スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

ケンタッキーダービー&協力

2024-05-05 19:44:49 | 海外競馬
 日本時間の今朝,アメリカのチャーチルダウンズ競馬場で行われたケンタッキーダービーGⅠダート2000m。
 フォーエバーヤングは後方5・6番手,テーオーパスワードは後方3・4番手を追走。向正面で外に出たフォーエバーヤングは最終コーナーで漸進。前を射程圏に入れて直線へ。直線でもう少し外に出そうとしたところでシエラレオーネと接触。そこからシエラレオーネと競り合いながら先行策から抜け出したミスティックダンに迫っていきました。シエラレオーネが内に寄ってきたのでフォーエバーヤングも左前方に進むような形になったものの,フィニッシュでは3頭がほぼ並び,写真判定に。ハナ+ハナ差の3着でした。テーオーパスワードもフォーエバーヤングを追うように伸びたものの,こちらは優勝争いに加わるまでの伸び脚はなく,3着から6馬身半差で5着。フォーエバーヤングは直線で真直ぐに走れなかったのは,展開の上ではありましたがちょっと残念でした。テーオーパスワードは離されはしましたが,後方からのレースでもある程度の形になったのは収穫だったと思います。
 テーオーパスワードに帯同したテーオーサンドニは日本時間で4日の朝に同地で行われたアリシーバステークスGⅡダート1700mに出走。逃げて2着に粘り込みました。この馬は2勝クラスの馬ですから大健闘といえますが,かなり悪化した不良馬場で逃げるという戦法が功を奏したというところはあったと思います。

 最後に,次のこともいっておきます。
 僕はチルンハウスEhrenfried Walther von Tschirnhausが自主的に『エチカ』の草稿をステノNicola Stenoに渡してしまったということはないと想定しています。これは,ステノがホイヘンスChristiaan Huygensには自身が草稿を所持しているということだけでなく,そうしたものが存在するということさえ秘密にしたということからの類推です。しかしこれはあくまでも類推ですから,ステノの場合には事情は違っていたということを排除するものではありません。そうであったという可能性がまったくないとまではいえないでしょう。
                                        
 ステノが草稿を証拠として提出し,それに弾劾書を付したことによって,後に発行されることになったスピノザの遺稿集Opera Posthumaは,早い段階で禁書扱いされることになったのです。なぜ禁書扱いにされたのかといえば,当然ながらその内容にカトリックにとってあるいはキリスト教にとって許容し難い部分が含まれていたからです。僕は部分といいますが,その全体と考えてもらっても構いません。
 だとしたら,そうした草稿を保持していたチルンハウスも罪に問われてもおかしくはなかったといえるのではないでしょうか。ところが,チルンハウスがこのことで咎められたという話はまったく伝わっていません。これはもちろん,ステノがそれを入手した経路を秘匿しなければならない,不法なものであったから,所持していた人物がだれであるのかが明るみには出なかったからかもしれません。しかし一方で,このことに関してチルンハウスがステノに対して協力的であったからだという可能性も残るでしょう。
 チルンハウスが何らかの罪に問われていたとしたら,きっとそのことについての記録が残っている筈です。これは証拠物件であった『エチカ』の草稿が現在まで残されていることから明らかだと思います。ところがそういう記録が残っていないということは,たぶんチルンハウスが罪を咎められることがなかったからだと考えなければなりません。つまり,チルンハウスが何の罪にも問われなかったという史実は,チルンハウスはステノに協力したということの根拠にはなり得るのです。なので僕は実際にはそうであったという可能性をも排除することはしません。
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香港チャンピオンズデー&紹介状の書き手

2024-04-29 18:58:10 | 海外競馬
 香港のシャティン競馬場で開催された昨日の香港チャンピオンズデー。今年は8頭の日本馬が遠征しました。
 チェアマンズスプリントプライズGⅠ芝1200m。マッドクールは発馬が悪く,その後に外から追い上げる形。一旦は先頭に出たかにみえましたが,内の2頭に抵抗され外の3番手に。サンライズロナウドは後方2番手の内から。マッドクールは最終コーナーで手応えが悪くなり直線では後退。サンライズロナウドも伸びませんでした。サンライズロナウドが10着でマッドクールが最下位の11着。
 チャンピオンズマイルGⅠ芝1600m。エルトンバローズが7番手,オオバンブルマイが9番手,シャンパンカラーは最後尾から。エルトンバローズが直線は外へ行き,オオバンブルマイはさらに外。シャンパンカラーはあまり差を詰められませんでした。エルトンバローズは伸びたものの優勝争いには至らず8着。オオバンブルマイが10着でシャンパンカラーは最下位の11着。
 クイーンエリザベスⅡ世カップGⅠ芝2000m。ノースブリッジが逃げ,ヒシイグアスは4・5番手の内。プログノーシスは発馬で2馬身ほどの不利があり最後尾。向正面で漸進していきました。4コーナーでも逃げたノースブリッジには手応えに余裕があり,ヒシイグアスは内を回って2番手に。外からプログノーシスの追い込み。最後はプログノーシスとロマンチックウォリアーが並んで追い込み,競り負けたプログノーシスが2着。差されたノースブリッジが3着。ヒシイグアスは5着。

 実際には互いに人となりを理解していたのだとしても,ライプニッツGottfried Wilhelm LeibnizはフッデJohann Huddeと面会する際にも紹介状を必要としていて,それを持参していたかもしれません。しかし今はそのことを深く追究する必要はありません。ライプニッツはシュラーGeorg Hermann Schullerと会う際には紹介状を持参していくことが必須であったということが重要です。というのはこの紹介状はライプニッツともシュラーとも親しい人でなければ書くことができない紹介状で,それを書くことができたのはチルンハウスEhrenfried Walther von Tschirnhaus以外にはいなかったことになるからです。ということは,実際にその紹介状をチルンハウスは書いて,ライプニッツに渡したのです。そしてライプニッツはチルンハウスに書いてもらった紹介状を携えてロンドンを経由してアムステルダムAmsterdamに向かったのですから,少なくともライプニッツがパリを離れる頃は,チルンハウスはパリにいたということができるでしょう。ライプニッツがパリを発ったのは1676年10月です。どんなに早くてもその直前までチルンハウスがパリにいなければ紹介状は書けなかったでしょうし,状況から考えれば,紹介状をライプニッツに渡したチルンハウスは,パリを出発するライプニッツを見送ったとするのが自然ではないでしょうか。
                                       
 なので,1676年10月の時点でもチルンハウスはパリにいたと僕は推定します。そしてスピノザが死んだのは1677年2月なので,その期間は4ヶ月です、この4ヶ月の間も僕はチルンハウスはパリにいたと想定しているのですが,この想定には何か根拠があるわけではありません。もしかしたらチルンハウスはこの間にパリを離れ,最終的にローマに到着していた可能性は否定できません。ステノNicola Stenoがパリを訪れるという必然性はありませんから,ステノとチルンハウスはローマで知り合い,その後に何らかの手段でチルンハウスがもっていた『エチカ』の手稿をステノが入手し,内容を精査した上で弾劾書を付して異端審問所に持ち込んだのです。だからそれ以前にチルンハウスがローマに行っていたということは,史実として確定しなければならないと僕は考えます。そしてそれは,異端審問所に持ち込まれる直前だったとは思われません。
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ドンカスターマイル&認識不可能な属性

