と打ち,▲同玉に△9七歩成としました。これは▲同桂△同香成▲同玉で盤面の左側に後手の駒がほとんど不在になりますから,いよいよ最終手段という感じの手順。△8五歩▲8七金と1枚増やし△9六歩▲同玉。△9五歩と叩くのも有力そうですが単に△4九角と打ち込みました。先手は▲8四歩。部分的にいえば△6三飛▲同馬△3八角成と進んで大損なのですが,この際はこれがよい手段だったようで,▲8五玉と自玉周辺の後手の駒を一掃した局面では,先手玉に寄りがなくなっていたようです。
以下も手順は続きましたが,結果的には差が開いていくばかりのような将棋になり,先手が勝っています。
森内名人の先勝。第二局は28日と29日です。
この2日後,7月5日の金曜日に母がI歯科に。この日にブリッジを架けました。僕が架けているブリッジは保険が適用されるものですが,母は保険適用外のブリッジを架けたようです。当然のことですがその分だけ治療費も高くつくことになるわけですが,実際にブリッジを架けるのは母なのですから,どういう選択をするのかは母が決定すればよいことです。この日は僕は長者町でした。
翌7月6日の土曜日は妹の土曜出勤でした。この日はボーリング。作業所のボーリングは杉田のボーリング場で実施されることが多かったのですが,この日は伊勢佐木町でした。作業所を運営している施設の方に午前9時に集合。僕の家からですとこれはかなりの遠回りになりますが,この日はボーリング場に直接出向くということはせず,母が施設に送っていきました。どうも施設から直にボーリング場へと向うのではなく,途中で寄るところがあったようです。そのためにボーリングに参加する人のすべてが,まずは施設に集合しておく必要があったのです。
7月8日の月曜日の午前中に,母と日野公園墓地に墓参りに行きました。これはお盆の墓参りです。お盆は8月という場合の方が多いのではないかと思いますが,本門仏立宗では7月です。実際にはまだこの日にはお盆に入ってはいないのですが,母と僕で都合をつけることができる期日というのが,この日の午前しかありませんでした。それにお盆の期間中は,墓地の敷地内には自動車が入れないというケースがありますので,むしろ好都合でもあったのです。この日もまずは屏風浦までバスで出て,そこからタクシーに乗り換えました。墓参りを終えた後,帰るためのタクシーを捕まえるのに,この日は非常に手間取りました。このためにこれ以降の墓参りのときには,行きに使ったタクシーに,施設内で待機してもらい,帰りもその同じタクシーで帰るというようにしています。待機してもらうので料金は嵩むことになりますが,利便性の方を選択するようになったということです。ファミリーレストランで昼食を済ませてから帰宅。午後1時半を過ぎていました。午後は本牧でしたが,問題は生じませんでした。
8日の第61期王座戦五番勝負第四局。
羽生善治王座の先手で中村太地六段の横歩取りとなった将棋は,中盤でわりとあっさりと千日手が成立しました。この段階で千日手になるということは,後手がうまくやったと判断してよいように思います。
指し直し局は中村六段の先手で羽生王座の一手損角換り4に。ちょっと変わっていますが,一応は相腰掛銀になりました。途中からは先手がリードしていたようですが,後手も決め手を与えないように粘り,すれすれの終盤戦が延々と続くという,名局に。
▲6五歩の王手に6四から後手の王が逃げた局面。ここは▲5五歩と打つべきでした。△同王は詰みなので△同銀の一手なのですが,王手をかけ続けながら6七のと金を取る順があり,先手玉の詰めろを消せるので先手の勝ちだったようです。
実戦の指し手は▲4三銀。これも鋭い手だと思えるのですが,△5五王と逃げ,▲5六歩に△6五王と逃げられました。
ここは単に▲6六歩と打つべきであったよう。この順も6七のと金を外せるので,先手は一手の余裕を得ることが可能だったそうです。
実戦は▲5七桂と打ち,△同ととさせてからの▲6六歩。ただこれは△5六王▲6八桂に△同ととは応じてもらえず△4七王と入られました。これでは後手玉が詰まず,先手の詰めろも消えていないので,後手の逆転勝ちになっています。
羽生王座が勝って2勝2敗のイーブンに。第五局は21日です。
無賃乗車になっていた区間の運賃も無事に支払い,当初の目的である定期入れを取り戻すこともできましたので,この後は予定通りに川崎へと向いました。県立大学駅は各駅停車しか停まりませんが,それで京急川崎まで行くとなると,さすがに何本の快特,また急行に抜かれることになるのか分かったものではありません。僕が乗った電車は金沢文庫で快速特急と待ち合わせるということでしたが,金沢文庫までは行かず,次の横須賀中央で下車して,その快特に乗り換えました。
京急川崎駅は改札口はひとつしかありません。その改札口の脇に,案内所のような部屋があります。上大岡駅の忘れ物に関する施設は駅の構内にあったのですが,京急川崎駅はここがその場所も兼ねていました。なので僕は改札口は通らずに,その部屋に入りまして,上大岡駅でもらった専用の切符を,そこにいた駅員に見せました。担当の駅員はその切符を受け取り,お疲れさまでしたと言って,僕を駅の外に出してくれました。つまりこの部屋は駅の中からも入れるし,駅の外からも入れるという構造になっていたのです。
そのように言われましたから僕はそのまま出たのですが,今から考えても,これは結果的に過剰なサービスを受けることになってしまったという感じがします。僕は前日にたまたまパスモの紛失をしましたから,この日は運賃を払わずに京急川崎まで来ることになりました。しかしもしもそれがなかったとしたら,仮に僕が京急を使って川崎まで来るという場合,上大岡から乗車するということはあり得ませんが,たとえば横浜と京急川崎の区間だけを利用したとしても,その区間の運賃を支払わなければならなかった筈です。つまり僕は少なくともこの日は,その区間の運賃を支払うことなく,京急に乗ったということになるのです。
僕がこの日に川崎に行かなければならなかったというのはたまたまです。ですからこのような仕方でこの特別の切符を利用するという人はおそらく少数でしょう。また,これを狙ってわざわざ物を落とすという人もいないでしょう。なのでサービスとしては成立していると思いますが,僕の場合は結果的に恐縮すべきサービスとなりました。