2024-04-06 19:10:36 | 海外競馬
 オーストラリアのドンカスター競馬場で行われたドンカスターマイルGⅠ芝1600m。
 オオバンブルマイは12~13番手あたりでレースを進めました。かなり横に広がる馬群のわりと内目を回りましたので,直線の入口では順位はもう少し上がっていたかもしれません。直線はスペースが狭かったこともありますが,追われてからほかの馬に対して伸び負けるという形。勝ち馬からの差はそれほどなかったものの,13着でした。
 この馬はザ・ゴールデンイーグルを勝ちましたが,それは世代限定戦で,年長の馬と走るのはこれが初めて。しかも能力の差を見せつけての優勝ではありませんでした。その点ではここは今後に向けての試金石となるレース。着順は悪かったのですが,それほど差がないところまで走れたのですからまずまずなのかもしれません。ただ今日のレースぶりだと,瞬発力にはやや欠ける面があるといえそうです。

 僕たちが認識するcognoscereことができない属性attributumについても,第二部自然学②補助定理七備考でいわれていることは,成立すると僕は考えます。
                                   
 僕がこのように考える根拠は,第二部定義七にあります。この定義Definitioは,僕が個物res singularisの複合の無限連鎖といっている事象があることを暗黙の前提としていると僕はみています。なぜ僕がそのようにみているのかということは,ここでは再考しませんので,考察した当時のものを読んで下さい。僕は当時の見解opinioを現在も維持し続けています。
 この定義は個物に一般の定義なのであって,物体corpusおよび物体の観念ideaだけに適用されるとは僕は考えません。むしろ僕たちが認識することができない属性の個物についても妥当すると考えます。第一部定理二五系の個物Res particularesは,第二部定理七でいわれている個物と異なると考える余地はありますが,Deusの属性を一定の仕方で表現するexprimere様態modiであるという点では,表現されるexprimuntur属性がどの属性であるかということを問わずに成立するといわなければなりません。それと同じことが,第二部定義七の個物にも成立しなければならないと僕は考えるのです。
 よって,僕たちにとっては認識不可能なXの属性があるとして,そのXの属性の個物にも,複合の無限連鎖が適用されるということになります。すなわちより単純な個物が協働してひとつの個物を形成し,そうした複雑な個物がさらにほかの個物と協働してより複雑な個物を形成するといった具合の連鎖が,無限に進んでいき,その先にはXの属性の間接無限様態があるということになります。もちろんここにも論理の飛躍があると僕は考えますが,延長の属性Extensionis attributumについていったときと同じ理由によって,この飛躍はここでは無視します。さらにこのことは,Xの属性を対象とした思惟の属性Cogitationis attributumにも成立するのは,このことが延長の属性に対応する思惟の属性にも成立するというのと同じ根拠によって成立することになるでしょう。なのでこの備考Scholiumでいわれているのは,明らかに延長の属性とそれを対象とした思惟の属性についてではありますが,同じことは僕たちに認識不可能な属性にも成立するでしょう。よってこの備考を根拠に,神をひとつの個体とみることができるのです。
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ドバイワールドカップデー&定義の不在

2024-03-31 19:34:17 | 海外競馬
 日本時間で昨日の深夜から今日の未明にかけてドバイのメイダン競馬場で開催されたドバイワールドカップデー。日本馬の結果だけ簡単に紹介します。
 ドバイゴールドカップGⅡ芝3200m。このレースに出走した2頭の日本馬は見せ場を作れず,アランバローズが8着でリビアングラスが11着。
 アルクオーツスプリントGⅠ芝1200m。ジャスパークローネが出走して11着。
 UAEダービーGⅡダート1900m。5番手からのレースになったフォーエバーヤングが,前から抜け出した馬を目標とするように追い上げ,楽に差し切って優勝。バロンドールは6着でジョージテソーロは10着。
                                        
 優勝したフォーエバーヤングサウジダービーからの転戦。デビューからの連勝を5に伸ばして重賞4勝目。父はリアルスティール。3代母がローミンレイチェルでその産駒にゼンノロブロイ。日本馬による海外重賞制覇はリヤドダートスプリント以来。ドバイでは昨年のドバイワールドカップ以来。UAEダービーは昨年に続く3連覇で4勝目。騎乗した坂井瑠星騎手はサウジダービー以来の海外重賞4勝目。UAEダービーは初勝利。管理している矢作芳人調教師はサウジダービー以来の海外重賞14勝目。UAEダービーは初勝利。
 ドバイゴールデンシャヒーンGⅠダート1200m。このレースは逃げたドンフランキーが2着。リメイクが4着でイグナイターが5着。ケイアイドリーは9着。
 ドバイターフGⅠ芝1800m。後方からの追い込みになったナミュールが同様に差し込んできた馬に競り負けての2着。内目を追い込んだダノンベルーガが3着。ドウデュースは5着で逃げたマテンロウスカイは15着。
 ドバイシーマクラシックGⅠ芝2410m。好位からの差しになったシャフリヤールが2着で大外を追い込んできたリバティアイランドが3着。ジャスティンパレスは4着。クリストフ・ルメール騎手がドバイターフで落馬し鎖骨を骨折したためランフランコ・デットーリ騎手に乗り替わったスターズオンアースは8着。
 ドバイワールドカップGⅠダート2000m。後方から追い込んできたウシュバテソーロが,先行策から抜け出した勝ち馬には離されたものの2着。ウィルソンテソーロが4着,ドゥラエレーデが5着でクリストフ・ルメール騎手からオイシン・マーフィー騎手に乗り替わったデルマソトガケは6着。

 どちらでも構わないので,國分がいうように,語の意味に忠実に他動的原因causa transiensといってもよいのですが,内在に対立するのは哲学的には超越で,かつ第一部定理一八が,明らかに内在的原因causa immanensに対立する原因に言及しているという事情を重視し,僕はこれからも超越的原因causa transiensという訳を用います。これは内在的原因に対立する原因であって,単にその結果effectusを外部に産出するproducere原因であるという意味しか有していないという点には注意してください。
 この定理Propositioは,内在的原因が超越的原因ではないということ,そして内在的原因が超越的原因に対立するような原因であるということは匂わせますが,内在的原因がどのような原因であるのかは説明していません。そして内在的原因がどのような原因であるのかということは,『エチカ』の全体を通しても定義されていないと國分は指摘しています。
 このことは,スピノザが内在的原因とか超越的原因というときに,その概念notioについてはヘーレボールドAdrianus Heereboordの分節に従っていたということを強く窺わせます。他人の分節に従っているのだから,そのことについては『エチカ』の中で特別の定義Definitioを付与する必要はないとスピノザは考えていたということが,内在的原因について積極的な定義が『エチカ』の中には与えられていないということの理由になっていると思われるからです。他面からいえば,スピノザは内在的原因であるのがどのような原因であるのかということについては,独自の考え方をもっていなかった,要するにそのことをそれほど重視していなかったから,自身による定義は『エチカ』の中に与えなかったということです。
 このことは,スピノザの哲学の理解に対して重大な影響を及ぼすかもしれません。分かりやすい例でいえば,『〈内在の哲学〉へ』という著書が近藤和敬にありますが,これはその題名からも分かるように,スピノザの哲学が内在の哲学であるということに注目しているわけです。神が内在的原因であって超越的原因ではないということだけが,スピノザの哲学が内在の哲学であるということを保証するわけではないとしても,内在を重視する立場からは,これは由々しきことだといえるのではないでしょうか。
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サウジカップデー&真理の規範

2024-02-25 19:13:58 | 海外競馬
 日本時間で昨日の深夜から今日の未明にかけてサウジアラビアのキングアブドゥルアジーズ競馬場で行われたサウジカップデーの諸競走
 サウジダービーGⅢダート1600m。セットアップは3頭が併走した先行集団の真中から3コーナーを回って先頭に。フォーエバーヤングは7番手の外でサトノフェニックスはその後ろから。途中から外を捲ったフォーエバーヤングが,直線もかなり外を回って,抜け出していた馬をぎりぎりで差し切って優勝。サトノフェニックスは10着でセットアップは11着。
                                        
 優勝したフォーエバーヤング全日本2歳優駿以来のレース。デビューから4連勝で重賞3勝目。父はリアルスティール。3代母がローミンレイチェルでその産駒にゼンノロブロイ。日本馬による海外重賞制覇はゴールデンイーグル以来。格付けのある海外重賞はコリアカップ以来。騎乗した坂井瑠星騎手は昨年の1351ターフスプリント以来の海外重賞3勝目。管理している矢作芳人調教師は昨年のサウジカップ以来の海外重賞13勝目。
 リヤドダートスプリントGⅢダート1200m。ジャスパークローネが2番手,リメイクが7~8番手の内。発馬で立ち上がったケイアイドリーは最後尾を追走。直線に入ってから外に出されたリメイクが,前をいく各馬を差し切って優勝。ジャスパークローネが4着でケイアイドリーは6着。
                                        
 優勝したリメイクはコリアスプリント以来の勝利で重賞4勝目。父は2016年のUAEダービーを勝ったラニでその母がヘヴンリーロマンス。母の父はキングカメハメハ。騎乗した川田将雅騎手はコリアカップ以来の海外重賞6勝目。管理している新谷功一調教師はコリアカップ以来の海外重賞4勝目。
 1351ターフスプリントGⅡ芝1351m。ウイングレイテストが4番手,アグリが6番手,ララクリスティーヌがその後ろで発走後に挟まれてしまったバスラットレオンは最後尾。直線で外から追い込んだララクリスティーヌが2着,一端は先頭に立ったウイングレイテストが4着,アグリが6着でバスラットレオンは10着。
 ネオムターフカップGⅡ芝2100m。キラーアビリティは5番手の内,スタッドリーが後方2番手でハーツコンチェルトが最後尾。内の苦しい位置にいたキラーアビリティが直線で少し外に出されて2着。スタッドリーは9着でハーツコンチェルトは11着。
 レッドシーターフハンデキャップGⅢ芝3000m。発馬後に押していったリビアングラスの逃げ。エヒトは2番手の内でしたが,4番手のアイアンバローズが道中で動いて単独の2番手に。ブレークアップは7番手の外。直線でアイアンバローズの外に出てきたエヒトが5着。ブレークアップは9着。直線入口では先頭を守っていたリビアングラスは10着でアイアンバローズは12着。
 サウジカップGⅠダート1800m。このレースは先行各馬が横にずらりと広がってレースは繰り広げられました。日本馬の中ではレモンポップが最も前にいてクラウンプライド,デルマソトガケの順。馬群から大きく離れた2頭のうちの1頭がウシュバテソーロ。徐々に前との差を詰めていったウシュバテソーロは直線では外目から前にいたすべての馬を差し切ったのですが,並んで最後尾にいて後から動いた馬にはぎりぎりで差し切られて2着。デルマソトガケが5着。クラウンプライドが9着でレモンポップは12着。

 もしXの十全な観念idea adaequataがAの精神mensのうちにない場合には,AはXについて確実ではありません。しかしこのことだけでは,Aは自身がXについて確実ではないということを知ることができません。スピノザの哲学では真理veritasと虚偽falsitasの相違を知性intellectusに教えるのが十全な観念で,混乱した観念idea inadaequataはその役には立たないことになっているからです。ではAがXについて確実ではないということを知るためには,Xの十全な観念を有する必要があるというのかといえば,必ずしもそうではないのです。というか,もしもこの条件の下でしか,AがXについて確実でないということを知ることができないとすれば,十全な観念を有する限りでは確実なのですから,AはXについて確実である場合しか確実でないということになり,これは不条理であるとしかいえません。
 十全な観念が真理と虚偽を分かつ指標となるということは,スピノザの哲学では一般的にいえることです。したがって,仮にAの知性のうちにXの十全な観念がないとしても,別の十全な観念,たとえばYの十全な観念があるのであれば,AはXについて確実ではないということを知ることができるのです。それは,この場合でいえば,AはYについての確実性certitudoを有するようにはXについて確実性を有していないということを知ることができるからです。いい換えれば,AはYについて疑い得ないようにXについて疑い得ないわけではないということを知ることができるからです。したがって,もしも現実的に存在する人間の精神mens humanaのうちに,何らかの十全な観念があるのであるとすれば,その人間は,混乱した観念についてはそれが確実性を有していないということを知ることができるのです。つまりもっと一般的にいえば,現実的に存在する人間の精神のうちに何らかの真理があるのなら,その人間は一般的にすべての真理と虚偽を分かつことができます。スピノザの哲学では真理の規範は真理それ自身であるといわれていますが,これはこのような意味での一般性をもっていると解さなければならないと僕は考えています。
 実はこの条件というのは,スピノザの哲学では,現実的に存在するすべての人間に充足されています。
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アミールトロフィー&十全な観念と混乱した観念

2024-02-18 19:05:05 | 海外競馬
 日本時間で昨日の深夜にカタールのアルライヤン競馬場で行われた2024アミールトロフィーGⅢ芝2400m。
 ノースブリッジがレースの序盤は逃げてサトノグランツが2番手。ゼッフィーロは最後尾に控えました。1周目の正面に入って外から勝つことになるUAEのレベルスロマンスがノースブリッジの前に出て,ここからはレベルスロマンスの逃げに。ノースブリッジが内の2番手になりましたが,行きたがるのをかなり宥めるような形。サトノグランツはその外へ。ゼッフィーロは内を回って最後尾を併走するような隊列になりました。直線を迎える前に外に出されて漸進していたゼッフィーロは直線は大外から追われましたが,すぐに左によれてしまいました。立て直されると再びぐんぐんと追い込んできたのですが,その時点では途中からの逃げになったレベルスロマンスがセーフティリードを築いていて,2着まで。ノースブリッジとサトノグランツで3着争いとなり,外のサトノグランツが3着。ノースブリッジが4着。
 このレースは勝ったレベルスロマンスが一昨年のブリーダーズカップターフなどGⅠで3勝をあげていて実績最上位。大レースを勝っていない日本馬がその後ろを占めたのですから,概ね能力通りの結果で,3頭とも健闘したといっていいのではないかと思います。ただゼッフィーロが最初からまっすぐに伸びていれば,最後の脚からしてもっと詰め寄ることができていた筈で,その点は残念ではありました。

 現実的に存在するある人間の精神mens humanaのうちにXの十全な観念idea adaequataがあるのであれば,その人間の精神のうちにはXの十全な観念の観念idea ideaeがあり,その観念はXの十全な観念が神Deusに帰せられるのと同じように神に帰せられます。よってこの人間は自身がXの十全な観念を有しているということを知り得るので,そのことを疑うことはできません。一方,Xの混乱した観念idea inadaequataがある場合も,Xの混乱した観念の観念がXの混乱した観念が神に帰せられるのと同じように神に帰せられるので,その人間の精神のうちにXの混乱した観念の観念があることになり,その人間は自身がXの観念を有しているということを知ることはできるのですが,この場合はXの混乱した観念の観念自体が混乱した観念であることになるので,その人間はXの混乱した観念が,十全な観念であるか混乱した観念であるのかは分からないという意味で,それを疑うことができるというのがスピノザの主張です。
                                   
 この主張からいくつかのことが分かります。
 まず,十全な観念は,それ自体が十全な観念であるということを知性intellectusに教えることができるのに対し,混乱した観念は,それが十全な観念であるということを知性に教えることができないのはもちろんのこと,それが混乱した観念であるということも知性に教えることはできないということです。というのは,もしも混乱した観念が,それが混乱した観念であるということを知性に教えることができるのであれば,知性は自身がXの混乱した観念を有しているということを知ることができるでしょう。したがって自身がXの混乱した観念を有しているということ,他面からいえばその観念はXについて確実ではないということについては知ることができる,つまり疑い得ないといわなければなりませんが,スピノザの主張ではそうなっていません。むしろXについて確実であるかどうかを知ることができないとなっています。確実であるかどうかを知ることができないので,そのことについて疑い得るということができるからです。
 ここから分かるように,十全な観念と混乱した観念の相違を知性に教えるのは十全な観念であり,十全な観念だけであることになります。
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香港国際競走&宗教的見解との両立

2023-12-11 19:24:59 | 海外競馬
 香港のシャティン競馬場で行われた昨日の香港国際競走。今年は13頭の日本馬が出走しました。
 香港ヴァーズGⅠ芝2400m。ジェラルディーナが3番手から4番手,レーベンスティールが4番手から5番手,ゼッフィーロが5番手から6番手と,出走した日本の3頭は同じような位置からのレース、最も伸びてきたのがゼッフィーロで,1馬身差の2着。ジェラルディーナは直線で一旦は離されたもののまた差を詰めてきて勝ち馬から3馬身4分の3差で4着。レーベンスティールは目立った脚がなく,勝ち馬から12馬身4分の3差で最下位。
 香港スプリントGⅠ芝1200m。ジャスパークローネが逃げ,マッドクールは4番手から5番手の外。ジャスパークローネは直線で一杯となり勝ち馬から4馬身4分の1差の7着。直線で外に出したマッドクールは伸びがなく,ジャスパークローネから4分の1馬身差で8着。
 香港マイルGⅠ芝1600m。ダノンザキッドは3番手。ディヴィーナは10番手,セリフォスとソウルラッシュが並んで11番手,ナミュールが13番手からのレース。ソウルラッシュとナミュールは並んで伸びてきて,ナミュールが勝ち馬から2馬身4分の3馬身差で3着。ソウルラッシュがナミュールから4分の1馬身差の4着。セリフォスは勝ち馬から4馬身半差で7着。ディヴィーナが勝ち馬から7馬身差の11着でダノンザキッドはディヴィーナから1馬身半差で12着。
 香港カップGⅠ芝2000m。ヒシイグアスが7番手,プログノーシスが後方2番手でローシャムパークが最後尾と,日本の3頭は後方寄りのレース。直線の入口あたりで出走したすべての馬が一団となり,各馬の進路選択が難しくなりました。内の方を割るように伸びてきたヒシイグアスが勝ち馬からクビ差で3着。プログノーシスは勝ち馬から1馬身差の5着。ローシャムパークは勝ち馬から4馬身4分の3馬身差で8着。

 スピノザの哲学とカトリックの教義が両立するという工藤の見解opinioが,正しいか否かということは,一概に結論付けられるものではありません。というのは,スピノザの哲学はスピノザの哲学で幅の広いものですし,僕はそれに詳しいわけではありませんが,カトリックの教義というのもおそらくは幅の広いものであるだろうからです。よってそれらの何に注目することによって,両立するという結論も出くれば両立しないという結論も出てくるでしょう。したがってこのことは,とくにスピノザの哲学とカトリックというキリスト教の特定の宗派との間でのみいえることではなく,一般にスピノザの哲学と何らかの宗教上の見解とを比較するときには,同様に妥当することになるでしょう。
                                        
 たとえばイスラムでは神Deusの代名詞は無限infinitumです。これは明らかに第一部定義六と一致しているのであり,もしもイスラムのこの部分にだけ着目するなら,スピノザの哲学とイスラムは一致する,あるいは同じことを主張しているということができるでしょう。
 同様に,僕は信心があるわけではありませんが,生活上の必要から本門仏立宗の信徒になっています。この経典の中には「仏既に過去にも滅せず,未来にも生ぜず」という文言があります。これなどはスピノザが第一部定義八説明でいっている永遠aeternumと一致しているといえるのであって,だからもしもこの部分に注目するなら,仏教は,あるいはこれは仏教の宗派としての日蓮の教義にというべきかもしれませんが.スピノザに一致しているということができるでしょう。
 スピノザはイスラムや仏教については,自身が深く知っていたわけではないので,何かを明言しているわけではありません。しかしカトリック,というかキリスト教については別です。たとえば『神学・政治論Tractatus Theologico-Politicus』では,新約聖書は神を愛することと隣人を愛することが教えられていて,このように人びとを服従させることはよいことだといわれています。なのでこの点ではスピノザとキリスト教は両立するといえます。一方でオルデンブルクHeinrich Ordenburgに宛てた書簡七十八では,いわゆるイエスの復活を寓意的に解するといっていて,こちらに着目すれば,両立し得ないでしょう。
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メルボルンカップ&拡充と侵害

2023-11-10 19:26:22 | 海外競馬
 7日にオーストラリアのフレミントン競馬場で行われたメルボルンカップGⅠ芝3200m。
 ブレークアップは16番手の外を追走。先頭からは15馬身ほどの差がありました。道中はほとんど動かずコーナーに入ってから差を詰めていきました。枠順の関係からずっと外を回っていたこともあり,直線の入口ではずらりと並んだ外から2頭目に。ここからは徐々に内に切れ込んでいくような形で伸びを欠き勝ち馬から14馬身4分の1ほどの差で16着でした。
 距離が延びることはプラスに作用しそうなので楽しみにしていたのですが,結果からみると力が足りなかったようです。枠順もコース取りも不利なものではありましたが,何より位置取りが後ろになってしまったことが大きく響いてしまったように思います。

 健常者が有している自然権jus naturaeを,障害者が新たに獲得するという場合は,それを権利の侵害であると表象するimaginari健常者が多くなることになります。これは第三部定理三六に合致するからです。あるいは健常者をひとりの人間,障害者をひとりの人間というように考えれば,第三部定理三二を援用することもできるでしょう。実際は健常者が有している権利であるとしても,障害者がその権利を新たに獲得するときに,それが障害者であるがゆえに享受することができるような権利であるとすれば,それはこの定理Propositioにおけるただひとりしか所有し得ない権利というのを,障害者だけが所有することができる権利と読み替えることで,この定理がそのまま成立することになるからです。たとえば,原子力発電所の事故で直接的な被害を受けた人が,被害を受けたということを理由として何らかの補償を受けるとき,そうした被害を受けていないがゆえにそうした補償を受けることができないために補償を受ける人を妬むということはあり得る,というか現にあるというべきですが,そうしたこともこの定理の帰結のひとつと考えることができます。この定理の直後の備考Scholiumでスピノザがいっているように,人間の現実的本性actualis essentiaというのは,不幸な人についてはそれを憐れむように,幸福である人に対してはそれを妬むようにできているのです。他面からいえば,僕たちは不幸であると表象している人はそのまま不幸であり続けることを望み,幸福であると表象している人に対してはその幸福が終わることを望むようになっているのです。
                                   
 実際には群衆multitudoの成員のだれかの自然権が拡充されることは,群衆の成員全体の自然権が拡充されるということであり,よってそれは群衆を構成する諸個人の自然権が拡充されるということなのです。ですからたとえば同性愛者の自然権が拡充されるのなら,それはその同性愛者が属する群衆の中の異性愛者の自然権も拡充されるということです。しかし実際には異性愛者は同性愛者の自然権の拡充を異性愛者の自然権の侵害であると表象するものなのであって,こうした事態は避けようがないといわなければなりません。こうしたことがすべての場合に妥当するのです。
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ブリーダーズカップ・ワールドチャンピオンシップス&権利の平等

2023-11-08 19:08:35 | 海外競馬
 3日と4日にアメリカのサンタアニタパーク競馬場で開催されたブリーダーズカップ。ジュベナイルGⅠダート8,5ハロンに出走予定だったエコロネオが取消となったため,日本馬の出走は4日のレースに集中しました。
 ブリーダーズカップフィリー&メアターフGⅠ芝10ハロン。ウインマリリンは後方3番手から。内を回って先頭との差は10馬身くらい。直線は馬群の中に突っ込んでいき,3着馬にハナ差まで迫っての4着。勝ち馬との差は1馬身4分の1ほど。
 ブリーダーズカップフィリー&メアスプリントGⅠダート7ハロン。メイケイエールは発馬後に隣の馬との接触があって後方2番手。外に出して5番手の外まで上昇。しかしコーナーで早々に一杯となって9着。勝ち馬との差は13馬身4分の3ほど。
 ブリーダーズカップマイルGⅠ芝8ハロン。ウインカーネリアンが逃げてソングラインはウインカーネリアンから8馬身くらいの差で6番手の外を追走。ソングラインはコーナーで外を回されることになりほかの馬たちとは相対的に伸び脚を欠いて5着。勝ち馬との差は1馬身4分の1ほど。ウインカーネリアンは直線に入ってすぐに一杯になって11着。勝ち馬との差は4馬身4分の1ほど。
 ブリーダーズカップターフGⅠ芝12ハロン。シャフリヤールは発馬後は3番手の内。徐々に下がって先頭から8馬身くらいの6番手の内に。コーナーで漸進していき直線は前をいく3頭の外へ。そこから伸びはしたものの勝ち馬から1馬身4分の1差の3着。このレースはシャフリヤールが外へ行ったので開いた内を突いた馬が勝っていて,各馬の進路選択が勝敗を分けた感があります。
 ブリーダーズカップクラシックGⅠダート10ハロン。デルマソトガケが3番手,発馬で1馬身ほどの不利があったウシュバテソーロは最後尾を追走。デルマソトガケは先頭から4馬身差の4番手に下がりましたが直線は外目に。そこからじりじりと伸びて1馬身差の2着。ウシュバテソーロは最初のコーナーワークで8番手まで上昇。さらに向正面でもインから上昇すると直線の入口ではデルマソトガケの外へ。こちらは直線は一杯になって勝ち馬からおよそ3馬身4分の1差の5着。
 ブリーダーズカップターフスプリントGⅠ芝5ハロン。ジャスパークローネは押していきましたが2番手。コーナーで口向きの悪さをみせるとそこからは後退。勝ち馬からおよそ5馬身半差で12着。

 各人の自然権jus naturaeがほぼ同等であるというのは,政治論でいえば,各人の権利が平等であるということです。よって,僕がいっている群衆multitudoの理論を政治論に適用する際には,各人の権利が平等になるような政治は何より必須であるということになります。これは,単に権利においての平等が確保されていなければならないということと同時に,群衆の各成員が,各人の権利が平等であることを前提に振る舞うことができるようにするということを含んでいます。政治がその方向から逸れた場合には,この群衆がひとつの群衆という集団を形成していくことが困難な状態になってしまうことさえあり得るといわなければなりません。
 さらにもうひとつ注意しておかなければならないことがあります。
 個人が群衆の成員となることによって自然権が拡充されます。ですから群衆の成員の自然権が拡充されるのであれば,それは全体の利益です。つまり,群衆を構成するだれかをひとりだけ抽出して,その人の自然権が拡充されるということがあれば,それは群衆全体の自然権が拡充されるということなのですから,群衆を構成している諸個人の自然権が拡充されるということを意味します。つまり群衆という集団の中では,自然権が拡充されるという他者の利益が,自身の利益となるように論理上はなっています。論理上そのようになっているというのは現にそのようになっているということです。群衆が全体でなし得ることが拡充されるならば,それは群衆を構成するひとりの人間のなし得ることが拡充されるということを意味するのですから,これは当然といえるでしょう。
                                   
 ところが,人間の現実的本性actualis essentiaというのはこれと反するようにできている側面があります。簡単にいうと,この場合は他者の権利が拡充されるということが自身の権利が拡充されるということと同じ意味をもっていて.この他者と自身が同じ群衆の成員である限り,これは実際にそうであるとしかいいようがないのですが,それでも人間は,他者の権利が拡充されるということを,自身の権利が侵害されることであるというように認識するcognoscereようになっています。あるいはそのように認識しやすくなっているのです。
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ゴールデンイーグル&政治論への適用

2023-11-07 18:56:07 | 海外競馬
 4日にオーストラリアのローズヒルガーデンズ競馬場で行われたゴールデンイーグル芝1500m。
 オオバンブルマイは概ね6番手の内でレースを進めました。直線になって馬群が凝縮し,進路の確保に不安が生じたのですが,すぐ前を走っていた馬が少し外に膨れたところでその内を突いて3番手に。逃げた馬と外から追ってきた馬の間にその後の進路を取ると,残り50mを過ぎてから3頭の真ん中から前に出て優勝しました。
 優勝したオオバンブルマイはアーリントンカップ以来の勝利で重賞3勝目。NHKマイルカップで3着に入っていましたので,今年の3歳馬の中ではこの路線の上位クラス。オーストラリアでどの程度まで通用するかは不明でしたが,勝ち負けできる能力があったということでしょう。ずっと内を回って進路が開いたというのは幸運だった面もありますから,能力がはっきりと上だったという見方はできないかと思います。母の父がディープインパクトで祖母の父がサクラバクシンオー。母のひとつ上の全姉が2015年の函館2歳ステークスと2016年のキーンランドカップを勝ったブランボヌールで,3つ下の半妹が2019年の函館2歳ステークスと2020年の葵ステークスと2021年の函館スプリントステークスを勝ったビアンフェ
 騎乗したオーストラリアのジョシュア・パー騎手は日本馬に騎乗しての重賞初制覇。管理している吉村圭司調教師は海外重賞初勝利。日本馬による海外重賞制覇はコリアカップ以来。オーストラリアでは2019年のコックスプレート以来。
 ゴールデンイーグルは創設後間もないため,日本馬の出走自体がこれが初めて。未格付けになっているのも創設から間がないためで,将来的には格付けされるとの前提の下に,ここではビアンフェが勝った葵ステークスと同様に,未格付けの重賞として扱いました。ただ格付けされないケースもあり得ますので,その場合は重賞として扱わなくなることもあるとご理解ください。

 実情は群衆multitudoを構成する成員のそれぞれが有している自然権jus naturaeはほぼ同等となっています。ところが,群衆の中のある成員は,ほかの成員より強力な自然権を有しているというように僕たちは表象するimaginariことがあります。たとえば大統領が有している自然権は一市民が有する自然権よりも強大であるという表象imaginatioを,その大統領によって統治される群衆の成員が有するということがあり得るということは,とくに説明するまでもなく明らかなのではないでしょうか。すると,当然ながらそのような強力な自然権を有していると表象している人物に対して阿るということが容易に生じることになります。公務員が首相や大臣に忖度を行うというようなことも,こうした現象のひとつであるといえます。そしてこのようなことが実際に生じてしまうと,高慢な人間と阿諛の徒adulatorが生じるということになります。第四部定理五六系により,こうした人びとは諸々の受動感情に隷属することになるので,これは群衆の道徳心や平和paxにとっては悪影響を及ぼすとしかいえません。つまり群衆が,実際には成員の個々が有している自然権はほぼ同等であるということを見誤ると,むしろ群衆の道徳心や平和が損なわれる結果effectusを齎すことになるのです。
                                   
 現実的な世界はこのような一面を有しているのであって,なぜそのような一面を有してしまうのかということも,上述したようにスピノザの哲学によって説明することができます。ですから,僕が解しているような群衆の理論をそのまま政治論に適用する際には,このような一面があるということを見失ってはいけません。個人は群衆の成員となることによってその自然権を拡充することに成功することになり,そのこと自体は群衆のあるいは諸個人の道徳心にとっても平和にとってもきわめて有益なことです。しかし一方で人間は表象から逃れることができないのであって,その表象像imagoによって容易に引きずられてしまうということ,とくに第四部定理一により,真理veritasが何であるかを知っていたとしても引きずられてしまう場合があり得るという点を無視してはいけません。このことを無視すれば,この政治論は政治論として成立することはないと僕は考えます。
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コーフィールドカップ&一致点

2023-10-21 19:06:55 | 海外競馬
 オーストラリアのコーフィールド競馬場で行われたコーフィールドカップGⅠ芝2400m。
 このレースは前にいこうとした馬が多く,普通の発馬となったブレークアップは自然と8番手という位置取りになって発走後の正面を通過。向正面に入ったあたりで先頭からの差は7馬身くらい。出走馬が縦2列に並ぶような隊列でした。3コーナーを回ってから漸進していき前から4馬身差くらいに。この時点で前にいたのは4頭で,その4頭の外に出して直線へ。内に1頭入られましたが,残り300mあたりでは前にいた馬たちと雁行状態に。しかしそこからの伸びを欠いて,最終的には勝ち馬から5馬身4分の3差ほどの8着でした。
 この馬は昨年のアルゼンチン共和国杯を勝っているのですが,大レースでは通用していませんでした。それでも長距離戦のレベルはオセアニアより日本の方がはっきりと高いですから,通用するかもしれないとは思っていました。直線でタイトなレースになってしまった面はありますが,瞬発力を欠いたというような内容だったと思います。大レースで最も善戦したのは天皇賞(春)ですから,もっと距離が延びた方が通用する可能性は高くなりそうです。

 スピノザは第三部定理五七備考では,非理性的動物の感情affectusについて言及しています。ですからスピノザが厳密に感情が人間に特有のものであると考えているわけではありません。ただ,『エチカ』の対象は人間であるがゆえに,第三部諸感情の定義一では,欲望が人間の本性natura humanaに限定されているのです。備考Scholiumでは馬は馬らしい情欲libidoに駆られるとスピノザはいっていますが,情欲というのは欲望の一種であるとしか考えられません。ですから少なくとも馬が欲望を有することをスピノザは認めていると僕は考えます。なのでこの点に関してはとくに問題視することはないでしょう。
                                   
 第三部定理七の,自己の有に固執するin suo esse perseverareということは,ホッブズThomas Hobbesがいうところの,自分自身の生命を維持するということと関連付けて解釈することは可能でしょう。人間が自分自身の生命を維持するということと,人間が自己の有に固執するということは,いい方が異なっているだけで同じことをいっていると考えることはできるからです。ホッブズにとってはこれは自然権jus naturaeの目的finisのようなものであって,自然権というのはそのために自分の意志する通りに自分の力potentiaを用いる権利のことを意味するのでした。ですから,その部分をスピノザがいう自然権に適用することはできないとしても,たとえば,人間が自己の有に固執するためにその人間が力を行使する権利を自然権という,というよういえば,ホッブズがそのことに大きく反対するように思えません。なのでこの点は,ホッブズとスピノザとの間で一致させることが可能であると僕は考えます。
 ただし,スピノザがいうコナトゥスconatusというのは,それ自体が力という側面を有しているので,このような仕方でホッブズとスピノザとの間に折り合いをつけようとする場合には,注意しておかなければならないことがあります。存在するということは力であり,存在し得ないということは力と反対の意味で無力impotentiaを意味します。これはスピノザが第一部定理一一を証明するときに用いていることなので,スピノザは否定しませんし,ホッブズが否定するnegare必要は何もありません。だから,自己の有に固執するとは,自己の力に固執するということを同時に意味します。
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凱旋門賞&平行論と同一説

2023-10-02 18:49:53 | 海外競馬
 日本時間で昨日の深夜にフランスのパリロンシャン競馬場で行われた凱旋門賞GⅠ芝2400m。
                                        
 スルーセブンシーズは両隣の馬たちと比べると半馬身ほど遅れました。そのまま無理せずに控えて道中は13番手の内という位置。少しばかり行きたがっているようにも見えましたが,折り合いを欠くというほどではありませんでした。馬群が密集してのレースでしたので,先頭からは8馬身くらい。直線は外には出さず,前の馬群の隙間に突っ込んでいってそれを捌きながら伸びる形。フィニッシュまで止まることなく伸びて勝ち馬から約3馬身差の4着でした。
 この馬は前走の宝塚記念でイクイノックスと差がない2着だったとはいえ,重賞は中山牝馬ステークスを勝っているだけ。その実績と,5歳の牝馬が宝塚記念レース以来の久々で初めてフランスで走ったということまで合わせて考えれば,上々の結果であると思います。真直ぐに伸びることができればもっと差を詰めることができたかもしれませんが,そのためには道中の位置取りが実際のレースとは異なっていなければならなかったでしょうから,同じような結果を得られたとも限らないのではないでしょうか。凱旋門賞としてはかなり早いタイムでの決着になりましたが,その点はプラスに作用していたのだろうと思います。

 『スピノザーナ11号』の巻頭言に関する考察はこれで終了とします。
 巻頭言の直後に工藤喜作の訃報があり,その後に工藤へのインタビューがあります。インタビュアーは桜井直文と高木久夫です。このインタビューは2010年1月10日に,横須賀市内にある,そのときの工藤が入院していた病院の食堂で行われました。工藤は前立腺癌で入院していたのですが,1月22日に死んでいますから,本当に死の直前のインタビューであったことになります。工藤本人についていっておきたいことが僕にはひとつありますが,そのことは後にして,ここではこのインタビューの中の工藤の発言について,補足のような形で説明します。
 工藤は,スピノザの哲学は心身の平行論であるといわれるけれど,実際は心身の同一説であるという主旨のことをいっています。これは以前に僕も考察したことがあるのですが,ここで改めて僕の解釈と,工藤のような解釈の利点について述べておきます。
 まず,心身平行論と心身同一説のどちらをスピノザの哲学が採用しているかと問われれば,僕は心身平行論を採用していると考えます。このインタビューの中でもいわれているように,一般的に平行論は第二部定理七によって説明されます。観念ideaと観念対象ideatumの間には一切の因果関係はないのだけれど,観念の原因causaと結果effectusの連結connexioと秩序ordoは,観念対象の原因と結果の連結と秩序に一致するというのがその根拠になります。ただしこのことは,だから観念と観念対象というのは同一事物のふたつの側面であるということもできるのであって,つまりこの定理Propositioは心身同一説の根拠にもなり得ると僕は考えます。そしてこの定理に依拠する限り,観念と観念対象を別の事物と考えてもよいし,同一事物の別の側面と考えてもよいと僕には思えます。これらのどちらの説を採用したとしても,スピノザの哲学の解釈は成立する,他面からいえば,それで解釈上の大きな誤りerrorが生じることはないからです。ですから,実のところ平行論と同一説は,少なくともこの定理でいわれていることから解釈する限り,必ずしも対立するというわけではなくて,両立させることさえ可能であると僕は考えています。
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韓国国際競走&不適切になる理由

2023-09-11 19:04:48 | 海外競馬
 昨日の午後に韓国のソウル競馬場で行われた国際競走に日本馬が遠征しました。
 コリアスプリントGⅢダート1200m。バスラットレオンが2番手,リメイクが8番手からのレース。各馬が内目を開ける中でリメイクは内から進出し,直線入口では6番手付近。直線も逃げた馬が内を開けて走ったので,リメイクはそのまま内から伸び,残り150m付近でその逃げ馬を差して抜け出し優勝。バスラットレオンは逃げた馬にはむしろ差を広げられる形になって3着。
 優勝したリメイククラスターカップからの連勝で重賞3勝目。父は2016年にUAEダービーを勝ったラニでその母がヘヴンリーロマンス。母の父はキングカメハメハ。日本馬による海外重賞制覇はドバイワールドカップ以来。韓国がパートⅡになってからの重賞を日本馬が制覇したのは初めて。
                                        
 騎乗した川田将雅騎手はドバイワールドカップ以来の海外重賞4勝目。管理している新谷功一調教師は昨年のUAEダービー以来の海外重賞2勝目。
 コリアカップGⅢダート1800m。クラウンプライドは2番手追走から向正面で単独の先頭になり,そこからは逃げる競馬。グロリアムンディは7番手の外から漸進していき,3コーナーでは2番手。直線の入口ではこの2頭が雁行になりました。しかし叩き合いにはならず,途中から逃げたクラウンプライドの方が一方的に突き放していって快勝。グロリアムンディはクラウンプライドには離されたものの2着は確保。
 優勝したクラウンプライドは昨年のUAEダービー以来の優勝で重賞2勝目。父は2009年にきさらぎ賞,2010年にマイラーズカップを勝ったリーチザクラウンでその父がスペシャルウィーク。母の父がキングカメハメハで祖母の父がアグネスタキオン。母の3つ上の半姉に2012年にロジータ記念を勝ったエミーズパラダイス
 騎乗した川田将雅騎手は直前のコリアスプリントに続く海外重賞5勝目。管理している新谷功一調教師もコリアスプリントに続いて海外重賞3勝目。

 前もっていっておいたように,河井が示している事例に従えば,コンパスを用いて正確な円を描くことは,円の真の観念idea veraを有することに模されなければなりません。しかし実際に僕たちがコンパスを用いて円を描く行為は,円の表象像imagoを僕たちが有することには資するといえますが,円の真の観念を有することにはそれと同じ意味で資するということはできません。よってこの観点からも,河井が示している事例というのは不適切であるように僕には思えるのです。
 このことが不適切となってしまうのは,以下の理由によります。
 もし現実的に円が存在するのであれば,この円の観念は,第二部定理八系でいわれているように,持続するdurareといわれる存在existentiaを含むことになります。よってこの円,これは現実的に存在するあるひとつの円を前提としますが,この円の本性essentiaというのはこの円に固有の現実的本性actualis essentiaです。これに対して,一端が固定されもう一端が運動する直線によって形成される図形というのを円の形相的本性essentia formalisとしてみた場合は,この円の観念というのは,同じ系Corollariumでいわれているところの,神Deusの無限な観念が存在する限りにおいて存在するといわれる観念です。このことは,こうした観念が僕たちによって認識されるとするならば,僕たちの理性ratioによって認識されるのであって,第二部定理四四系二によって,それは永遠の相aeternitatis specieの下に認識される円の形相的本性であるということからも説明することができますし,一般に事物の本性というのは永遠のaeternus真理veritasであって,持続するものではないということ,つまり昨日も真理で今日も真理で明日も真理であるというように継続していくものではないということからも説明することができるでしょう。そして円の形相的本性がそうしたものであり,そうしたものとして僕たちに認識されるから,この形相的本性は存在するすべての円に妥当するということになるのです。
 このことから容易に理解することができるように,僕たちがある事物の形相的本性を認識するcognoscereということを,そもそもある事物の現実的本性に対して適用するということ自体に無理があるのです。そしてその無理が,河井が示している事例の中では犯されているのです。
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ケンタッキーダービー&投票行動

2023-05-07 18:56:02 | 海外競馬
 日本時間の今朝,アメリカのチャーチルダウンズ競馬場で行われたケンタッキーダービーGⅠダート2000m。
 デルマソトガケは発馬で左によれてしまいました。マンダリンヒーローは10番手前後の集団。発馬の影響で序盤は後方になってしまったデルマソトガケは漸進して向正面ではマンダリンヒーローに近い位置まで上昇。3コーナーにかけてデルマソトガケはさらに前の集団との差を詰めていきました。マンダリンヒーローはここで動くことができず,前の集団との差が開きました。直線はかなりごちゃごちゃしました。デルマソトガケは進路に関してとくに不利があったようには見えませんでしたし,一杯になってしまったわけでもなかったのですが,前に位置していた馬たちでの優勝争いに加わることはできず,勝ち馬からおよそ8馬身差で6着。マンダリンヒーローは3コーナー手前で開いた前との差を詰めることができず,勝ち馬からおよそ20馬身4分の1差で12着でした。
 マンダリンヒーローはともかくデルマソトガケはどちらかといえば前よりの位置でレースを進める馬なので,発馬の不利は大きいものでした。とくにこのレースは前に位置していた馬が1着と2着を占めましたので,展開面からもなおさらであったように思います。これだけ差がありますので勝ち負けまでは厳しかったかもしれませんが,発馬で不利がなければ,勝ち馬との差はもう少し縮まったものと思います。マンダリンヒーローはペースアップしたところで対応できませんでしたので,その点は今後の課題となるでしょう。距離にもやや不安があるのかなという印象も受けました。

 民主主義国家における選挙の投票行動は,無条件に能動であると思われるかもしれません。いい換えれば,法的に保障されている自由libertasの権利juraの行使であると思われるかもしれません。しかし,力potentiaの対比という観点を採用する限り,必ずしもそうであると断定できるわけではないのです。たとえばAが,その時代の雰囲気に流されてだれかに投票するということがあるとすれば,このAの投票行動に対する力は,A自身の本性essentiaによって説明される力より,時代の雰囲気とか空気といったものによって説明される力の方が大きいことになります。したがってAの投票行動は,この場合にはAの能動ではなく受動passioであるということになります。したがってAは与えられている投票の自由という権利を行使しているのではないといわなければなりません。なぜなら,人間にとっての自由とは,その人間にとっての能動についていわれるというのが原則であるからです。
                                   
 もちろんだからといって,この投票する自由を剥奪してよいというわけではありません。人間には受動的自由というものもあるのであって,受動的自由としての投票行動を規制するのは,現実的に存在する人間に対して必然的にnecessario与えられている条件や制約の下での行動を規制するのと同じことだからです。いい換えれば,この種の法的に保障されている自由,投票の自由に限らずすべての法的な自由は,現実的に存在する人間の能動的自由だけを保障しているわけではなく,受動的自由も擁護していると解するべきだからです。他面からいえば,受動的自由に従って行動する人間が現にいるということを前提として,自由は法的に保障されていると考えなければなりません。
 このことから僕たちはふたつのことを知ることができます。ひとつは僕たちが自身の能動であると信じて疑わないことの中にも,受動が含まれている可能性があるということです。もうひとつは,法的に自由が保障されているからといって,その法の下で現実的に存在する人間がその自由を能動的に行使するとは限らないということです。他面からいえば,法的に保障されているから法の下に暮らす人びとが自由であることが保障されるわけではないということです。
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香港チャンピオンズデー&行動による判断

2023-05-01 19:00:59 | 海外競馬
 昨日の香港のシャティン競馬場での香港チャンピオンズデーの開催には,2レースに4頭の日本馬が出走しました。
 チェアマンズスプリントプライズGⅠ芝1200m。
 アグリは5番手の外を追走。位置取りはほとんど変わらないまま直線へ。このレースは2番手を追走していたラッキースワイネスが快勝し,2着争いが接戦という結果になりましたが,その2着争いに加わるところまでいくことができず,勝ち馬から6馬身4分の3差で5着でした。
 クイーンエリザベスⅡ世カップGⅠ芝2000m。
 ダノンザキッドが4番手,ジェラルディーナが5番手の外,発馬後の加速が鈍く1馬身ほどの不利があったプログノーシスは最後尾を追走。直線に入るところではジェラルディーナが6番手に。このレースはマネーキャッチャーが3馬身ほど後ろを離して逃げたのですがペースはスロー。3番手を追走し,3コーナーからその差を詰めていったロマンチックウォリアーが直線で抜け出し快勝。直線で逃げたマネーキャッチャーと,ロマンチックウォリアーを追っていたドバイオナーの間を突いたプログノーシスが2馬身差で2着。ダノンザキッドはそこから3馬身差の5着。大外を回ったジェラルディーナはダノンザキッドと僅差の6着。

 もしも人間の身体humanum corpusが部分的原因causa partialisとして何らかの行動をなすとしたら,その行動は受動passioです。これは第三部定義二から明白だといわなければなりません。よって人間が何かを殴打するという行動は,その人間の能動actioである場合もあれば受動である場合もあるのです。
 第四部定理五九がいっているのは,現実的に存在する人間が受動的になすあらゆる行動を,その人間は能動的になすことができるという意味のことです。よってある行動をそれ単独で抽出した場合には,その行動が能動であるのか受動であるのかは判断することができません。殴打も含めて現実的に存在する人間がなすあらゆる行動が,能動でもあり得るし受動でもあり得るからです、ですから能動であるか受動であるかの判断は,その行動の原因に依存するのであって,行動をなす人間の身体を眼中に置くならば,その人間の身体が十全な原因causa adaequataであるのか部分的原因であるのかということに注目しなければならないのです。よって僕たちは,他人のある行動をみて,その行動だけでそれがその他人の能動であるのか受動であるのかを判断することはできません。これがこの部分で國分がいっていることでした。
                                        
 これは現在の考察とは無関係ですが,『スピノザ 実践の哲学Spinoza : philosophie pratique」の中で,ドゥルーズGille Deleuzeはこの部分を善悪の関係として示しています。よい機会ですからこれも紹介しておきましょう。
 第四部定理五九でいわれているように,人間の身体が何かを殴打するという行動は,人間の身体の機構だけでみればその人間の身体のvirtusです。ですからこの行為自体は善bonumではあり得ますが悪malumではあり得ません。しかしだからこの行為は常に善であるとみることができるわけではありません。もしもその行為によって,殴打をする人間と殴打をされる物体corpusとの構成関係が破壊されてしまうような表象像imagoと結びついているなら,それは必然的にnecessario悪です。ですから,たとえば現実的に存在する人間が他の人間を殴打して殺してしまうというようなことが生じるなら,それは悪なのです。しかしもしもこの種の構成関係がこの行為と組み合わさるような観念ideaと結びついているのなら,その行為自体は悪であるということはあり得ず,善なのです。
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